第十五話 静寂の前の雷鳴
午後4時50分。
(さあて、こりゃ絞り甲斐があるねぇ……祥吾くん)
模擬戦終了後、教官も他のイーロン達も階下へ下り、コントロールルームには里香だけが残っていた。
回収用トレーラへ積み込まれようとしている2機のシェムカをモニター越しに眺めている里香は、今夜行われるであろう自宅での反省会(という名の精神的しごき)の中身に思いを巡らせていた。
(まぁ、あの娘も大したもんだけどね。私仕込みの近接戦闘に対応しちまうんだからさ……)
(とりあえず、あたしも様子を見ておくか)
里香は自分も階下へ向かおうと、寄り掛かっていた壁から背中を離した時、手首に巻いたウェラブルフォンから着信のバイブレーションが伝わる。
相手を確認した里香は、「ハイ!ハニー!どうしたの~?」と、声色を変え手首に吹き込む。電話の相手は英明だった。
「うん。うん。今? 祥吾の学校だよ。うん。祥吾から頼まれて届け物してたの。え~、そんな事ないよ。私は優しい母親なんだから~」
里香の声色は、ボイスチェンジャーを使っているのか?と思えるほどの変容振りだった。
これが、英明の前では通常運転の里香であったが、電話から伝わる不穏な雰囲気に、その目と声が里香本来の険しさへ戻っていた。
「え? あ~なるほど……ん~、ハニーの言う事もわかるけどさ……それだけじゃ、根拠が薄いね……」
「で? その相手に見当は? ……うん、そうか……」
「司令には? うん、うん……ま、そう言うだろうね。私も同じ事言うと思うし」
「でも、ハニーがそこまで言うなら……うん、そうだねぇ、私と祥吾のだったら何とかなるかもね。」
「フル装備? ……いや、そんな事はわかってる。準備するって事はそういう事だからね。でもさ……本当にそんな可能性があるの? ……そうか……あぁ。わかったよ。当たってみる。」
「今更避難マニュアルは変えられないしね……イーロン達も居る以上、守る必要があるからね。何とかしてみる。ま、取り越し苦労だったら、司令に詫びればいいだけさ……」
「うん。わかった。そっちも気を付けて。愛してるよハニー」
最後にお約束の台詞で締めくくった里香の顔は笑っていなかった。
(祥吾達に実弾入りのMPGで戦闘やれ、と果たして自分に言えるの……?)
一部からは戦闘狂と言われている里香であっても、息子に対し(敵に弾を撃ち込んで殺せ)、と命令できるのか……?
祥吾がMPG乗りを希望した時から、いずれは覚悟を決める時が来るだろう、と思ってはいたが、こんなにも早く、そして逃れられない状況へ向け、突然傾き始めるものなのか?
(いや、こんなもんなんだろう。それでもやり切らなくちゃならない。本当にその時が来たとしたら……)
一瞬の逡巡の後、兵士特有の論理で割り切った里香は、知った先へ電話を掛けた。
「あたし。もう上がっちゃった? まだ? 良かった。悪い。今日も残業できる? ……そうか。助かる。ちょっと頼みたいことがあるんだけど……」
電話の相手と小声で10分程話し込んだ後、里香は階下の格納庫へ向かった。
※ ※ ※
午後5時15分。
杏の張り手によってノックダウンされた祥吾は、格納庫へ戻る救護班の車中で意識が戻った。
「んん……?」
祥吾は、まだ完全に意識が戻り切っていない様な表情で、自分が寝かされている室内をぐるっと見回す。そして上体を少し起こし、隅の方で俯きながらこちらの様子を窺っていた杏と目が合った。
「あれ……名嘉真?」
祥吾から声を掛けられると、杏は一瞬目を逸らしたが、再度祥吾の方を向き、「大丈夫?」と申し訳なさそうに尋ねる。
「いや……俺は大丈夫、だと思うけど……名嘉真、気絶してたよな?」
「あ、そ、そう……直ぐ、気が付いたけど……」
祥吾は「そうか」と答えると、起こしていた上体を再度横たえ、揺れている天井を見ながら、「ところで、なんで俺、寝てたか知ってる?」と、杏に尋ねる。
杏は頬を赤らめ、グローブを着けたままの掌を握りしめた。祥吾の質問が自分の行動を直接指していることは明らかだった。今度こそ祥吾に顔を向けられなくなってしまった彼女は、「よ、よくわからない、な……」と言葉を濁し、「でも、判定は、引き分け……らしい」とだけ答え、話題を変えた後は、横を向いて黙ってしまった。
「引き分け、か……」
そう呟いた祥吾もそれ以上喋る事はしなかった。
車中には、少し気まずい空気と、タイヤの転がる音だけが滞留した。
※ ※ ※
午後5時20分。名寄第一高校から北北東へ直線距離で約50㎞弱に位置する雄武港に、2隻の大型遠洋漁業船が入港しつつあった。
ロシア船籍との報告を受けていたが、僚船のエンジンに問題が発生した為、修理の為一番近い港へ緊急入港したいと港の事務所へ連絡が入ったのが約20分前。
無線を受けてから入港までの速さに驚いたが、先方の船長より、夜通し修理を行えば、明日の朝に出港できるだろうとの説明を受けた港の関係者は、稚内の入国管理局も既に閉まっている時刻であったという事もあり、大事は無いと考え、彼らの判断で今晩の一時寄港を許可した。
現在においても、ロシアからの北方領土返還は実現出来ていなかったが、一般市民レベルにおいては、むしろ以前よりも交流が盛んとなり、まして同じ漁業にて生計を立てている者同士であれば協力を惜しむことは無かった。
雄武港組合の長である柏崎は、そんな僚友を迎える気持ちで、入港して来る2隻を出迎えた。
(困ってる時はお互いさまだ。そうだ何か差し入れでもしてやるかな)
そんな事を思いつくと、すぐさま自宅に電話を掛け、夕食の準備をしている妻に、夜食の手配を依頼したのだった。
既に夕闇が濃く、加えて電話口でぶつぶつ文句を言っている妻をなだめる必要があった柏崎は、漁船には不釣り合いな複数の鋭利なアンテナや、デッキをほぼ覆い尽くすように鎮座する巨大な直方体状の装置が船体に備え付けられていることに、違和感を覚える余裕は無かった……




