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第二十四話 静寂の崩壊

 午前5時05分。


 舞い落ちる雪の音も積もる雪に吸い込まれ、世の中全ての音が消えたかのような静けさに包まれた時間。

 高まった鼓動を抱いたまま、浅い眠りに落ちていた結花の部屋に、大きめの着信音が鳴り響いた。


 頭まで毛布を被っていた結花だったが、今夜ばかりは一度目の着信音が終わる前に飛び起き、いつもの癖でウェアラブルフォンへ手を伸ばす。

 しかし手に取ったウェアラブルフォンのディスプレイには、ノーコネクトの表示が映し出されているだけで、着信が入っている形跡はない。


 結花は自身の慌てぶりに戸惑いながらも、壁に設置してあるエマージェンシー用の通信機器が鳴っている事に気付いた。

 この機器は、何かの事情で通常の通信網が途絶してしまった時のためにと、里香の提案によって設置された軍用規格のデジタル通信機器であり、自宅と英明の研究室、そして里香のメルセデスに設置されていた。


 ベッドから飛び起きた結花は、壁の通信機を手に取り、「お父さんっ!?」と吹き込む。嫌な予感のさざ波が、結花の胸中に打ち寄せ始めた……


---


 同時刻、名寄駐屯地。


 枕元に設置された内線電話から、無機質な呼び出し音が鳴る。 

 この日、名寄駐屯地指令の村田茂光一佐は、夜半過ぎまで書類整理に追われ、結局自宅に帰らず基地内で仮眠を取っていた。


「私だ」


 多少澱んだ意識を払うようにレシーバーを取り上げ答える。


「お休みのところ申し訳ありません一佐。ご報告がありご連絡しました」


 指令室当直の1等陸尉からであり、その声はやや緊張を含んでいた。


「続けろ」


「はい。0500過ぎから、レーダー、及び通常通信に異常が発生しております。当初機器の不具合と考えチェックしましたが、現時点では原因不明の状況です」


 その報告を聞いた村田の胸に、昨日の午後、弓野博士から入った連絡が蘇る。

(しかし……まさか……)


「引き続き調査しておりますが……」


「レーダーはどの程度機能が失われているのか?」


 陸尉の報告を遮り、村田が聞き返す。


「はい……現在全く機能していない状態です」


 それを聞いた瞬間、村田の背中に嫌な汗が噴き出したが、今はそれをおくびにも出さず、さらに質問を重ねた。


「千歳の空自から何か言ってきてるか?」


 聞く前から答えは分かっていたが、村田はそれを聞かずにはいられなかった。 


「いいえ。現在千歳基地への連絡も出来ない状態です……」


 今度こそ村田の脇から冷や汗が流れる。


(弓野博士の進言は間違っていなかったのか……?)


 そうは思いたくなかったが、後悔という言葉が浮かんで消える。

 しかし、個人的な感情を抑え込んだ村田の決断は早かった。


「わかった。今より非常呼集を発令。初動対処小隊はMPG部隊が担当。小隊長は?」


「武田二等陸尉です」


「よし。武田の隊の他、可能なMPGは全て出撃させ、弾薬庫、格納庫、駐屯地入口、司令部を警護。全ての防護外壁をレベル4にて展開。但し状況が判明するまで、LCIWS(地上用近接防御火器システム)の起動はするな。事故は避けたい」


「は、はっ!了解!通達を出します」


 基地司令の反応に、深刻な状況を読み取った一等陸尉は、声を上ずらせながら返答をする。村田は、「千歳、及び旭川、遠軽、上富良野への通信も継続試行するんだ。状況が知りたい」と、加えて指示を出し一旦通話を切った。


 日本最北の防衛ラインを担っている駐屯地指令の判断は適切であったが、周到に準備された脅威の前に、それは瑕疵にすらならなかった……


---


 午前5時10分、名寄駐屯地。


 鈍い金属音が駐屯地全体から響き、防護壁が展開されると同時に、サイレンが低く響き始める。


 非常呼集によって、それぞれの配置へ急ぐ隊員の殆どは、訓練時以外で防護壁が作動している光景を見たことが無く、各員は不安を押し殺した表情で移動していた。


 駐屯地入口当直の河村陸士と、山田陸士長は、ゲートの詰所前に歩哨に立ち、警護のシェムカの到着を待っていた。

 駐屯地外周は既に防護壁が展開されていたが、二人が詰めている入口は、地域住民の窓口を兼ねていたため、現状閉鎖は見送られている。

 

