第7話 百貨店での仕立て
帝都の街並みは、すっかり西洋かぶれとなった。
子供の頃から見てきたけれど、路面電車の車窓の景色は乗るたびに変わっていて目まぐるしい。
街から外れれば木造建築だらけになるのに、路面電車から見えるものは西洋風に仕立てた土蔵造りの建物だらけ。初めて帝都に来た人は、まるで異国に来てしまったような気持ちになるのだとか。
阿多の土地にはない賑やかな街並みに、蒼月姉妹が何か反応を見せないかと僕らは積極的に窓際を勧めた。まぁ、蒼月姉妹は瞬きくらいしかしなかったんだけど。
それぞれ蒼月姉妹の手を取り、路面電車から降りる。そこから少し歩いて、最初の目的地へとたどり着いた。
僕らの目の前に聳え立つのは、土蔵造りの広々とした建物。
沢山の人で賑わっていて、手をしっかりと繋いでいないとはぐれてしまいそうなくらい、盛況な大店だ。
「帝都で流行りの百貨店です。ここでは流行の最先端を扱っているので、珍しいものが多いですよ」
ぼんやりと建物を見上げている婚約者殿の手を引く。つんのめるようにして、蒼月姉妹の片割れは一歩を踏み出した。
百貨店の中に入ると、外の賑わいなんて目ではないくらいの人で溢れている。僕は彼女の手をしっかりと握り直して歩いた。
蒼月姉妹が人混みに潰されないよう庇いながら、店の奥を目指す。少し値の張る商品が並ぶところまで来れば、わずかに人の数も減った。
「すごい人だったな」
「大丈夫?」
長幸が大胆にも蒼月姉妹の片割れを肩で抱いている。やるじゃん長幸。かくいう僕も手だけじゃ不安だったから、彼女の腰を引き寄せて密着してるんだけどさ。
蒼月姉妹は真顔だ。呼吸をしているのか不安になるくらい動じていない。顔合わせの時のこともあるので、じっと彼女の顔を見て呼吸を確かめる。
大丈夫、息をしている。偉いね。
ようやく百貨店に並ぶ商品を見られるくらいの余裕ができたけど、今日の予定はまだ始まったばかり。ゆっくりと物色するのはまた今度にしてもらって、今日は格好をつけさせてほしい。
僕は長幸に視線を送る。
長幸は頷くと、売り子の女性に声をかけた。女性は笑顔を浮かべ、立ち並ぶ衣桁や反物の棚の裏側へと姿を消す。
「事前に仕立てを頼んでおいた。小物もそれに似合うものを揃えている。見て気に入ったら、着替えてみてくれ」
長幸が蒼月姉妹へ伝える間に、売り子の女性が衣桁にかけていた着物を入れ替える。帯も変え、足元には小物を並べてくれた。
一式揃ったあと、もう一式同じように揃えてくれる。二人分の着物が衣桁にかかった。
「うん、僕の見立て通りだ」
「手配したのは僕だぞ」
「候補を選んだのは僕じゃないか」
まぁその候補から、僕と長幸の意見が完全一致したものを選んでもらったわけなんだけどさ。
衣桁にかけられた着物は紅の仕立てと藍の仕立て。どちらもインド綿を生地に使用している。普通の着物とは違う着心地かつ、左右の身頃で柄が全く違う珍しい仕立てだ。
右身頃は可愛らしい小花模様で、左身頃は神々しい鳥が描かれている。紅の仕立てが鳳凰、藍の仕立てが鸞鳥、らしい。帯もそれぞれにあった色で、足元は下駄ではなく革のブーツを用意してもらった。
少し派手かもしれないけれど、質は間違いなく良い。
長幸と僕は、蒼月姉妹に伺いを立てた。
「どうだろうか」
「気に入ってもらえるといいんだけれど」
蒼月姉妹の挙動をじっくりと見守る。
二人はじっと着物を見つめて。
「「色が違います」」
たったそれだけの主張をした。
長幸と視線を交わす。
予想通りだ。
僕は手を繋いでいる彼女の手を引いて、着物に一歩近づかせてあげる。僕は彼女の耳元でそっと囁いた。
「好きな色を選んで。それとも、紅も藍も嫌い?」
繋いでいる手が、じんわりと汗ばむ。
脈がわずかに早い、かな。
長幸に目配せする。
「選べないなら僕らが選んでもいいか」
長幸の提案に、姉妹は頷いた。
僕らも視線を合わせて頷きあう。
「なら僕は紅を選ぼう」
「じゃあ僕は藍色を。さあ、着替えておいで」
長幸の婚約者に紅を、僕の婚約者に藍をあてがう。
あらかじめ売り子の女性にはお願いをしていたので、蒼月姉妹は女性に連れられて店の奥へと消えていった。売り子の女性が他のご婦人方に声をかけて、衣桁にかけてある二種類の着物を持っていく。
