第十七話 対立の予兆
午後5時45分。
格納庫内のLEDが、半壊したシェムカの輪郭を際立たせていた。その光の下、自販機のボタンを押していた祥吾の耳に、冷たく鋭い声が届いた。
「弓野」
両手にドリンクを持って振り返ると、一真とめぐみがこちらへ歩いて来るところだった。一真の眼は真っすぐ祥吾を捉え、背後のめぐみの表情からは何かを察したような諦めが見て取れた。
「ん?」
何の気負いもなく、祥吾は答えた。一真は祥吾の正面に立つと、祥吾よりも10㎝ほど高い背丈を利用し、わずかに顎を引き、目だけを下に向け祥吾を見据えた。
「あんな操縦と戦術が認められると思うか?模擬戦だからまともそうに見えるが、実戦では役に立たない」
出し抜けに批判の言葉を並べ立てられた祥吾だったが、特に驚いた様子もなく、そのままの調子で返す。祥吾にとって、イーロンたちの言動は既に馴染みのあるものだった。
「あぁ。そうだな。峰の言う通りかもな。俺は実戦を知らない。でさ、峰は知ってんの?」
こちらの批判に従順な振りをして、それでいて答え難い事を聞いてくる祥吾の態度に、一真の表情が険しくなる。彼の眉の間に深い縦線が刻まれた。
「俺たちイーロンは、常に実戦を想定してMPGの訓練を受けている。その上での意見だ」
変わらずの調子で言葉を返してくる一真に、祥吾も変わらぬ調子で答える。
「俺はさ、どっちかって言うと、敵を倒すというよりMPGの操縦が上手くなりたいんだ。その先に、今日みたいな模擬戦や戦闘訓練があるんだけどな……」
「まぁ、戦術とかも色々と教わってはいるけど、一番は、とにかく上手く操れるようになりたいと思ってる」
祥吾は初めてMPGに触れた時から、これを使って敵を倒す事よりも、上手に動かしたいという気持ちが常に勝っていた。
その日の記憶は今でも鮮明だった。11歳の祥吾が初めてコクピットに座り、金属の巨人が自分の意志に従って動く感覚。まるで体の一部が拡張されたような、そして世界そのものが変容したような感覚。それは純粋な喜びだった。
武器を持っての訓練も、MPGに乗れるからそれを行っているだけであって、戦術の習得も祥吾にとっては副次的なものでしかなかった。だが元来の負けず嫌いな性格も手伝って、戦闘訓練を好む好戦的なパイロット訓練生と見られがちではあった。
一方、MPGの訓練と言えば、常に敵の殲滅、掃討を大前提に受けてきたイーロン達にとって、MPGは敵を殺す道具であり、それ以上でも以下でもなかった。
故に、祥吾のMPGに対する取り組む姿勢に、一真は同意する事が出来なかった。彼の目には、祥吾の姿勢は命を懸けた任務への侮辱にさえ映っていた。
「MPGは兵器だ。敵を殺すためにある。その為の操縦レベル向上であって、個人の好みでその優先順位が変わるのは間違っている」
「……俺はMPGに乗る資格が無い、と峰は言いたいのか?」
一真の言葉に、祥吾の目が据わる。
「心構えと、適切な運用について言っている。MPGに乗る以上は、常に意識すべき事だ」
一真は目線だけを下げ、話を続ける。まるで上官が新兵を諭すかのような態度だった。
祥吾は表情を変えずその話を聞いていたが、「その事を理解せずに、特に我々の前でMPGに乗るのはやめて貰いたい」と、重ねて発せられた否定の言葉に、スイッチが入ってしまった。
「じゃあ、俺が理解してないかどうか試してくれよ。峰自身でさ」
祥吾は不敵な表情を浮かべ、一真を見据えた。空気が張り詰め、周囲の作業音さえ遠くに感じる。
「断る。そもそも同じ土俵に立つ事すら正しいとは言えないからな」
「みんなの前で敗けるのが怖いのか?」
間髪入れずに放たれた祥吾の返答に、一真の表情も険しくなる。普段は冷静さを保つイーロンの面目が崩れる瞬間だった。
「なに……?」
そう言いながら一歩前に出た一真との距離を縮めるように、祥吾も一歩前に出て、「いつやる?」と重ねた。
このまま二人の間で火花が散りそうな雰囲気の中、ずっと黙って聞いていためぐみが、静かに二人の間を通り抜け始めた。
「時間掛かりそうだから、帰ります」
単調な口調ながら、その声には沈黙を破る力があった。出口に向かって歩きながら、めぐみは一真を振り返って、「言ってる事とやってる事が違うと思うけど」と一瞥した。
その一言に、一真の表情が一瞬凍りついた。イーロンとしての誇りを持ち、常に完璧を求める一真にとって、仲間からの指摘は想定外だったのだろう。
一真と祥吾は出口を見つめて口を噤んでいたが、「あーあ、俺も名嘉真の台詞、コピーしただけだわ……」と、気の抜けた声でわざとらしく呟く。
