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第百五話 もう一人の闇魔法の使い手

第百五話


ヴェイルは、本を失ってなお平然としていた。

なんの迷いもなく、詠唱を始める。


「くそ……本が無くてもいけるのか……!」

嫌な予感が背筋を冷やす。


妨害しようとしたとき、護衛たちの動きが変わった。

三人ともヴェイルのすぐ側に集まり、まるで盾のように密集して防御姿勢を取る。


ただひたすらに守る。攻撃の気配は一切ない。

だからこそ、突破するのが恐ろしく難しい。


僕らの攻撃はことごとく弾かれ、

レオとセラフィリアの魔法もヴェイルまでは届かない。

クラリスの補助魔法で一時的に能力を底上げしても、防御は崩れなかった。


まるで鉄壁──。


やがてヴェイルは眼鏡を押し上げ、不気味に口角を上げた。


「ご苦労、ボンクラ共」


その瞬間、護衛たちはヴェイルから一歩下がった。


「え……?」


守るべき対象よりも後ろに下がるなんてあり得ない。

戸惑う間もなく、ヴェイルは腕をこちらへ伸ばした。


「地・水・火・風……四つの属性を同時に発動するとどうなるか知っているか?」


彼の掌の上に魔力が集まり始める。

グッ──と空気が歪み、耳鳴りのような圧が周囲を締めつけた。


魔力が急速に圧縮されている。

この密度……まずい。


「答えは、闇の属性に変わるんだ。全てを飲み込む、破壊の属性にな」


「待て!!」


僕が叫んだ時にはもう遅かった。

クラリスが咄嗟に防御障壁を展開する。


直後、ヴェイルの掌で魔力が爆ぜた。

魔力の暴風。破壊の嵐。

暗い紫の奔流が大地を薙ぎ払い、木々はなぎ倒され、地面は削られ、岩は粉々に砕け散った。


まるで世界そのものが破壊されるかのような光景。


「くっ……!!」


クラリスの障壁にヒビが走る。

彼女が震える両手で、必死に崩壊を食い止めているのがわかった。


僕たちはただ耐えるしかなかった。


しばらくして、破壊はようやく収まった。

障壁が力無く割れ、クラリスはその場に膝をつく。

息が荒く、汗が滴り落ちている。


「クラリス!」


駆け寄ろうとしたその時──。


「耐えたか。だが二度目は無理だろう?」


ヴェイルが嗤い、再び詠唱を始める。

護衛たちがふたたびヴェイルのそばに立ち、鉄壁を形作った。


クラリスは震える手で障壁を張ろうとするが……。

魔力切れが近いのか、ふらついて立つのもやっとだ。


このままでは次の一撃で全滅する。


──何か、手を打たなければ。


詠唱を止めようと飛び込むが──やはり、護衛の防御は分厚い。

鉄壁のような布陣がヴェイルを包み込み、攻撃がまったく通らない。


やがて、ヴェイルの詠唱が先ほどよりも早く終わり、

ニヤリと口角を上げた。


「これで終わりだ」


クラリスがふらつきながら障壁を張ろうとする。けれど、魔力が足りない。

彼女の指先は震え、魔法陣はまともに形を成さない。


その間に、ヴェイルの掌の上に闇属性の魔力が再び圧縮されていく。

先ほどと同じ──いや、それ以上の圧。

大地そのものを呑み込むような破壊が迫っていた。


そして──。


闇の奔流が弾けた。


「くっ……!」


またあの破壊が襲ってくる──そう思った瞬間だった。


「――ここだッ!」


レオが叫び、魔法を放つ。

暴風が巻き起こり、闇の奔流と激しくぶつかり合った。


