第十八話 窓越しの嫉妬
午後5時50分。
(もう帰っちゃったかな?)
圭子とのチョコレート作りが終わった後、やはり模擬戦の行方が気になり、結花はプラクティスグラウンドへ足を向けていた。
イーロンの授業にMPG実習は必須科目だったので、結花も搭乗はできた。しかしイーロンにも得手不得手はあり、原理やメカニズムへの理解は常人のそれを大きく超えていたが、操縦自体は一番の苦手科目だった。
よって、結花にとっての模擬戦は、中距離レンジからのペイント弾の打ち合い程度でしかなく、教官も適性を見てそれ以上の事は求めなかった。だからこそ、格納庫へ足を踏み入れた時の驚きは、まるで普通の女子高生のそれと同じだった。
「なに……これ?」
激しく損傷した2機のシェムカを見た瞬間、頭の中の心配は「まだ兄は帰らずに居るだろうか?」から「大怪我をしているのではないか?」へと一変し、アラームがけたたましく鳴り響いた。
結花は居ても立ってもいられず、機体が積載されているトレーラの傍らの保に声をかけた。
「あ、あの!これに乗ってた人たちは、今どこにいるか知ってますか!?」
突然大声で背後から声をかけられた保は、驚いて手に持っていた端末を落としそうになる。
「わぁっっとぉ……! なんだよ!びっくりさせんじゃ……あれ? 祥吾の妹?……」
「あ……保さん……お兄ちゃんは大丈夫だったんですか!?」
校内では服部さんと呼んでいる保のことを、思わず「保さん」と呼び、祥吾を「お兄ちゃん」と呼んでしまった結花は、気が動転して普段の自分を忘れていた。
保は、「あいつならピンピンしてるよ。上にまだ居るんじゃねえかな?」とあきれたように言い、「それよりも結花、これ見てくれよ!ひでえ……」と続けてシェムカに向き直り、大仰に手を振って愚痴をこぼそうとした。だが、その時には既に結花は階段を駆け上がっていた。
「だろ……あれ? 行っちゃったよ……」
コントロールルームにはまだ灯りが灯っていた。その灯りに少し安心した結花は、何故か室内を窺うように、ドアの窓越しにそっと祥吾の姿を探した。
祥吾は正面の複数のモニターに映し出されている映像に見入っていた。多分、母親から色々説教される前に、言い訳や説明を考えているのだろうと思った結花は、ドアを開けようとノブに手をかけたところで、動きが止まった。
(なんで、私、お兄ちゃんは一人のはずって思ったんだろう……)
コントロールルームには祥吾と同じパイロットスーツを着た杏の後ろ姿も見えた。
杏は祥吾の隣に座り、同じようにモニターの映像に見入っていたが、時折祥吾の方へ顔を向けて話しかけていた。
結花が覗いている角度からは、祥吾の表情は見えにくく、杏の表情はよく見えた。
話している内容は聞こえない。
モニターを一時停止して、二人で何かを話している……
そして、また映像が動き出す。
祥吾は腕組みをして、いつになく真剣な様子だった。
杏は所々で祥吾に意見しているようだ。
それに対して祥吾も何か言い返す……
(なにやってるんだろう、あたし……)
このままドアを開ければ、祥吾は自然と結花を迎え入れるだろう。しかし杏は……
杏の事など気にせず、兄妹なんだから堂々と入っていけばいい……
そんな風にも考えた結花だったが、どうしてもドアを開けることができなかった。
一方でこのまま何も言わずに帰りたくない……それは何故か?心の中で、小さな葛藤から次第に黒っぽい感情が広がり、結花は戸惑いながらもその感情に抗えず、メッセージ画面を開いた。
そして、簡単な文章を祥吾へ送り、その返答を待ちながらコントロールルームの様子を窺う。
祥吾は杏に何かを伝え、すぐにメッセージの返信を打ち始めた。
《今、杏と模擬戦の反省会やってる。引き分けだったよ。これから親父のとこいくんだろ?俺の事は気にしなくていいよ》
間を置かず祥吾から返事があった。
