第十二話 女傑ロザリンド
なるべく早く投稿を心がけています。
第十二話
広間を出て王宮の外に出ると、夜風が冷たく頬を打った。
僕たちは言葉少なに王都の街を抜け、宿まで歩いた。
道中、広間での怒声や王子の耳打ちのことが頭を巡り、足取りは自然と重くなる。
宿の扉を開けると、すでにレオとアネッサは待機していた。
「おかえりなさい」と、アネッサは声をかけるが、目には不安の色が混ざっている。
僕は深く息をつき、重い口調で今日の出来事を説明し始めた。
「王は……魔導国の書簡を見て、怒り狂った。亜人ごときの国と友好などありえないと罵り、書簡はその場で焼かれた」
ノワールは冷静に言葉を添える。
「私も見下され、まるで家畜扱いでした」
アネッサの目が大きく開かれる。
「えっ……そんな……!」
ノワールは静かに頷き、アイゼンも続く。
「さらに、公国からの書簡も届けた。大公は魔導国との国交を正式に開く旨を告げており、王国の方針を問う内容だった。だが……」
言葉を選びながら続ける。
「これを読んだ王は、さらに怒りを募らせた。亜人を侮り、公国の判断を許さないようだった」
クラリスは微かに肩を震わせ、声を絞り出すように言った。
「……そして、王子……カイリスが、私に……」
その言葉に僕たちは耳を傾ける。カイリスが耳打ちした内容、亜人への粛清計画を伝えるクラリスの表情は、恐怖と緊張に覆われていた。
アネッサは黙って聞き、手をぎゅっと握りしめる。
「……あたしたちも気をつけなきゃだね」
その言葉には、普段の天真爛漫さとともに、危機を察知した真剣さが宿っていた。
僕たちは互いに視線を交わす。王都での立場、亜人の仲間たちの存在、そして王子や王の苛烈な意志――すべてを理解し、覚悟しなければならないことを。
夜の静けさの中、宿の小さな明かりだけが、僕たちを包む僅かな安心だった。
クラリスは小さく息をつき、僕に向かって言った。
「……でも、私たちがここにいる以上、諦めるわけにはいかないわね」
僕は力強く頷いた。
「そうだ。ここから先は、みんなで生き延びるしかない」
その夜、王都の闇が街を包み、僕たちは互いの存在に頼りながら、明日への覚悟を胸に静かに眠りについた。
夜明け前、僕たちは何を話すでもなく早めに起きた。どうやらみんな、同じ考えのようだ。
「王子の計画が心配ね。亜人大粛清が始まる前に王都を出た方がいいと思う」
クラリスの声は落ち着いていたが、その奥には恐怖と覚悟が混ざっている。
「……そうだな。危険を冒すより安全に移動する方が優先だ」
アイゼンは書簡を握り締め、冷静に判断を下す。
「ノワール、魔導国への報告は、あの謁見で十分?」
「ええ。王国は魔導国の手をとらなかったと伝えます。
ノワールの声には、普段の落ち着き以上に緊張が漂う。
アネッサは明るく励ますように言った。
「よし、みんなで行こう! 行動は早いほうがいいよ!」
結論はすぐにまとまり、六人で王都を脱出する決意を固めた。
荷物をまとめ、朝の薄明かりの中、静かに王都の門へと向かう。
王都の正門に着くと、兵士たちが門を厳重に守っていた。
「止まれ!」
鋭い声が響き、僕たちは立ち止まる。
「……何事だ?」アイゼンが尋ねると、門の兵士は冷たく告げた。
「王太子様のお触れだ。亜人及び亜人を連れた者を王都から出すことは許されない」
クラリスが静かに一歩前に出る。
「……私たちは急を要します。急ぎ公国への書簡を届けねば」
クラリスは出まかせを言うが、それも通じず兵士は首を横に振る。
「それでも許可は出ません。王太子様は命じられました」
僕たちは互いの顔を見渡す。王都を出る前に、すでに粛清の手が伸びていることを悟る。
クラリスの手が震え、アネッサがぎゅっと拳を握る。
「……これは、想像以上に厳しい状況だ」
アイゼンが低くうなずき、ノワールは冷静に状況を分析しながら、突破の可能性を探る。
王都の正門に立ちはだかる兵士たち――それは、僕たちにとって、逃げるにも戦うにも避けられない現実の象徴だった。
正門前で僕たちは膠着していた。兵士たちは槍を構え、門を通ろうとする僕たちを厳しく阻む。
「亜人及び亜人を連れた者を、王都から出すことは許されていない。引き返せ」
