第百十話 穏やかな一日
第百十話
四日後。
僕はだいぶ体力も戻り、王城の回廊を歩き回って体を慣らしていた。
すれ違う人々の「無事でよかった」という視線が少しこそばゆい。
そして――いよいよ当日。
朝の澄んだ空気の中、仲間たちは王都の正門前に集まっていた。
「ほら見て! ノワール様もしっかり連れてきました!」
アネッサが胸を張って言うと、ノワールは小さくため息をつきながらも、どこか嬉しそうだった。
「ロザリンドも誘ったんだけどねー。さすがに作戦参謀が遊ぶわけにはいかないってさ」
アネッサが肩を落とす。
「ですが、誘ってもらったことはとても嬉しそうでした。機会があれば、また誘ってあげてください」
ノワールがフォローする。
行き先はクラリスの実家を過ぎた先の丘。
海を一望でき、この時期は花が満開になるらしい。
「よし、行くぞ」
アイゼンが荷物をどさっと肩に担ぎ、先頭に立つ。
僕の歩調はまだ万全ではないけれど、その横にはセラフィリアが当然のように寄り添ってくれた。
「無理しないでくださいね、リアン」
「うん、ありがとう」
そう言うと、セラフィリアは小さく微笑んだ。
仲間たちの笑い声が風に揺れ、王都の街を背にして、僕たちはゆっくりと歩き出した。
ピクニックへ向かう、なんでもない道のり。
だけど、こんな穏やかな時間が――
こんなにも胸に温かいものなんだと、久しぶりに実感していた。
王都の石畳を抜けて街道へ出ると、涼しい風が頬を撫でた。
まだ朝の空気が残っていて、胸いっぱいに吸い込むと気持ちがよかった。
「今日は最高の天気だねぇ!」
アネッサが両手を広げて伸びをしながら歩く。
「そうね。花もちょうど見頃じゃないかしら」
クラリスが微笑むと、アネッサが「いえーい!」と弾んだ声を返し、
そのはしゃぎっぷりにセラフィリアがくすりと笑った。
アイゼンはというと、背中に大荷物を担いでいるくせに、まったく疲れた様子もない。
「お前ら、遅いな。荷物持ってる俺より遅いのはどうなんだ?」
「いや、アイゼンとはちょっと歩幅が違いすぎるから……」
レオがツッコミながらも笑う。
ノワールは少し後ろを歩き、静かに周囲を見ていた。
仕事中の癖が抜けないのかと思いきや、鳥の声を聞くたびにほんの少し目を細めている。
……案外こういう時間が好きなのかもしれない。
「ねぇねぇノワール様、見て!あれ珍しい花じゃない?」
アネッサが道端の白い小花を指すと、ノワールはしゃがんで観察し、
「珍しくはありませんが、薬草として優秀ですね」と丁寧に答えた。
「へぇ〜! じゃあ持って帰って――」
「アネッサさん、薬は足りてますから、無闇に摘む必要はありませんよ」
セラフィリアが慌てて止める。
アネッサは「それもそっか」と舌を出し、また走り出した。
……元気だなぁ。
僕はというと、まだ少し残る体のだるさを気にしつつも、
セラフィリアが隣にいてくれる安心感に助けられていた。
「疲れてきましたか?」
セラフィリアがそっと尋ねてくる。
「ううん、大丈夫だよ。それに、みんなとこうして歩いてるだけで元気がもらえる気がする」
そう答えると、セラフィリアは安心したように笑った。
その表情が眩しくて、僕は少しだけ照れる。
「……ふふ。リアン、疲れたらいつでも支えますからね」
「ありがとう。セラが隣にいてくれると心強いよ」
言った瞬間、セラフィリアの頬がほんのり赤くなった。
嬉しそうに俯きながら、小さく「はい」と返事をする。
そのやりとりを見ていたのか、
前を歩いていたアネッサが振り返って目を細める。
「お・や・お・や〜?」
「あんまりからかうなよ」
アイゼンが即座にデコピンを放ち、アネッサが「いったぁ!」と叫ぶ。
僕は苦笑し、レオは肩を震わせて笑い、クラリスは上品に微笑む。
ノワールは……なぜか満足げに頷いていた。
そんな賑やかな道中、
気づけば街道を抜けて草原が広がり、
風に揺れる花々が僕たちを迎えてくれた。
丘の上まではあと少し。
仲間に囲まれた穏やかな時間に、
僕は何度も胸の中で噛みしめていた。
――ああ、生きて帰れて良かったな。
丘の斜面を登りきった瞬間、景色がぱっと開けた。
青い海が一面に広がって、太陽の光を反射してきらきらと輝いている。
クラリスが言っていたとおり、この時期は花が満開だ。
淡い黄色や白、桃色の小さな花々が風に揺れて、まるで波のようだった。
「わぁ……!」
思わず声が漏れた。
「綺麗でしょ?」
クラリスが自慢げに微笑む。
「うん。こんな景色があるなんて知らなかったよ」
レオが深呼吸しながら言う。
「海の匂い、草の匂い…全部混ざって、なんか落ち着くね」
「ここに来ると、日々の疲れが飛んでいくわよ」
クラリスは楽しそうにスカートを揺らせた。
アネッサはというと、到着した瞬間に走って海側へ駆け出す。
「ひろーーいっ!!風強いーー!!気持ちいーー!!」