「じゃ、峰の気分が乗ったらって事で、またな」
祥吾は自ら先にその場を離れ、コントロールルームへ向かっていった。
一真は、祥吾の姿が見えなくなるまで、その後ろ姿を睨み続けた……
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コントロールルームの階下で立ち止まった祥吾の胸には、さっきまでとは違う種類の火が灯っていた。一真との一件で、模擬戦の興奮が再び頭をもたげてきたのだ。
(MPGは敵を殺すため……か)
祥吾にとってMPGとは、自由に操れる究極の乗り物だった。確かにそれは兵器として開発された。しかし、祥吾の中では巨大なロボットを思い通りに動かす喜びが何よりも優先されていた。だからこそAIに頼らず、自らの感覚で機体を操ることに固執した。
(結局、あいつらは俺とは違うんだよな)
階段を登りながら、祥吾は杏との模擬戦を思い返していた。あの戦い方は、イーロンの戦術とは違っていた。まるで祥吾のスタイルを熟知していたかのような動き——それはただの偶然だろうか。杏とイーロンたちは同じカテゴリーに括れるのだろうか。
祥吾は少しだけ心拍数が上がっていくのを感じた。それは一真との対立だけではなく、これから杏と二人きりになることへの緊張もあるのかもしれなかった。
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「祥吾、ちょっと話がある」
コントロールルームから降りてきた里香が、階段を上りあぐねていた祥吾を呼び止め階段の陰に連れていく。
てっきり説教されると思った祥吾は、「言いたい事は判ってる!……家に帰ったら絞られるからさ……」と、先手を打ちこの場を逃れようとした。
「早とちりすんじゃないよ。模擬戦の事は後でで良い。」
里香の、叱責の時とは異なる類の、緊張した雰囲気を察した祥吾も条件反射で身構える。普段の里香なら、祥吾の臆病な反応に面白がって茶化すところだが、今は違った。その目には軍人としての冷徹さが宿っていた。
「なんだよ。まずい事?」
「まず、今日は帰りが遅くなると思うから、気にしないで先に寝てろ」
「なんで?」
「今詳しくは説明できないけど、お前とあたしのシェムカを今晩中にここへ運ぶ」
「は? ここって、学校へ?」
祥吾の目が驚きで見開かれる。MPGを学校に持ち込むということは、並大抵の事ではない。特に自分の機体となると、訓練用とは違う実戦装備——つまり実弾が装填された状態になる。万が一誤射があれば、校舎は一瞬で吹き飛ぶだろう。
「それしかないだろ。佐久間が運ぶ手筈になってる」
「おっちゃんが……」
「お父さんからの頼みなんだ。」
「親父から……? でもなんで?」
「まだ言えない。早とちりかも知れないからね」
里香の表情は硬く、いつもの冗談めいた雰囲気は完全に消えていた。祥吾はそれを見て、これが単なる気まぐれではないことを理解した。父からの依頼となれば、事態は想像以上に深刻なのかもしれない。
「でもさ、MPGを今から運び込むって、よっぽどだろ?」
「だから言えないんだよ。ここは黙って聞いとけ」「お前、これからの予定は?」
「上で今日の反省会をする事になってる」
「杏と?」
「杏ぉ……? なんで名嘉真の事知ってんの??」
里香の唐突な親しみのある呼び方に、祥吾は思わず食いついた。母親が模擬戦の相手をファーストネームで呼ぶことに、違和感を覚えたのだ。
「ああもう! めんどくさいねぇ。それは杏からでも聞きなよ」「とにかく、早めに切り上げて家へ戻ってな。結花はお父さんの所へ行くから、そっちは気にしなくて良い。わかったかい?」
「ちぇっ。なんだかよく判んないけど、わかったよ。取りあえずミーティングが終わったら先に帰ってるよ」
「よし……杏と仲良くしてやんなよ」
「なっ……何言ってんのいきなり!?」
最後に全然違う話を突っ込まれ、たじろぐ祥吾に里香は意地の悪い表情で、「くくく……お前の焦る顔を見るのは楽しいねぇ。」と、言いながら、「じゃ、あたしは色々やんなきゃいけない事があるから」と、さっさと立ち去ってしまった。
祥吾は里香の後ろ姿を見送りながら、その一瞬見せた表情の変化を見逃さなかった。彼女の笑顔の裏に隠された緊張感と、肩に乗っかる重圧を感じ取ったのだ。
「何なんだよ、一体……」
ブツブツ文句を言いながら、コントロールルームへ向かう階段の途中で、祥吾はあらためて煌々と照明で照らされている格納庫へ目を向た。
そして、半壊した2機のシェムカを見遣りしばらくその場から動かなかった……