兵士の声が冷たく響く。僕たちは立ちすくみ、進むことも戻ることもできずにいた。
沈黙が続くその瞬間、後ろから重い馬の蹄の音が近づいてきた。
馬のいななきとともに、一台の馬車がゆっくりと姿を現す。馬車の屋根には金色の装飾が施され、まるで王族か高位貴族の乗り物であることを示していた。
「……なに、あれ?」アネッサが小さく声を上げる。
馬車の扉が開き、中から高貴な気配を漂わせる女性が顔を覗かせる。金色の刺繍が入った赤と白の衣服を纏い、その鋭い瞳で兵士を睨みつける。
「この六人は私が徴集した兵隊だ」
その声は鋭く、凄まじい威圧感を帯びていた。
「通せ。通さねば貴様ごとき、どうとでもなるのだぞ」
兵士たちは一瞬目を見合わせ、言葉を失う。
「あの家紋、辺境の……」
「……仕方ない、通せ」
槍の列がゆっくりと開き、そして馬を操る御者の女性が僕達に声をかける。
「領主様の命だ。乗れ」
僕たちは互いに視線を交わす。ノワールは沈黙のまま、アイゼンは静かに書簡を握りしめる。
アネッサは少し身を震わせつつも、好奇心を抑えきれず目を輝かせる。
クラリスは微かに顔を強張らせるが、表情を整えようとしていた。
僕達は馬車に乗り、どうにか王都を離れることができた。
馬車の中で座る女性は、絹のような黄金の髪を後ろで一つにまとめ上げ、その意志の強そうな碧色の瞳で僕たちを射抜く。白を基調とした服に赤や金の刺繍が入った服はとても豪奢で、この女性が只者でないことは容易に見てとれた。その女性は優雅に背筋を伸ばしたまま、僕たちを見下すように見つめる。
「私はロザリンド。王国の最前線を統治するしがない伯爵だ」
その一言で、僕たちは新たな運命の下に置かれたことを理解した。
馬車は正門を後にし、石畳の道を揺れながら進む。
後ろから追い立てられるような圧迫感と、未知の伯爵との出会い――王都を出ることすら許されなかった僕たちに、新たな希望と緊張が入り混じる瞬間だった。
「どうして俺らを助けたんだ?あの状況、あんたの得になるとも思えないが」
アイゼンが当然の疑問をぶつける。
ロザリンドは僕らを順に見渡し、そして短く告げた。
「助けた理由は単純だ。――使えそうだから、だ」
その言葉に、馬車の中が静まり返る。
彼女は柔らかな笑みすら浮かべていない。ただ事実を突きつけるように、冷たく言い放った。
僕は思わず背筋を正した。
この人は、敵に回すわけにはいかない。
ロザリンドは腕を組み、僕ら六人を順に睨みつけるように見渡した。その眼差しは氷の刃のように鋭く、ひとりひとりの心の奥まで射抜かれるようだった。
「なにをしている。私が名を名乗った。――ならば貴様らも名を明かせ」
低く、よく通る声。命令に逆らうという選択肢を最初から与えない声音だった。
最初に口を開いたのは僕だ。
「僕はリアン。勇者と呼ばれている」
ロザリンドの瞳が僕を測るように細められる。その視線に思わず息を詰めたが、すぐに横からクラリスが続いた。
「クラリスと申します。聖女の務めを果たす者です」
彼女の声は凛としていたが、ロザリンドの前ではわずかに緊張が滲んでいる。
「レオ、です……魔法使いを……やっています」
やや控えめに名乗ったレオに、ロザリンドは鼻で小さく笑った。
「アネッサ! 黒猫の獣人だよ。よろしくね!」
彼女の明るさは、かえって場の緊張を強調した。ロザリンドの鋭い視線はその無邪気ささえ計るように冷たかった。
「ノワール。魔導国からの使者だ。……ただの旅人ではない」
燕尾服を正したノワールの声は平坦で、ロザリンドの視線を受けても微動だにしない。互いの瞳が交錯し、わずかに火花が散った気がした。
最後に、まだ慣れない様子のアイゼンが姿勢を正し、
「アイゼン。旅に同行している。俺も……一応、公国からの使者でもある」
と名乗った。
ロザリンドは一同の顔を一巡させ、わずかに口角を上げる。
「ふむ……なるほどな。勇者一行とやら、確かに使えそうだ」
その声音は冷徹に響き、僕たちをただの駒として見ていることを隠そうともしなかった。
馬車の中に、硬い沈黙が落ちる。
僕らが順に名を告げ終えると、ロザリンドは腕を組んだまま、ひとりひとりを値踏みするように睨んだ。
