第百六話 終わりを告げる魔法
第百六話
視界の端で、アイゼンがスライムの護衛にとどめを刺すのが見えた。
これで後衛に回られる心配はない。呼吸を整えつつ、僕は真正面の魔術師へと視線を向ける。
「これで六対一だ。覚悟しろ」
しかしヴェイルの表情は揺らがない。むしろ、余裕すら感じさせる薄い笑み。
「六対一、ね。――ならば、これは防げるか?」
短い詠唱。次の瞬間、様々な属性の魔弾が豪雨のように降り注いだ。
セラフィリアが即座に障壁を展開し、レオが風魔法で弾幕を吹き散らす。
その連携は完璧――のはずだった。
「馬鹿の一つ覚えか」
ヴェイルが嘲るように呟いた瞬間、魔弾がぴたりと止んだ。
「……?」
不意の中断に眉を寄せた僕の横で、どさり、と二つの影が地面に崩れ落ちる。
「――レオ! セラフィリア!」
振り返ると、二人がぐったりと倒れていた。
動揺が走り、アネッサが息を呑む。アイゼンまでもが目を見開く。
少し回復したクラリスが慌てて二人に駆け寄っていった。
そんな僕達を見下ろしながら、ヴェイルは眼鏡を押し上げる。
「その防御障壁の性能は大したものだ。だが――燃費が悪すぎる」
「そして風魔法使い。お前の魔法は大雑把だ。威力だけはあるが、小さな魔弾を消すのに大魔力を使えば……息切れするのは当然だろう?」
淡々と、まるで数式を読み上げるような口調。
胸の奥が、冷たいものに掴まれた。
「さぁ、後衛はいなくなったぞ」
ヴェイルが再び詠唱を始める。
闇の魔力が地面を走り、空気が重く淀んでいく。
「防御方法の無いお前らに――これが、防げるか?」
喉がひりつくほどの緊迫。
奴の魔力が、ゆっくりと形を成し始めていた。
再びヴェイルの掌に闇の魔力が集まり始めた。空気が震え、魔力が収束し、圧縮されていく。
――まずい。あれを発動させたら終わりだ。
防御手段を失った今、僕達にできるのは詠唱の妨害だけ。
僕とアネッサ、アイゼンは同時に駆け出し、ヴェイルへ向かって切りかかった。
しかし。
「さっきの今だ。無策なわけないだろ?」
乾いた音。ヴェイルが軽く指を鳴らした瞬間、地面が捲れ上がり、巨大な土壁となって行く手を塞いだ。
「お前らが護衛に夢中な間に仕込んでおいたのさ」
その向こうで、なおも詠唱が続く。
圧縮された魔力がきしむように震え、耳鳴りのような高音が響いた。
「くそっ……破れない!」
焦りが喉まで上る。剣に力を込めても、土壁にはヒビひとつ入らない。
「もう止められん!」
アイゼンが低い声で言った。「少しでも距離をとるぞ!」
その一言に、僕とアネッサはすぐ頷いた。これ以上の接近は、むしろ被害を広げる。
少しでも衝撃を和らげるため、全員が後方へ飛び退く。
クラリス、セラフィリア、レオも震える足で後退しながら、なけなしの魔力で防御障壁を張った。
薄い。さっきよりもずっと弱々しい光。
それでも、張らないよりはマシだ。
ヴェイルの姿が、土壁の崩壊とともに露わになる。
掌に凝縮された闇魔力は、漆黒の塊となり、今にも破裂しそうなほど膨れ上がっていた。
「――終わりだ」
低く呟き、ヴェイルは魔力を解き放った。
次の瞬間、闇の魔力が弾け、爆発し、先ほどとは比べ物にならない破壊が周囲を薙ぎ払った。
黒い奔流が防御障壁を紙のように引き裂き、僕達へ襲いかかった。
「――っ!」
クラリスたちは頭を押さえてその場にしゃがみ込み、体を小さく丸めて衝撃に備える。
誰もが目を瞑り、防御姿勢を取った。
……ただひとり、僕を除いて。
僕は――仲間の前に立っていた。
それしか選べなかった。
守らなきゃ。倒れてるやつも、立ってるやつも、全員。
魔力の嵐が迫る中、僕は光属性の魔法を体に纏わせ、盾のように構える。
黒い轟音。体が裂けるような痛み。
けれど足は動かなかった。
