第二十三話 進撃の巨人たち
午前3時03分。
既にクラシックの域に入ったメルセデスのGクラスが、プラクティスグラウンドに入ってくる。
この時代、ガソリンエンジン車はかなり希少だ。雪を泥除けで跳ね上げながら走る重厚な車体は、降り続ける雪の中でひときわ存在感を放っていた。
その車はMPG格納庫前で関係者用の駐車スペース前まで来ると、駐車の枠を無視するように、その車体を斜めに止める。
ボディは年式相応の傷みがあるが、アイドリングは安定し異音も全く発していない。所有者が車体を大切にしているのが分かった。
いくつかの凹みが刻まれたドアが開くと、冬季迷彩の防寒具を着用した里香が降りてきた。
「どんな感じっスか?」
保が駆け寄り声を掛ける。彼の顔には疲労の色が見えるが、目は緊張感で冴えていた。
「取りあえず、手持ち全部仕込んで来たよ。ただねぇ、相手の事が何にも分からないからね。どこまで通用するか……」
そう言って、里香は今は暗闇に溶け込んでいる学校の方角を見つめた。
「ところで佐久間は?もう戻った?」
里香は防寒具を脱ぎながら、保と一緒に未だ作業音が響く煌々とした格納庫へ向かう。里香と祥吾のシェムカを運んできたトレーラの姿は既に無かった。
「はい。今さっき。二尉と祥吾の機体立ち上げまでやってもらいました」
保は時折後ろを振り返りながら話を続けた。
「今、俺んとこのチームで、兵装リンクの接続作業をしてます」
格納庫内には緊迫した空気が流れていた。里香と祥吾のシェムカが横並びになり、そこに数人の整備士が取り付き作業が進んでいる。里香は中央まで進み自機を見上げた。
「徹夜になっちまって悪いねぇ!助かるよ!」
里香が作業をしている保のチームに謝辞の言葉を掛けると、全員が作業の手を止め姿勢を正す。皆若く、全員やや緊張の面持ちだった。
「大丈夫っス。気にしないで下さい。みんな二尉のファンなんスから」
保がそうやって説明している間も、チラチラと里香を盗み見している者もいた。
「ファンぅ?あたしの??」
里香が呆れたように聞く。
「そうスよ。知らないのは二尉だけっス。あの佐久間さんだって……あ……」
佐久間の名前を聞いた里香の目が、一回り大きくなったことに気付いた保は、目を逸らしながら、「い、いや、あれっスよ……整備の連中はみーんな二尉のファンって事っス!」と、慌てて付け足す。
「……そうかい。わかったよ」
里香は軽く肩をすくめた。
「いずれにしても助かる。もう少し頑張ってくれ」
微笑んであらためて礼を言った里香は、整備士達が顔を赤らめるのを横目に、周りを少し見渡し、「服部。佐久間からあたしにって何か頼まれてない?」と聞いた。
いきなり違う話題を振られた保は、あたふたしながら里香を格納庫の奥へ案内した。
「た、多分、これっスよね?」
MPGが並んでいる一番奥のスペースに広げられた、ビニールシートを指して保が答える。そこには複数の黒い機械的なパーツが並んでいた。
「そうだ。まともに動きそうかい?」
里香がシートの上に並べられているパーツの一つを手に取りながら尋ねる。その形状は人体の一部に装着できるよう設計されたもののようだが、具体的な用途は見た目だけでは判断しづらい。ただ、基地から正規のルートで持ち出したものではないことは、保の緊張した表情から明らかだった。
「そうっスね。シェムカの準備が終わったら細かく確認しようと思ってたんスけど、ザッと見た感じは大丈夫そうスね」
里香は保の説明を聞きながら、端から順にパーツを手に取り戻す動作を繰り返す。
「わかった。頼む。いざって時はこれも使うからね」
手に取った最後のパーツを戻しながら、里香は保に目を向ける。
保は、ビニールシートに目を落しながら、「でも、佐久間さんからは、出来るだけ使わせるなって言われて……」と、やや心配げに呟いた。
「心配すんなって。無理はしないからさ」
里香の口調は軽いが、その目には決意の色が宿っていた。保はそれ以上反論することができず、ただ静かに頷いた……
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午前4時30分。
夜明けまで、まだ約2時間ほど夜の暗がりが続く頃、一向に弱まる気配の無い雪が降りしきる雄武港。停泊中の大型遠洋漁業船船尾から、圧縮された空気音と共にワイヤーが射出された。