「勇者リアン、か」
彼女の目が僕に突き刺さる。
「思ったより線が細いな。……王都の連中が大げさに祀り上げているだけではないのだろうな?」
挑むような声音に、喉が詰まりそうになる。だが、なんとか返した。
「戦場で示すよ。言葉でなく、力で」
ロザリンドはわずかに目を細め、興味深そうに僕を観察してから、視線をクラリスへ移した。
「聖女か。……見たところ、貴族の温室育ちだな。辺境の血の臭いに耐えられるか?」
クラリスは一瞬だけ眉をひそめたが、毅然と答える。
「血を避けて通る者に、神の声は届きません」
ロザリンドの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「口先だけでなければいいがな」
次に彼女の視線はレオへ。
「魔法使い。……控えめな態度は嫌いではない。だが、実力まで控えめでは困る」
レオはたじろぎながらも頷いた。
「……努力は怠りません」
ロザリンドは鼻で笑い、今度はアネッサへと目をやる。
「黒猫の獣人……王都の連中なら、門前払いだろうな」
「へへ、でもロザリンドさんは助けてくれた!」
アネッサは天真爛漫に笑って見せる。
しかしロザリンドは表情を崩さず、冷たく言い放つ。
「勘違いするな。使えると思ったから拾っただけだ」
アネッサの耳がぴくりと動き、笑顔が少しだけ固まった。
燕尾服を纏ったノワールに目が移ると、ロザリンドの瞳がさらに鋭さを増す。
「魔導国の使者……貴様、強いな。魔人を見るのは初めてだが……どうにも油断ならん目をしているな。何を企んでいる?」
ノワールは微動だにせず、淡々と答えた。
「任務を遂行しているだけです。あなたが知る必要はない」
車内に重苦しい気配が漂う。だがロザリンドはあえて深追いせず、最後にアイゼンへ視線を投げた。
「貴様は戦士か……体格は悪くない。飾りじゃなければいいがな」
アイゼンは短く答えた。
「試してくれればいい」
ロザリンドは一同を見渡し、口角をわずかに吊り上げた。
「ふむ……良い。お前たち、思った以上に面白い。私を前に物怖じすらしないとは。やはり使い道がありそうだ」
その声は冷徹で、僕らを仲間ではなく駒としか見ていないことを隠しもしなかった。
だが、不思議とその眼差しから目を逸らすことができなかった。
馬車は王都の石畳を抜け、やがて荒れた街道へと入った。窓の外は徐々に人の気配が薄れ、代わりに鬱蒼とした森と険しい岩山が広がっていく。
道中、ロザリンドは多くを語らなかった。ただ時折、外の景色に視線を向けながら、指先で肘掛けをとん、とんと叩いていた。その横顔には、王都の貴族にありがちな気品ではなく、常に戦場を見据えてきた者の厳しさが刻まれていた。
やがて夕暮れ時、城壁の影が遠くに見えた。
近づくにつれ、それがただの城ではなく要塞であることがはっきりする。高い石壁の上には槍を構えた兵士たちが並び、至る所に魔法障壁の痕跡が輝いていた。
「……これが辺境の領地か」
思わず息を呑んだ僕に、ロザリンドが視線を向ける。
「そうだ。ここは王国の盾であり、棺桶でもある。魔物どもは日々群れを成し、壁を叩き続けている。貴様らがどれほどのものか、すぐに嫌でも試されることになるだろう」
馬車が門をくぐると、内部の光景が目に飛び込んできた。
石畳は血と煤で黒ずみ、行き交う兵士たちは皆、鎧に傷を刻みつけたままだ。鍛冶場では絶えず火花が散り、物資を運ぶ人々の顔には疲労と覚悟が入り混じっていた。
その中心に、戦場の主のように佇むロザリンドがいた。
彼女は馬車から降り立ち、振り返って僕らを見据える。
「歓迎の宴などない。欲しければ飯を食い、寝床を探せ。だがその前に――覚悟を決めろ。この地に来た以上、甘さは一片たりとも許されん」
その言葉は鋭い剣のように胸へ突き刺さり、僕は無意識に拳を握り締めていた。
馬車は要塞の門を抜けると、そのまま奥の街並みへと進んでいった。城壁内は戦場さながらの緊張感に包まれているというのに、人々の足取りは乱れていない。むしろ整然としていて、ひとつの巨大な軍隊のようだった。
道の途中、ロザリンドは幾度も窓を叩き、馬車を止めさせた。
彼女は自ら扉を開き、すれ違う小隊の隊長に声を掛ける。