当たり障りのない、今の状況をそのまま伝えただけのメッセージに、結花は行き場のない、もやもやとした感情を覚えた……理由は分かっていたが、それを認めると自分がとても嫌な人間に思えて、それ以上考えまいとした。それよりも……
結花は《わかった。お父さんのところへ行くね》とだけ返した。
それよりも……結花の心を乱したのは、祥吾がメッセージを打っている間の杏の表情だった。
祥吾が返事を打っている間、杏は一時停止されたモニターの方を向いているのだが、時折横目で祥吾の様子を盗み見る……それも何度も……
結花はその仕草に見覚えがあった。いや、むしろはっきりと分かっていた……
黒い感情は消えず、戸惑いも増すばかり。
結花は、その思いを抑えるかのように、肩にかけているバッグを両手でぎゅっと抱きしめ、ドアの前から足早に離れた。
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「結花!」
コントロールルームからの階段を下り、俯きながら格納庫の出口へ向かっていた結花に、里香が声をかける。
「お母さん……来てたんだ」
保と話をしていた里香は、断りを入れ結花へ近づいた。
「祥吾に会ったかい? そんな訳で、お母さん帰りが遅くなるから、気にしないで先に休んでいいからね」
「え……?」
結花が驚いた表情を見せる。
「なんだい。祥吾の奴説明しなかったのかい? 全くあいつは……」
事情を知らない里香は、呆れたように階上を見上げため息をついた。
「詳しい事は後で祥吾から聞いて。これからお父さんのところへ行くんだろ?」
「うん……」
「じゃ、ご飯はお父さんのところで食べな。連絡入れとくから」
「わかった……」
「ん?……なんだい結花。元気ないね?」
終始、心ここにあらずという様子で、こちらの言葉にも上の空だった結花の態度に、里香も心配になる。
「え?……そ、そんな事ないよ……気のせい、気のせい……」
慌てて取り繕う結花に、里香は唇の片方を上げ、「タイツを穿かなかったせいで、告白でもされた?」と、からかうような笑みを浮かべた。
「ち、違うってば、お母さん……あたしへ告白する人なんて居ないの、お母さんも知ってるでしょ……?」
その言葉は里香の胸に刺さった。里親に預けられている期間、イーロン達は交際が禁じられていた。これは公然のルールであったため、イーロンに対して同じイーロンはもちろん、一般生徒からの告白も一切ない。
里香はそんな結花を不憫に思っていても、その事を口にしたことはなかった。でも今日は、もうすぐ結花が手元から離れていくことを思うと、母親として言わずにはいられなかった。
「結花。親の立場としちゃあ、ルールを守れって言うのが正しいって事くらいわかってるんだけどさ。大抵の事は自分の子供がやった事を肯定するもんだ」
「だからあんたも……あんまりため込むんじゃないよ」
結花が何か言いかけたが、里香は、「じゃ、気を付けて行くんだよ。お父さんによろしくね」と言い残し、メカニック達が話し合っている場へ戻っていった。
(あたし、やっぱり感傷的になってるかな?)と里香は思った。もうすぐ結花が巣立っていく現実を前に、自分の感情を抑えきれなかった。
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しばらく里香を見送っていた結花は、母親の言葉を心の中で繰り返した。
そこには圭子の言葉も重なり、さっきまで黒い感情となって心の奥底に広がっていた嫌な何かが薄れていく。代わりに(自分なりの結論を出すべきだ……出したい!)という衝動が、沸々と心の中に湧き上がってきた。不安が全くないと言えばウソになる。しかし、残された時間を考えると、もう迷っている暇はなかった……
結花は、あらためて頭上のコントロールルームを見上げた後、自分に何かを言い聞かせるように、力強い足取りで校門前のコミュータ乗り場へ向かった。