売り場には別の売り子がやってきたので、その間に僕らは着物の代金を払った。
ちなみにこのお金はどこから出ているかって? 今の世の中、小銭稼ぎの方法なんていくらでもあるんだよね。家を出るための下拵えとして貯めてたお金が役に立った。
蒼月姉妹が身支度を整えている間、僕らは空になった二つの衣桁を眺める。
「やっぱり選べなかったな」
「想定内。でも、思っていたよりもマシかもね」
ぽつりと囁いた長幸に、僕はしれっと返す。
そうさ、これは想定内。
見合いの時は全く同じ格好で、今の今までも全く同じものを身に着けていた。身につける色に統一性はなく、使用人が似合うからと選んだものを着ているだけ。
そこに蒼月姉妹自身の趣向というものは介在していないと、僕らは仮定した。もし介在しているのなら、もう少し何かしらが偏るはずだ。長幸が和装を着、僕が洋装を着るように。
まぁ、世の中には趣向が一致する双子のほうが多いというのが父の見立てなんだけど。
今の蒼月姉妹にはその『選ぶ』という選択肢がないにも等しい。だって与えられたものは全て享受する。二人に与えられるものは『同じ』である必要があるから。
蒼月姉妹は、二つあるものしか選べない。
だから仕立ての違う衣装を見て出た言葉が「色が違う」だった。嫌だとか、これがいい、という主張もなく、ただ「色が違う」と主張した。
色が同じで、意匠も全く同じなら、二人は何も言わずに裏へと消えただろうね。そして何事もなく当然のように享受したはずだ。
たったひと言。
このたったひと言で、僕らには分かる。
素地はあるんだよ。個という自立するための素地が。
でも蒼月姉妹に科せられている双子としての規則がそれを抑圧している。蒼月家の環境がそうさせたんだろうけどさ。
「ところで僕らもお揃いのコート、仕立てておく?」
「いらない。鏡は出かける時に見るので十分だ」
「さすが兄弟。僕もこの年でお揃いは嫌だな」
これが個であるということだ。
双子によっては同じものを好むらしいけれど、僕らは違う。
一番近くて似た者同士だからこそ、長幸と僕はお互いに反発してしまう。磁石みたいな関係。それが僕らの双子としての在り方。
だからこそ、蒼月姉妹に対して憤る。
「彼女たちはどう思ってるんだろうね」
「趣味嗜好の剥奪が自己の確立に与える影響……それを知りたいのなら、医者ではなく哲学者の分野だな」
長幸の言葉に同意する。
父たちの知らないところでこうやって画策するあたり、僕らは医者よりも哲学者に向いているのかもね。
徒然と話しているうちに、蒼月姉妹の身支度が終わったらしい。
店の奥から出てきた姉妹に、周囲にいた客も感嘆をもらす。
「…………」
「あぁ、よく似合う!」
頷くだけで何も言わずに済まそうとした長幸の脇に思いっきり肘鉄をいれてやった。
睨むなよ、長幸。褒めろよ、婚約者だろ。
「……いいんじゃないか」
長幸は咳払いすると、紅の鳳凰を身にまとった蒼月姉妹の片割れの手をとる。
僕もまた、笑顔で藍の鸞鳥を身にまとった婚約者の手をとった。
蒼月姉妹はお互いの姿をじっと見つめている。
鏡映しのような容姿の彼女たち。こうして衣装を正反対にしてしまうと、雰囲気ががらりと変わる。
人は、身に纏うものによって印象が変わる。
明るい色を好む人は明るく華やかな印象を持つし、暗い色を好む人はしっとりと落ち着いた印象だ。
長幸と僕で言えば、和装を着ている長幸は保守的な印象があるだろうし、洋装を着ている僕は革新的な印象をもたれるだろう。
知らず知らずのうちに、人は着るもので印象を左右される。文明が開化したことで、それは顕著になった。
ある意味、蒼月家が双子にまったく同じ着物を着せたことは、双子の自己同一性を高める意味では正解だ。
同じ顔で、同じ格好をした存在が常に隣にいれば、主観的な自分と客観的な自分が混在する。この感覚は双子にしか分からないかもしれないけれど。
でも僕には分かる。
僕らだから分かる。
だからこそ家から連れ出して、蒼月の目のないところで二人に異なる印象を与える着物を贈った。
今日一日、この着物が蒼月姉妹にどんな影響を与えるのか。
何か少しでも、感じてもらえるものがあればいいんだけど。