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第二十二話 真夜中の秘め事

 午前0時11分。


 自宅玄関のドアを静かに開けた結花は、ブーツを脱ぎ、明かりを点けずそのまま2階へゆっくりと上がっていく。雪を踏んだ靴の後ろに、小さな水たまりができていた。


 夕食を採った後、英明と共に、AIにヒトの疑似ニューロン(脳神経)をエンコードさせる最終調整作業を行っていた結花だったが、経験値のエンコードにはどうしても一定の時間が必要であり、やはり今晩中の完成は難しいという結論に至った。


 つまり、現状においては、英明と結花で開発しているシステムは不完全な状態であり、このままでは複雑でデリケートな操作を要求される一定レベル以上の兵装に使用することは難しい。このAIシステムは、本来戦闘状況でも確実に機能する高度な判断能力と反応速度を持つはずだったが、それには実際の戦闘経験をプログラムに落とし込む必要があったのだ。


 そこで英明と結花は、別のプランへの方向転換を余儀なくされた。


 実際、そのプランは今計画を進めるにあたり初期の選択肢の中に含まれてはいた。

 しかし、開発の最終ゴールは、AIによる完全で完璧な無人兵装であったため、あくまでも本計画の実験支援用として、同時に準備だけは進めているという状態だった。


 このシステムであれば、プログラムを少々変更するだけで、使用可能になるはずである。

 現状、何らかの脅威が迫っていると仮定した上で、開発中である特殊兵装を稼働可能な状態へ、一刻も早く移行する必要があった。しかし、このシステムには稼働中の不確定要素が多く残っており、その最たる部分が「コア」と呼んでいる、必要な経験値が蓄積された脳組織だった。


 戦闘経験豊富な人間の脳内にある、状況判断や反射神経、生存本能といった要素を人工知能に取り込む——その方法を模索していたのである。


 しかし、生身の人間から脳組織だけを摘出するのは、倫理的問題から適切とは言えず、また、そもそもそのような経験値を蓄えており、なおかつ脳死前に摘出できる機会はほぼないと言ってよかった。

 

 そうした試行錯誤を経て行き着いた案が、適切な経験値を有し、生存している人間をそのままシステムに組み込むという解決方法だった。つまり、MPGパイロットとしての戦闘経験を持つ人間を兵器システムの一部として機能させる方法である。早急な対応に迫られている現状では、取り得る選択肢は一つしかなかった……


 結花は胸が締め付けられる思いで階段を上がっていた。自分たちが開発していたものが、単なる実験段階の技術ではなく、実際に使用される可能性が高まったことの重みを感じていた。そして、「システムに組み込む」人間として、彼女の頭に真っ先に浮かんだのは——


---


 祥吾の部屋の前で、一旦立ち止まった結花は、俯きながら奥の自室へと足を向けた。

 冷え切った廊下から部屋に入ると、暖房が効いていて空気こそ暖かかったが、それでも結花の心を温めることはできなかった。

 着替えを抱え、再び冷たい廊下から階下へ降り、脱衣所へ向かう。

 脱衣所に入ると、結花は手早く制服を脱ぎ、シャツのボタンを外した後は、室内の鏡を見ないよう背を向けたまま、身に着けている残りの衣類をカゴに放り込み、風呂場へ逃げ込むように入った……

 

 湯船の暖かさは冷えた心を溶かしてくれると期待した結花だったが、じっとしている時間は今日起きた出来事を思い出させるだけだった。不安と焦燥、そして心の隅に張り付いたままの小さくて黒い感情——杏への嫉妬と罪悪感——が、グルグルと頭の中を回り続けていた。


 起きるかもしれない現実、突然間に割り込んできた感情、自分がこれからなすべきこと、そして想いの向かう先……


 表向き冷静に振る舞っていても、頭の中はぐちゃぐちゃに乱れ、整理できないまま湯船から出た結花は、湯気によって曇っていく脱衣所の鏡に映った自分の姿を、漫然と見つめていた。

 

 肩甲骨が浮き出た細い体や、緩やかに隆起した胸の膨らみが徐々に見えなくなっていく様子に、結花は自分の未来を見ているような錯覚に陥った。「もうすぐここを離れる」という現実が、鏡に映る自分の姿のように霞んでいくように感じた。バスタオルで慌てて曇りを拭ってみたが、鏡面に拭き跡がくっきり残り、さらに自分の輪郭がぼやけるだけだった……


 さっきと同じように、鏡に背を向け、急いでパジャマを着込み自室へ戻る。

 そのままベッドへ横になりたかったが、ドライヤーを思い出し、タオルで拭いただけの髪を無意識に乾かし始めた。

 

 やがて、部屋に響くドライヤーの音が、整理のつかない思考となって、再び結花の頭の中を巡り始める。


(……顔が見たいな)

 

 突然現れた思いに、ドライヤーに合わせて髪を触っていた手が止まる。

 自らの内に発せられた言葉に驚きながらも、それに突き動かされるまま、結花は半ば衝動的に廊下へ出た。


 そして、隣の部屋のドアノブにそっと手を置き、躊躇いながらも徐々に力を入れていく。その指先は微かに震えていた。

 人が通れるほどまでドアを開けると、暖められた中の空気が流れ出て、結花の火照った顔に絡まった。

 その空気に絡めとられ、引き摺られているかのように、やや覚束ない足取りで部屋の中へ進む。


 自宅前の街灯に照らされた雪が反射し、それによって部屋の中は思ったよりも明るかった。青白い光が窓から差し込み、部屋の中の物の輪郭をくっきりと浮かび上がらせている。


 わざと部屋の奥には焦点を合わせないように、その手前をぐるっと見回す。

 漫画や参考書(少しだけ)が並べられている棚の横には、数本の釣り竿が立て掛けてあり、それに重なるように大きなシェムカのポスターが貼ってあった。これは基地で開催されたフェスティバルで、来場者向けに配付していた物だ。