「何ですかこれ?やばくないですか……?もう閉めた方がいいんじゃ……?」


 山田よりも一回り若い河村が、周りを見ながら、心底不安そうな表情で上官である山田へ尋ねる。


「馬鹿言うな河村。万が一住民が来たら受け入れにゃならんだろ。何よりそれは命令違反だ」


 山田は憮然とした表情で河村を諫め、90式6㎜アサルトライフルを抱え直す。

 二人は国道40号方面を向き、周囲に目を凝らしているが、目の前には見慣れた夜の雪景色が広がるばかりで、防護壁が展開されるほど深刻な予兆は見当たらない。


(そもそも、何かあれば基地の対地レーダーが見付けるだろうに。迎撃の火戦も上がってないのに、防護壁の展開を先行するとは……何かの訓練なのか?)


 部下へは威厳を保ちつつも、中途半端な感じが否めない現在の配置に、山田なりの不満はあったが、このタイミングにおいて、レーダー、通信が不全となっている現在の状況を、駐屯地内の全隊員に行き渡らせるには、あまりにも時間が足りなかった。


 それ故、視線の先に街灯に照らされた蜃気楼の様な雪煙を認めても、住民からのサイレンに対する苦情でも言いに来たんだろう、位にしか理解が及ばず、目視で確認出来る距離まで報告を上げなかった。


「あれ、なんか変じゃないですか……?」


 相変わらず自衛官らしくない河村の報告にあきれながら、山田も促されるまま前方に目を凝らす。


(ん……?)


 街灯に反射する雪煙は確認できたが、雪煙の発生源が見えない。もし車の類であればヘッドライトなどが確認できる筈だが、それらしい光源はどこにも見えなかった。


「ね?おかしいですよね??」


「ちょっと黙ってろ」


 オロオロするばかりの河村を叱責し、山田は暗視装置付の双眼鏡を取り出す。

 そしてレンズを目に当てたが、やはり雪煙のみで発生源が特定できなかった。山田はベゼルを調整し、雪が吹き上がっている地表にピントを合わせ、再度発生源の目視を試みた。


「なんだ、あれは……?」

 

 山田がピントを合わせた瞬間、目に飛び込んで来たのは、奇怪な形状をした生物の様な集団がこちらへ突進してくる様だった。


(か、数は……!?)


 報告を上げるため、その数を確認しようと強めにレンズを当てたが、見えたのは数ではなく、もっと危険な物であった。山田は即座に双眼鏡を投げ捨て、河村に怒鳴る。


「河村ぁ!司令部に報告上げろっ!敵襲だっ!!」


「え、え、な、なんですか??」


 山田の気迫に押されながら、携帯端末からの送信手順を忘れ、ゲートの詰所へよろよろと足を向けた河村が尋ねたが、その答えはセミオートにセットされたアサルトライフルの耳をつんざく炸裂音だった。


 山田はこちらに向かってくる雪煙に、6㎜徹甲弾を撃ち込み始めた。

 30発の弾倉を瞬く間に打ち尽くし、山田はすぐさま次のマガジンを装填し射撃を再開する。扇状に射線を張っている事から、対象は道幅目一杯に広がっているようだった。


 訓練以外、実弾射撃の経験が無い河村は、鬼の形相でライフルを連射している山田に恐れをなし、脱兎の如く詰所へ飛び込んだ。

 内線に手を伸ばしながら、河村は詰所の前方で3つ目のマガジンを装填している山田の姿を見る。そしてその先約30mに迫る、蠢く接近者の姿をようやく確認出来た。


 雪煙を上げながら突進して来るのは、一見すると大きな蜘蛛のように見えた。

 しかしサイズがまるで違う。

 全長は約1mほどあり、体毛の様な物に覆われているように見えるが、よく見ると金属質の表面も確認できた。体形は丸みを帯び無害のように見えるが、体から生えたその四肢は、まるで昆虫の類を思わせる形状であった。その四肢が目にも止まらぬスピードで前後に動き、こちらへ近づいてくる。