射出されたワイヤーの先には、円錐状の金属が取り付けられており、射出の勢いで港の岸壁に突き刺さると、円錐状の底の部分が3つに分かれて岸壁に食い込み、さらにワイヤーを固定する。
固定が確認されると、ワイヤーを射出した付近から、ウィンチのような巻き上げ機械の唸り音が聞こえ始め、それに合わせて弛んでいたワイヤーが張られていく。
そして、岸壁に対して垂直に停泊していた船体が平行へと移動すると、海側に面していた甲板が港側へ露わになり、濃灰色の装甲に雪を被った3機のMPGが姿を現す。
甲板に並んだMPGのマニピュレーター(機械の腕部)には、GR-II50㎜サブマシンガンが保持され、両肩には20㎜バルカン砲が2門、右腕部には近接戦闘用武装のヘッジホッグニードルが装備されていた。そして機体後部に背負ったウェポンベイ内部には、36発のMHK-2垂直発射型超小型ミサイルが内蔵されていた。
「船体固定。周囲索敵完了クリア。いつでも出られます」
船からの通信がヘッドギア内のスピーカに響く。
その間に傍らの僚船も、1隻目と同じ態勢へ船体を移動させた。
「アレクセイ了解した」
指揮官のアレクセイは落ち着いた声で応じた。
「諸君、聞いての通りだ。計画に従い作戦を開始する。準備は良いか?」
部下たちからの声がヘッドセットに次々と入ってくる。
「ボリス準備よし」
「グレゴリー準備よし」
「イワン準備よし」
「ニコライ準備よし」
「オルガ準備よし」
5名分の復唱が各員のヘッドセットに響き、同時に各ゲイレルの稼働音が高まる。エンジン音と共に、コクピット内の照明が点灯し、操縦システムが完全起動した。
「IFF(敵味方識別信号)は切っておけよ。ここからはロシア語オンリーだ」
アレクセイは部下たちに最後の指示を出した。
「……全機発進!」
ロシア語によるアレクセイの号令のもと、パイロット達はAIに「前進」と音声指示を入れると、脚部から僅かなアクチュエーター音が漏れ、ターボファンジェットエンジンを装備した、特徴的な形状の脚部が可動し、各機体は甲板から岸壁へと上陸を開始する。
港の狭い岸壁に、6機のMPGが並ぶ様は、これから海を渡ってどこかへ輸出されるような、まるで逆の印象を抱かせる。しかし、彼らの目的は輸出ではなく、侵攻だった。
全機上陸を見届けた後、船に残った作業員は、固定索を外し小型ボートへ乗り移った。
「離脱完了」
流暢なロシア語がアレクセイの耳元で響き、「了解した。オルガ。やれ」と殿を務めるオルガへ指示を出す。
「了解」
1機だけ前進せず、待機していたゲイレルが、サプレッサー(消音・消炎装置)付50㎜サブマシンガンを構えた。作業員を乗せた小型ボードが、安全圏へ離脱したことをモニターで確認したオルガは、甲板中央に鎮座している約1m四方の白い箱に照準を定める。
「1秒掃射」
AIに音声指示を出した刹那、軽めだが鋭く発せられた連続音と共に、サプレッサーの先端から弾が吐き出される。
そして、コンマ1秒にも満たず白い箱は、粉砕され中に収められていた爆薬を起爆させると、轟音と共に船は紅蓮の炎と共に大爆発を起こした。
ディスプレイが爆発の光量の調整を瞬時に行う中、オルガのゲイレルは即座に残りの船へも掃射を行う。
数秒も置かずに起こった2度の大爆発は、その衝撃で付近の民家も揺るがした。静かだった港町に突然の轟音が響き渡り、幾つかの窓に何事かと明かりが灯り始める。
2隻の船は、船体中央からキールが真っ二つにへし折れ、見る間に沈没していった。彼らの来た道は消え、後戻りはできなくなった。
船の始末を見届けたアレクセイは、「上手く拾って貰えよ。無事を祈る」と、離脱した小型ボートに無線を入れ、次いで「全機エンジン点火」と、隊全員へ指示を飛ばす。
僅かの時間を置き、各ゲイレルの脚部に装備されている合計推力6トンの小型ターボファンジェットエンジンに火が入ると、足元の雪が渦を巻いて雪煙のように舞い上がった。
「ボリスを先頭に縦隊NOE(地形追随飛行)ジャンプにて目標ポイントへ向かう」
アレクセイの声は冷静さを保っていた。
「着地地点に出現する障害物は気にするな。ゲイレルの装甲なら薙ぎ倒せる」
アレクセイから矢継ぎ早に指示が入り、各パイロットは360度ヘッドマウントディスプレイを暗視画像へと切り替えると、そこへ重なるように予めデータリンクにて送信された目標までのルートマップが表示される。