魔力の暴風が過ぎ去り、静寂が戻ってくる。
仲間たちがゆっくりと目を開ける。
ほとんど衝撃が来なかったことを不思議そうにしながら――そして。
「……リアン……っ!」
彼らの視線の先にいたのは、全身が血に染まった僕だった。
ふらつく足に力が入らない。光の魔法は闇の攻撃の衝撃をやわらげてくれたが、耐えきれたわけじゃない。
皮膚が裂け、骨が軋む。意識が遠い。
セラフィリアが駆け寄って僕の体を支え、地面に優しく寝かせた。
「なんで……なんでこんな無茶を……!」
震える声。泣きそうな目。
僕はうわごとのように呟いた。
「……僕が……守る……みんな……」
それが本心で、それ以外の言葉は浮かばなかった。
クラリスとセラフィリアが残ったわずかな魔力で回復魔法を施す。
だが傷は深く、魔力が足りない。塞がるそばから痛みが走り、喉の奥が熱い。
「……っ、は……!」
咳き込んだ僕の口から血が溢れ、セラフィリアの服を赤く染める。
彼女は気にも留めず、その血を拭きながら限界まで魔力を注ぎ続けた。
前では、アイゼンとアネッサが構え、僕達の前に立つ。
「次はこうはいかん……!」
低い声でアイゼンが言い放ち、ヴェイルを睨みつけた。
しかしヴェイルは、不敵に笑っただけだった。
「具体策はあるのか? 光魔法で闇魔法を中和したようだが、それでも頼みの勇者はその様だ。次はどうする?」
そしてまた、闇の詠唱が始まった。
――まだ、終わらない。
アイゼンとアネッサは、もう突撃するしかなかった。
二人は地を蹴り、さっきよりもさらに速い速度でヴェイルへ迫る。
だが――またしても、土の壁が目の前に隆起した。
「くそっ、またか……!」
「硬すぎるよ……!」
ヴェイルは自分の周囲をぐるりと土壁で囲み、完全に要塞化している。
アイゼンの槍でも、アネッサの拳でも、びくともしない。
焦りが広がる。レオが風魔法で突破を試みるが、もう魔力が残っていない。風は弱々しく散り、壁は崩れない。
セラフィリアとクラリスは治療に専念し、援護は望めない。
その間にも、ヴェイルの詠唱は完了しようとしていた。
「今度は距離を取らないのか? ……まぁ、無意味だからな」
楽しそうな声。
アイゼンはアネッサの腕を掴んだ。
「ちょっ――アイゼン!?」
振り返る間もなく、アネッサはクラリスたちのほうへ投げ飛ばされた。
そしてアイゼン自身は仲間たちの前に立つ。
「アイゼン! 無茶だよ! 耐えられないよ!!」
「このままだと全滅だ! 俺が盾になる! その間に撤退して態勢を整えろ!!」
僕は動かない体を必死に持ち上げようとしたけれど、力が入らなかった。
ヴェイルが嘲笑を浮かべながら呟く。
「逃すはずがないだろう?」
そして――闇の魔力を放つべく、土壁を解こうとした。
その瞬間だった。
黒衣の影が、アイゼンの目の前にふっと現れた。
「……え?」
同時に、土壁の中――ヴェイルの頭上――空間が焼き裂かれるように赤熱し、
巨大な火球が落ちてきた。
「な……なんだこれは……!?」
ヴェイルは慌てて闇の魔力を解放しようとする。
だが間に合わない。
轟音とともに火球が土壁を内部から灼き、爆ぜた。
土壁の内側で、ヴェイルの悲鳴が上がる。
炎が噴き上がり、土壁は巨大な炉と化した。
クラリスが震える声で名を呼んだ。
「の、ノワール……!」
黒衣の影――ノワールは、燕尾服の裾を軽く払う。
漆黒の髪がゆらりと揺れ、頭の角が赤い炎光に照らされて輝いた。
「遅くなってしまい、申し訳ありません」
静かに振り返り、胸に手を当て、完璧な所作で頭を下げる。
「このノワール――微力ながら、助太刀に参りました」
読んでくださってありがとうございます。
強者が助っ人にくる展開、ありきたりですが熱いですよね。書けてよかったです。