 まるで、B級のモンスター映画に出てくるような姿だったが、山田が「敵」と判定した根拠を河村も自身で確認出来た。

 それの本体と思われる背部から、小型ではあるがミニガンと思しき銃身と本体基部、給弾ベルトが、本体を割るような形で突き出ていた。機械仕掛けの武装兵器だったのだ。

 そして、動物の頭部と思しき部分が前方へ折れ、そこからの筒状の砲身の様な物が前方へ向け生えており、迫りくる全体の数は目視では数えきれない程であった。

 

 前傾し折れている動物の頭部が、犬を模していると理解した河村は、そのグロテスクな姿に小さな悲鳴を上げたが、それに応えるかの様に、20mに迫った集団の一匹から小さな光点がきらめき、同時にモーターの様な音が響いた。


 次の瞬間詰所の窓ガラスが、バケツで水を撒いたような音と共に真っ赤に染まった。

 

 そして、ガラスの表面に人間の眼球の様な物が張り付いている様を見てしまった河村は、それが山田の残骸と理解する前に、詰所のガラスを突き破り侵入したグレネードの炎にその意識を焼かれ爆散した。


---


 午前5時15分、名寄駐屯地指令室。


「西ゲートに爆発を確認!」


 着替えもそこそこに指令室へ駆けつけた村田に、基地内の監視システム担当からの切迫した声が浴びせられる。


「侵入者か?」


 外部からの攻撃と、敷地内に侵入されるのとでは、状況が天と地ほども異なる。村田は祈る様な気持ちで部下の返答を待ったが、返って来た答えは次の指示を躊躇う内容であった。


「現時点では確認が取れません!カメラに何か映っている様に見えますが、これは一体……?」


(何故即座に暗視に切り替えない??)


 部下の慌てぶりに内心舌打ちしながら、村田は努めて冷静な声を上げる。


「暗視に切り替えろ。MPGは援護に向かっているか?」


「い、いえ。まだの様です……暗視、切り替えます!」


 発進準備の進捗すら報告がままならない混乱に、村田の首筋に冷たいものが走った。(まずは落ち着け)自分自身にも言い聞かせながら、司令の席に着席し、「映像を回せ」と、再度指示を出す。


 「はっ」という返答と共に、目の前のモニターに映し出された西ゲートの状況に、村田も言葉を失った……


 暗視へ切り替わったモニターに映し出された西ゲートは、銃撃戦の様相を呈していたが、幾ら目を凝らしても、敵らしい影が見えない。

 まるで何も無いところに、隊員たちは射撃をしているようだった。しかも何かを恐れるように、ほぼフルオート状態での射撃だった。教練とは全く異なる応戦方法に、村田は怒りよりも疑念を感じる。


(確かに敵の銃火も見えるのだが……)


 そして、その隊員たちが冗談の様に次々と斃れていく。中には一瞬で上半身が消し飛んでしまう者も居た。モニターからも既に統制が取れておらず、各個に応戦している状況が伝わって来る。


 村田は目を逸らさず、痛恨の面持ちで見知った隊員が死んでいくモニターに敵影を探した。そして、道路の影の様に見えていた箇所が、ぞわぞわと蠢いている事に気付き眉をひそめた。


(これは……)


 蠢いている影は、小型の機械が寄り集まって形成され、影の様に見えていたのだった。それが集団をなして、基地内へ侵入しその体から、多脚の小型可動式砲台に似た兵器を突き出している。


(これは確か、数か月前の勉強会で見た、AI制御の拠点制圧兵器か……?しかしあれは、あの国が……)