 棚の上には、改造されたシェムカの模型が、ライフルを構えたポーズを付けて飾ってある。


(お兄ちゃんの機体に合わせたんだ……)


 背中を丸めていそいそと模型作りに励んでいる祥吾の姿を思い描いた結花は、それをきっかけに、思い切って部屋の奥へ視線を移した。


 カーテンが閉め切られていない窓から入り込む灯りに照らされたベッドに、祥吾が眠っている姿が浮かんでいる。

 速くなっている動悸を自覚しながら、結花はゆっくりとベッドへ近づいた。足音を立てないように、絨毯の上を慎重に歩む。

 部屋が暖かいせいか、毛布は捲り上がり、スエットを着ている祥吾のほぼ全身が見て取れた。乱れているシーツも含め、その寝相の悪さを想像した結花は、少しだけ微笑んだ。


 祥吾は窓側に顔を向けて寝ていたため、結花からはその表情がよく見えなかった。

 ベッドに膝と手をついて、祥吾の顔を覗き込んだとき、まだ乾ききっていない結花の髪が祥吾の頬へはらりと落ちる。

 (あ……)と、思わず身を引くよりも僅かに早く、俯せだった祥吾が大きく寝返りをうった。

 寸でのところで避けた結花の鼻先に、祥吾の寝顔がアップになる。


「はぁ……」


 声にならない声と一緒に、結花の口から吐息が漏れた……


 里香譲りのしっかりとした鼻筋から、厚めの唇を視界に入れた結花は、(唇、乾いてる……)と思いながら次第に目を瞑り、磁石に吸い寄せられるように自分の唇をそこへ重ねた。

 パジャマの上から、胸の膨らみに祥吾の肩があたる。しかし、それを押し付けるように、結花は祥吾へその身を寄せる。長い時間を共に過ごしてきた相手への、抑えられない想いが彼女を突き動かしていた。


(起きたって……いい……)


 雪の色と同じように、真っ白にスパークした頭の中で、結花はその感覚に身を委ね、全身で感じるようにその腕を祥吾の体に回そうとした時、僅かな電子音が耳に入ってきた。


「……!?」


 自分の唇を押さえながら、咄嗟に身を起こした結花は音の出所を探し、「お父さん?」と呟いた。


 その音は結花のウェアラブルフォンの着信音だった。どうやら部屋を出るとき、ドアを閉めなかったらしい。英明からの着信音が、音が消えた家の中を伝わり、祥吾の部屋へ入り込んだのだった。


 結花はゆっくりとベッドから離れた。祥吾は寝返りをした格好のまま眠り続けている。彼の呼吸は規則正しく、わずかにいびきが混じっていた。

 今晩に限っては、父親からの連絡に出ない訳にはいかない……

 

 名残惜しさ、罪悪感、優越感、そして少しの後悔が綯い交ぜになった気持ちがまとまらないまま、結花は自室に戻った……


---


 午前2時22分。


 雄武港に停泊する2隻のロシア船籍の大型遠洋漁業船からは、雪が降りしきる中、絶え間なく機械作業の音が響いていた。しかしこの時間、港へ近づく者は皆無であり、誰一人その音に気付いた住民はいなかった。


 水面にはいくつかの黒い影が浮かんでいたが、降り積もる雪のせいで、それが何なのか判別するのは困難だった。


 船の内部では、船員と思しき男たちが自らの役割を果たすべく、黙々と作業に従事していたが、ブリッジの真下に位置した船の通信室からは、周りの喧騒とは別種の硬質で密やかな会話が粗末な扉から漏れていた。


「ドールから受信した最終データの分析終了」


「目標エリアの状況は?」


「前回と変わりありません」


「TADIL(戦術デジタル情報リンク)で全員へ回しておけ。ドールは待機モードとし、タイマー起動とトランスミッター起動の双方をセット」


 冷静な声で指示を出す男の口調には、緊張感が滲んでいた。


「了解」


「ECMの状況は?」


「搭載ドールも予定ポイントにて待機完了。作動も確認。衛星軌道上からのES(電子支援)、及びTEWS(戦術電子戦システム)待機確認」


「タイミング外すなよ。MPGは?」


「各機タイムスケジュール-05にて作業継続中。0355に完了予定」


「よし。ボリス、グレゴリー、イワン、ニコライ、オルガの各員にブリッジへ招集を掛けろ。最終ブリーフィングを行う」


「了解。招集します」


 そう締め括った通信機器の前に陣取る男の肩を叩き、船長と呼ばれている男はブリッジに上がった。そして、正面下方に見える甲板の状況を確認する。


 そこには3機のMPGが組立換装作業のため、簡素なクレーンに吊られていた。直ぐ横の僚船の分も含めると、MPGの数は合計6機。これら全てのMPGに、火力重視の拠点制圧兵装取付が進んでいた。


 "ゲイレル"


 彼らの所属する組織においての、これらMPGの呼称である。仇名は"ラウンドヘッド"。

 黒に近い濃灰色に覆われた機体は、シェムカより一回り大型の第二世代機である。


 仇名が示す通り、丸みを帯びた頭部は愛嬌すら感じられたが、腕部に見える短針兵装に備わる無数の突起物は、その形状と威力から、畏怖の念を込め"Cruel Death/惨たらしい死"と呼ばれていた……


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