風と闇がせめぎ合い、互いを削り、凄まじい魔力のひずみが生じる。


……そして。


まるで幻のように、両方とも霧散した。


何も起きなかったかのように。


「……なんだ、今のは……」


ヴェイルは目をわずかに見開き、不機嫌に声を落とす。


「……おい、ガキ。今のはなんだ。まさか、相殺したというのか? 俺の魔法を?」


ガキ、と呼ばれたレオは明らかに眉をひそめる。


「さぁね。もう一度使えば、わかるかもしれないよ」


強がっているが、肩が揺れている。

額の汗は尋常じゃない。無茶をしているのは明らかだった。


でも──レオが作ってくれたこの機会を無駄にするわけにはいかない。


「っ……!」


僕は聖剣に炎を纏わせ、一気に踏み込む。

狙うのは火の精霊だった元護衛。


斬撃は、奴の熱を帯びた身体に深々と刺さる。

もちろん、炎では倒しきれないことは承知の上だ。


重要なのは──。


「覚悟しろ!」


僕は剣を抜かず、炎の魔力を奴の体内に流し込んだ。


瞬間、護衛の体温が急激に跳ね上がる。

熱が空気を歪ませ、隣にいた金属質の護衛が苦しみ始めた。


「……っ!? お、おお……!」


ガンッ、と鈍い音を立てて膝をつく。

体表がぐにゃりと溶けるように変形し──そのまま崩れ落ちた。


僕は短く息をつきながら言う。


「アイゼンの槍がぶつかったとき、金属同士が擦れるみたいな音がしたんだ。

 もしかしてとは思ったけど……やっぱり体が金属だったみたいだね」


高熱に弱いのは当然だ。


護衛は三人のうち一人を欠いた。

これでヴェイルの守りは確実に薄くなる。


すると、ヴェイルは舌打ちし、レオを鋭く睨んだ。

先ほど風魔法で魔力を相殺されたのが相当に堪えたらしい。


ヴェイルは眼鏡を押し上げ、苛立ちを抑えるように息を吐く。


慎重になり始めている──今までよりも。


これはチャンスだ。

絶対に逃すわけにはいかない。


 ヴェイルは短詠唱の魔法を、矢継ぎ早に次々と撃ち込んできた。

地、水、火、風──あらゆる属性が矢のように飛来し、空気そのものが騒めいている。


「くっ……セラフィリア、頼む!」


「任せてください!」


クラリスの代わりに、今度はセラフィリアが障壁を展開する。

透明な魔力の膜が僕たちを包み、襲いくる魔法を弾く。


しかし、それだけでは防ぎきれない。

ヴェイルの魔法の“数”は異常だ。


「僕に任せて!」


レオが息を切らしながら詠唱を繋ぎ、風魔法で迎撃する。

烈風が巻き起こり、ヴェイルの火魔法を呑み込み、

水魔法を霧散させ、土の魔弾を軌道ごと逸らす。


……凄い。


ヴェイルの多属性の連撃を、レオは“風だけ”で全部相殺している。

風は万能ではないが、レオの風はまるで属性を越えるように鋭く、正確だった。


「っ……はぁ……はぁ……!」


レオの額には大粒の汗。

相当な集中を強いられているのが見て取れた。


このままじゃ、レオが持たない──!


僕は護衛の方に目を向ける。

体表が金属だった護衛は、高熱で溶けて動かない。

残るは火の精霊だった護衛と、スライム化した護衛の二人。


まずは火だ。


奴を倒し、ヴェイルに攻撃が通るようになればレオの負担が格段に減る。


僕は呼吸を整え、聖剣に水の魔力を纏わせた。

水が蒼い刃となって剣を包み、蒸気が立ち上る。


「行くぞ……!」


一気に踏み込み、炎が揺らめく護衛へと斬りかかる。


ジュッ──!!