 まさか、と次の思考を紡ぐ前に、村田の耳に悲鳴に近いあらたな報告の声が飛び込む。


「防護壁を越えて来る大型の影を確認!複数です!」


 村田は報告した通信員を振り向き、「何なのか不明では対処が出来ん!確認しろ!!」と、遂に大声を張り上げてしまった。


(まずいな……)


 しかし、司令の醜態は指揮を著しく下げると理解していても、こうも状況が分からないまま被害だけが拡大していく様を、冷静に見続けられる性格の村田ではなかった。

 慎重を身上としていたが、(今回は裏目に出たか……)そんな言葉を呟く弱気な胸中を見透かしたように、通信員の報告が追い打ちを掛ける。


「MPG……?侵入した大型の機体は、M、MPGとの報告あり!数は6!基地内に散開した模様!!」


 その最悪の報告に、今度こそ村田は言葉に詰まってしまった。


(MPGだと?しかも6機……?)


 MPGの様な大きな敵も事前にキャッチ出来ないのか!?と叱責を飛ばそうとした村田だったが、その言葉は喉に絡まるだけで口をついて出る事はなかった。


(この為のジャミングか……)


(しかし、一体どこに隠れていた……?航空機からの降下なら空自が敵機の侵入を許す筈がない……)


 次々と疑問が湧き上がったが、今の村田にその答えは見いだせなかった。

 ただ、敵は完璧に準備を整えこちらを襲撃して来た、という事実だけは、今の状況を見ても明らかだった……


---


 午前5時10分、ピヤシリスキー場付近。


 6機のゲイレルは、ピヤシリ山を迂回後、暗闇の中にも白銀の輝きの一端を垣間見せるピヤシリスキー場を抜け、真っ白な地表に黒い線を描く天塩川に到達した。


 河川の脇には身を隠せる森が続いている。

 MPG達はジャンプの距離を抑えつつ、天塩川に沿って流れるように川面すれすれの高さを移動する。


「ドール部隊の交戦を開始。予定通り西ゲートを突破し侵入に成功」


 抑揚の無いニコライの声がヘルメットに響く。この距離ではまだ目視出来ないが、あともう数回ジャンプすれば、相手の懐に飛び込める。アドレナリンの分泌を感じながら、アレクセイは努めて冷静な声を全機へ入れた。


「敵陣地内侵入後は、作戦通り散開。それぞれ目標の殲滅に集中しろ。LCIWS(地上用近接防御火器システム)を先に片付ける。MPGとヘリは徹底的に叩け」


「了解」


 アレクセイの指令に全機がほぼ同時に応える。

 そして、それが合図になったかのように、ゲイレル隊は森の影から、駐屯地まで1㎞あまりの平野部へ躍り出た。


 まだ太陽が昇る気配すらない暗闇に反射する一面の雪の原に、黒っぽい影が見えたかと思うと、まるで後光を背負ったかのように、その姿が青白く輝き直後に轟音が響き渡る。

 途中で一度着地し、雪の大地を抉りながら雪煙の煙幕を纏い、各ゲイレルは次々と最後のジャンプを敢行した。


 最後のジャンプは、道道252号線はおろか、既に展開が終了していた防護壁をも軽々と飛び越え、6機全てが基地の境界線を越える。


 各機のモニターには駐屯地内の状況が画面一杯に映し出され、アレクセイの360度ディスプレイに、目標を索敵するマーカーが忙しなく動く。

 近接防御の火器システムはまだ稼働していないようだった。対応の遅れは、彼らの計画通りだった。

 画面の左端には、複数の小さな炎と細い火線が見える。そして正面やや右に、格納庫から前進する敵MPGが確認できた。 

 こちらにはまだ気付いておらず、状況が把握出来ていないのか、動きに迷いがあるようだったが、索敵マーカーはそれをロックオンし、ディスプレイ上でガンレティクルへとその姿を変えた。


 ディスプレイに投影された状況を瞬時に確認したアレクセイは、「状況開始」と吹き込み、50㎜サブマシンガンのトリガーを引き絞った。


 自分の放った弾丸が、炸裂音と共に敵MPGに吸い込まれていく様子に、アレクセイの口元は綻び、そしてその両端が喜悦を帯びた形へと変わっていったのだった……


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