「縦隊フォロー。NOEジャンプスタート」
先陣を切って、ボリス機がジャンプを行うための助走を始め、アレクセイ機もAIに音声指示を出しそれに続く。
脚部が着底する度、地響きと共にゲイレルの質量を受けたコンクリートの地表が抉れる。彼らの通過した跡には深い足跡が残る。しかし、ジャンプには百メートル未満の助走で十分だった。
ジャンプ可能な速度へ達したゲイレルは、脚部ジェットエンジンにアフターバーナーを掛け、雪煙と共に10mの巨体を浮き上がらせる。
浮き上がった機体は、ジェットエンジンの可変ノズルの推力によって、前方に押し出される力を得て、ロングレンジジャンプの姿勢をとった。
雪が吹き溜まった家の窓を開け、唖然と見上げている住民の頭上を、ジェットエンジンの咆哮と青白く光るアフターバーナーの尾を引きながら、6機のゲイレルが滑空していく。
機体は屋根ギリギリの高度をキープしながら、雄武港から国道238号線まで飛翔したジャンプ力は、優に500mを超えていた。まるで巨人が飛び跳ねているかのようだ。
国道238号線へ着地したゲイレルは、衝撃で国道のアスファルトを陥没させた勢いを利用し、2回目のジャンプを試みる。そして、その勢いは雄武小学校のグラウンドをも越え、ジャンプを繰り返しながら平野部を突き進み、やがて道道60号線沿いへと侵入していった。
道沿いとは言え、山間部は樹木や障害物が多く、時折ジャンプの距離が短くなる。
着地の度に木の破断する音が雪を被った山間に響き渡り、太い幹や枝がゲイレルの装甲を叩き続けたが、コクピットの一部を司っているダメージセンサーは、オールグリーンの表示を保ったまま、巨人の集団は一定の隊列を崩さず所定のルートを進み続けた。
事実、ゲイレルは、シェムカと同じMPGとは思えないほどの機動力を有していた。
表現の上では、第一世代と第二世代の差という、僅かな違いでしかなかったが、実際に稼働している姿を目の当たりにすると、例えば魔法で自在に体を操れる人間と、使えない人間ほどの差があるように見える。
英明が抱いていた危惧が、間もなく最悪の形で証明されようとしていた……
悪天候という幸運も重なり、ゲイレル部隊は山間部の吹雪に紛れて60号線を西進した。
そして、神門の滝付近から60号線を外れ、ピヤシリ山を北に迂回するルートへ入る。
「チェックポイントだ。ドールを起動させろ。同時にECM(電子対抗手段)開始」
アレクセイは無線機を通してニコライに指示した。
「了解。ドール、及びECM起動。ES(電子支援)、及びTEWS(戦術電子戦システム)支援確認」
アレクセイの指示にニコライが応える。
瞬間、ゲイレル内の通信システムにエラー表示が現れたが、直ぐにグリーンへと変わった。
この時点から、名寄地区全ての電波機器が使用不能となった……
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「やはり……来たか」
英明は、自身のウェアラブルフォンのディスプレイエラー表示を確認して、呻くように呟いた。彼の表情には、予想していた危機が現実となった瞬間の複雑な感情が浮かんでいた……
同じ頃、プラクティスグラウンドのMPG格納庫では、仮眠を取ろうとコントロールルームの椅子に横になっていた里香も飛び起き、矢の如く階下へ駆け出す。
(くそっ!ハニーの勘……当たっちまったようだね……)
里香の駆け下りる足音がアラームとなり、格納庫全体に緊張が走った。
「来るよっ!火ィ入れなっっ!!」
スクランブルに等しい号令が下り、ストーブの周りで休憩していた整備士達がそれぞれの担当機体へ散った。
しかし里香は、自分のシェムカに乗り込むことはせず、格納庫奥へ向かったのだった……
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名寄市内から少し離れた墓地は、深い静寂に包まれていた。降り積もった雪に覆われ、無数にある墓石の形は曖昧になり、地べたに伏していた物達は今や僅かな雪の隆起を形成しているに過ぎなかった。
しかし、その一部が不自然に崩れると、その波は徐々に他の隆起にも伝染していった。まるで地中から何かが目覚めたかのように。
遠くの山々から僅かに響く、雪崩に似た音に呼応するかのように、その密やかな変化は次第に広がっていった。
雪の下から、何かが動き始めていた……