水の魔力が触れた瞬間、護衛の身体が激しく蒸気をあげた。


「ガァァァッ!!」


耳をつんざくような悲鳴。

火を宿していた身体は水に弱い。

相性は最悪だ。


護衛は暴れて武器を振り回す。しかしアイゼンが中距離から的確に武器を持つ腕を貫き、その抵抗を弱める。

その隙にアネッサが背後から忍び寄り、腕を使って首元をガッチリと極める。


「アネッサ、触っても大丈夫なのか?」

 アイゼンが声をかけるとアネッサは更に力を入れながら答える。

「水属性でかなり温度が下がってる……! これなら、ちょっと熱いくらいで済むよ……!」


 首が絞まり、完全に動かない火の護衛。スライムの護衛がアネッサを引き剥がそうと襲いかかろうとしているが、そうはさせない。

 僕は再び聖剣に水属性を纏わせ、スライムの護衛よりも先に火の護衛を斬る。

護衛はそのまま崩れ落ち、地面を焦がすようにして動かなくなる。


「あと一体……!」


スライムの護衛。

奴さえ突破できれば──ヴェイルに届く。


レオの息遣いは荒く、セラフィリアの障壁にもひびが入り始めている。


時間はもう残されていない。


ここで決めるしかない──!


「リアン!」


アイゼンが短く呼びかけてきた。

振り返ると、彼はスライムの護衛を冷静に見据えながら言う。


「そいつは時間がかかる。俺とアネッサで引きつける。

──お前は先にヴェイルを狙え」


「……わかった!」


迷う理由なんてない。

仲間が道を開けてくれるなら、僕は進むだけだ。


地面を蹴り、ヴェイルめがけて疾走する。

すぐにヴェイルの魔法が飛んでくるが──


「っ……!」


剣に魔力を纏わせ、迫る魔法を斬り裂き、弾き、火花を散らしながら距離を詰める。


その時、ヴェイルの護衛──スライム化した護衛が飛び出し、主の前に立とうとする。


だが、その前に二つの影が割って入った。


「行かせないよ!」


「逃げるなよ、相手は俺だ」


 アイゼンは冷静に槍を構え、向かってくる護衛に言う。

「スライムったって、ネレイアほど厄介じゃないな。血管や骨がうっすら透けて見えてるってことは……!」


アイゼンの槍が心臓めがけて一直線に突き出される。

スライムの護衛は慌ててそれをギリギリで避ける。アイゼンは勝ち誇ったように歯を見せて笑う。

「避けたな。やっぱり、内臓もそのままってことだよな」


 刃物に対する不利を悟った護衛が、アネッサの方へ流れようとした瞬間──


アネッサがニヤリと笑った。


「内臓そのままなら、狙う場所は変わらないよね!」


拳が、スライムの身体の“胃”に相当する場所へ深く叩き込まれる。


衝撃の大部分はスライム状の身体に吸収される。

それでも完全ではない。

護衛の男がビクンと震え、苦悶の声を漏らしてその場にうずくまった。


「役立たずが……!」


ヴェイルが苛立った声で舌打ちをする。


──今だ。


僕は剣に炎の魔力を纏わせ、一気に踏み込んだ。


「はぁっ!!」


灼熱の斬撃がヴェイルに迫る。

ヴェイルは攻撃魔法の詠唱を中断し、咄嗟に水の壁を作り出して防いだ。


火と水が激しくぶつかり合い、蒸気が爆ぜて視界が揺らぐ。


斬撃は通らなかった。

だが──それでいい。


僕は口元をわずかに吊り上げた。


ヴェイルが攻撃魔法を撃てなかった。

その一瞬だけでも、レオとセラフィリアの負担は確実に軽くなる。


「……次は防げないぞ、ヴェイル」


ぼそりと呟き、僕は再び構え直した。

読んでくださってありがとうございます。

一点補足。ヴェイルの闇魔法はヴァレリアのそれとは比べ物にならないほど拙いです。

指向性を持たせるのみで、形もいじれない。

ですが、素質がないと使えない属性の魔法を解析と努力で扱えるようになったので、ヴェイルはかなり上澄みなのです。

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