「昨日の防衛戦、見事だった。だが油断するな。お前の部隊が崩れれば全体が瓦解する」
隊長は片膝をつき、頭を垂れる。
「はっ! 必ずや期待に応えてみせます」
その背に、ロザリンドは短く「頼んだぞ」とだけ告げ、再び馬車に戻った。
彼女の口調は厳しい。けれどそこには叱咤と同時に、確かな信頼が感じられた。
別の部隊が行軍しているときも同じだった。
「負傷は癒えたか?」
「補給の遅れは解消されたか?」
次々と兵に声を掛け、そのたびに兵たちは顔を引き締め、誇らしげに返事を返していた。
そして僕らの目を奪ったのは、その兵の列に混じっていた姿だった。
大きな獣耳を揺らしながら槍を担ぐ狼の獣人、鱗の覗く腕で弓を引く蜥蜴人、さらには翼をたたんだ鳥人までもが当然のように並んでいる。
僕は思わず息を呑んだ。
「……本当に、亜人を受け入れているのか」
クラリスも目を丸くしていた。
王都で聞いた「辺境伯家は亜人を迫害せず、むしろ兵として扱う」という噂。誰もが眉唾と笑っていたが――目の前の光景は、紛れもない事実だった。
ロザリンドはそんな僕らの反応を横目に、平然とした声で言った。
「戦場に種族の別は不要だ。剣を振るえる者、槍を構えられる者、それで十分だ」
彼女の言葉は冷ややかでありながら、奇妙なほど力強かった。
僕はその姿に、ただの強者ではなく、戦場そのものを体現したような迫力を感じていた。
馬車が石畳の前で停まると、御者が手綱を握り直し、軽く馬の鼻先を揺らした。
ロザリンドはゆっくりと立ち上がり、その長いマントを整える。
御者が馬車の扉を開き、彼女の手を取り、降りるのを支える。
「ロザリンド様、お手を」
御者の手は柔らかくも確かな力を持ち、馬車から滑らかに地面に降り立てるよう導く。
ロザリンドは微かに笑みを浮かべると、手を離し、そのまま先に邸宅の重厚な扉へと歩みを進めた。
まるで戦場を歩む指揮官のような姿勢で、後ろを振り返ることもなく、邸宅の中へ消えていく。
御者が振り返り、僕たちに穏やかに促す。
「さあ、あなた方もどうぞ」
僕らは馬車の段差に気をつけながら降り、御者の後ろについて邸宅の奥へ進む。
廊下は落ち着いた光に包まれ、外の荒々しい景色とは違う静謐さがあった。
御者は迷うことなく応接室の扉を開き、中へ案内する。
室内には柔らかな光が差し込み、広い机や椅子が整然と並び、邸宅の主の気品を感じさせる。
僕たちは軽く会釈し、御者の指示に従って席に着いた。
外の森や山々を望む窓の向こうに、辺境の厳しさが静かに広がっている。
そして僕は、先に邸宅へ入ったロザリンドの背中に、彼女の揺るぎない決意を重ねて見つめていた。
応接室に入ると、ほどなくして使用人が静かに現れ、紅茶を運んできた。香り高く湯気を立てるカップに、僕は思わず一息つく。
少し後に扉が再び開く。今度は別の使用人のようだ。
「どうぞ」
使用人が一礼すると、背後の扉からロザリンドが現れた。
高貴な風格はそのままに、先ほどの重厚な装いとは違い、動きやすそうな楽な服に着替えている。
その立ち姿に、僕は思わず息を呑んだ。
ロザリンドは応接室の椅子に座り、軽く手を広げて僕らに向き直った。
「ここが私の領地の中心だ。外は騒がしいが、室内は落ち着いているだろう」
軽く頷き、僕らを見渡す。
「さて、簡単に説明しておこう。北辺のこの地は、魔物の襲撃が日常的だ。兵を集め、城壁を守り、民を守る。それが日々の務めだ」
目を細め、少し笑みを浮かべる。
「道中に見た景色についても、率直な感想を聞かせてほしい」
僕はまず素直に答えた。
「森や山が険しくて、王都とは全く違う……戦いが日常になっている理由がわかります」
クラリスは少し唇を引き結びながらも、感心した様子で言った。
「王都の安全さがいかに特別か、改めて思い知らされました」
レオは視線を落としつつ、控えめに答える。
「兵たちの士気が高いですね……あれだけの亜人を受け入れているのも驚きました」
アネッサは耳をぴくりと動かし、天真爛漫に言った。
「すごいね! みんな楽しそうに見えたし、なんだか強そう!」
ノワールは淡々と、しかし鋭く観察するように答える。
「防衛ラインの維持は徹底されている。兵の質も悪くない」