「落ちるなよ!」アイゼンが怒鳴る。
「落ちないってばー!あっ、ノワール様!ほらほら見てよ!」
なぜかノワールの手を引いて連れて行くが、ノワールは抵抗もせず困ったように笑う。
「……仕方ありませんね。落ちないようにしなさい」
「はーい!」
セラフィリアは弁当の入った籠を丁寧に置き、毛布を広げ始めていた。
僕も隣にしゃがみ、手伝う。
「リアン、風に飛ばされないようにここ押さえてください」
「了解」
ふたりで広げていると、手が触れ合った。
それだけなのに、胸が少し跳ねる。
セラフィリアはというと、気づいているのかいないのか、淡々と作業を続けていた。
アイゼンが荷物をドサッと置く。
「よし、セラフィリアと俺が作った弁当だ。いっぱい食え」
アネッサが耳ざとくそれを聞きつけて戻ってきた。
「待ってましたーー!!セラフィリアの料理、美味しいんだよね!」
「半分以上はアイゼンさんが作ってくれたんですけどね」
とセラフィリアが補足すると、アネッサはじーっとアイゼンを見て「え?」と言った。
「……なんだその目は」
「いや……肉以外も料理できたの?」
「バカにしてんのか」
「してないしてない!たぶん!」
そんなやりとりに、みんなが笑った。
毛布の上に座り、籠の蓋を開けると、
彩り豊かなサンドイッチ、焼いた肉と野菜、セラフィリアの手作りの小さなパイ……
想像以上に豪華で、思わず感嘆の声が漏れた。
「すごい……これ、朝早くに作ったの?」
「はい。アイゼンさんが肉料理とサンドイッチを作ってくださったので、私はその他を」
「肉は任せろって言ったんだよ」
アイゼンは誇らしげだ。
僕は最初にセラフィリアが作ったパイを口に運んだ。
優しい甘さと酸味が広がって、思わず目を細める。
「……美味しい。さすがだね、セラ」
セラフィリアは嬉しそうに微笑んだ。
「良かったです」
「リアン、快気祝いだ。俺の肉も食えよ!」
アイゼンに言われ、僕は肉にも手を伸ばす。
香ばしくて旨味が強く、これはこれでめちゃくちゃ美味しい。
「……うまっ」
「だろ!」
アイゼンが満足げに胸を張った。
レオはゆっくりとサンドイッチを味わい、
「これ、店で出せるレベルだね」と言うと、アイゼンは「当たり前だ」と鼻を鳴らす。
ノワールは落ち着いて紅茶を淹れてくれていた。
「皆さま、どうぞ。景色と共に楽しんでください」
優雅に注がれる紅茶の香りが風に乗って広がる。
僕は湯気の向こうに広がる青い海を眺め、
隣にいるセラフィリアを見て、
そして賑やかに笑う仲間たちを見渡す。
――ああ、こういう時間が続けばいいのにな。
そう、心の底から思った。
その後もおしゃべりしたり笑ったり。
アネッサとアイゼンが木の枝で戦いごっこを始めて、
クラリスとレオが優しく止めて、
ノワールが少し離れて花の標本を作り、
セラフィリアは海を見つめて微笑む。
穏やかで、温かくて、
まるでずっと前から家族だったみたいに心地いい時間だった。
僕は深く息を吸い込み、胸の奥でそっと願う。
――戦いのない世界で、こんな日々が続きますように。
丘を下り始めたころには、空の端がゆっくりと橙に染まりはじめていた。風はまだあたたかく、昼間の陽気をそのまま引きずっている。みんなどこか名残惜しそうに振り返りながら歩いていた。
僕も同じだ。あの穏やかな時間が、もう少し続けばいいのにと思ってしまう。
けれど、変わっていく空の色が今日という一日をゆっくり締めくくっていくのも嫌いじゃない。
「リアン、見てください。あそこ、とても綺麗ですよ」
セラフィリアが指さした西の空は、茜に金が溶けるような色だった。
「ああ……本当だ」
言葉に出すと、自分でも驚くほど柔らかい声になっていた。セラフィリアが嬉しそうに微笑む。
町に戻るころには夕日が完全に沈み、薄紫の空が広がっていた。王城の灯りがぽつりぽつりと点りはじめ、どこか帰ってきたという実感をくれる。
その日の夕食は、普段よりも賑やかだった。
といっても、大声で笑い合うような賑やかさではない。
柔らかい空気の中で、互いに今日の出来事を思い返して微笑むような、そんな静かな温かさだ。
セラフィリアは終始穏やかな顔で、料理に手を伸ばすたびに小さく「おいしい」と呟いていた。
ノワールはその様子を見て満足げで、アネッサはアイゼンと最後の肉を取り合っている。クラリスはレオと隣り合って笑い合っている。
僕もまた、胸の奥がゆったりと温まるような気持ちだった。
食事を終えて解散すると、それぞれの部屋に戻る。
廊下には静けさが戻り、足音だけが規則正しく響いた。
部屋に入り、腰の剣を外し、灯りを落とす。
今日の風景がゆっくりと脳裏に浮かび、背中がふっと緩んだ。
「……いい日だったな」
そう呟いて、僕は目を閉じた。
穏やかな余韻は、眠りに落ちるまで静かに続いていた。
読んでくださってありがとうございます。