アイゼンは短く、しかし力強く言った。
「戦場向きの布陣だ。雑な仕事ではない」
ロザリンドはそれぞれの反応を聞き終えると、満足そうに小さく頷いた。
「なるほど、感覚は正しい。道中で見た兵や地形は、この領地を守るために必要不可欠なものだ。甘く見てはいけない」
僕は改めて、彼女の言葉と存在感に圧倒される。
ただの高貴な女ではない。辺境を守る指揮官としての覚悟が、揺るぎなくこの空間に満ちていた。
ロザリンドは応接室の大きな椅子に腰を下ろすことなく、立ったまま話し始めた。声には揺るぎない力があり、僕ら六人の視線を自然と集める。
「まず、我が領地の防衛状況について説明しよう」
壁に掛けられた地図を指で示しながら、彼女は続けた。
「北辺は常に魔物の襲撃にさらされている。森や山から侵入してくる群れは個体こそ小さいが、数で圧倒してくる。城壁と防衛線の配置は、日々の戦闘で改善を重ねてきた」
僕は地図を見つつ、彼女の声に耳を傾ける。
「兵力の不足も常に課題だった。そこで考えたのが、亜人の活用だ」
僕らの視線が一斉に動く。先ほど道中で見た亜人兵たちの姿が、頭に浮かぶ。
「最初は私も抵抗感があった。王都に何度も陳情し、直接赴いたこともある。だが奴らは聞き入れてくれず、結局、亜人なら自由に使え、という言葉だけだった」
言葉には苦渋が滲むが、表情は変わらない。
「しかし使ってみて驚いた。犬の獣人は鼻が利き、警戒や追跡に適している。猫の獣人は身のこなしが軽く、諜報や偵察に向く。鳥人は空からの偵察に使え、情報の伝達が早い」
僕は思わず息を飲む。戦場の駒としてではなく、種族ごとの特性を理解した上で使っている。
「しかも、話も通じるし人間と同じ待遇で接すれば、そのぶん真剣に働く。これは使える、と直感した。それから亜人を積極的に兵として受け入れるようになった」
ロザリンドの眼差しは静かに、しかし強く僕らを捉えている。
「もちろん、兵士たちにも動揺はあった。だが戦闘を重ね、命を預け合ううちに徐々に信頼関係も生まれた」
僕は言葉を失った。単なる軍略の話ではない、信念と経験が込められた話だとわかる。
「そして最近になって、派手に兵を集め始めた理由もある」
彼女の声が少し低くなった。
「王都にて、亜人を粛清するという話を聞いた。亜人を上手く活用できればこんなに戦場が変わるというのに、だ。ならばいっそ殺される前に、この領地に王都中の亜人を集めようと決めたのだ。ここは王都ではないからな」
僕は息を呑む。つまり、この地に来る途中で見た亜人たちは、彼女が“買い取った”存在でもあったわけだ。
「不思議に思わなかったか?王都で亜人に値がつけられていたことを。在庫処分の意味合いもあるだろうが、買ったところで殺されるというのに。やつらの唯一の客は私だったのさ」
ロザリンドはそのまま静かに僕らを見渡す。
「だが、兵士として迎えた以上、私は人として扱う。亜人だろうとな。そうしなければ帰属意識が芽生えず、この領地を守るために戦おうなど思わない。戦力として使うのはもちろんだ。だがそれ以上に、私には彼らの命も守る義務がある」
僕は目を伏せ、何を言っていいかわからなかった。
王都の噂や偏見とは全く違う、現実を目の当たりにしたからだ。
クラリスが小さな声で言った。
「……素晴らしい、と思います」
レオは視線を落としたまま頷き、
「僕も……兵としてだけでなく、人として扱うという考え方に驚きました」
アネッサは耳をぴくりと動かし、
「なんだか、すごく温かいね!」
ノワールは淡々と、しかし鋭い目で言った。
「計算もあるでしょうが、それ以上に理念を感じますね」
アイゼンは短く言った。
「戦力を最大化するだけでなく、守るべき者を守る――理にかなっている」
ロザリンドはふんと鼻を鳴らして吐き捨てるように言う。
「ふん、買い被るな。私はただ領地と領民を守るために最善を尽くしているだけ。だがこの地で生きる以上、戦力と信頼関係の両立は絶対条件だ」
僕は改めて、彼女がただの強者ではなく、戦場の現実と民の命、そして兵の命を背負った女性だと理解した。
この世界、あまり出てこないけど魔獣という魔力を帯びた獣がいます。人類種とは相容れない存在。




