第5話 阿多の吾田家【後編】
吾田の邸は、帝都にある久瀬邸よりもよっぽど広かった。
庭と母屋、離れ……全部引っくるめたら、僕らの通っている大学にも匹敵するんじゃないだろうか。
それくらい大きな邸で、よくよく目立つのは廊に飾られた盆栽だ。廊下の分かれ道があるたびに、盆栽が一つ並べられている。この邸の主人が盆栽好きなのかな。
そうして通されたのは、岬の先端で散る岩桜が描かれた襖が見事なお座敷。豪奢な襖の向こうで、着物姿の一人の女性が僕たちを待っていた。
女性は座ったまま、おもむろに顔を上げる。
「あら。貴方たち、ウケイなのね」
ここでもウケイ。
阿多ではその言葉のほうが馴染みがあるのかも。
座布団を勧められたので、長幸ともども礼をしてから膝を折る。
ちろりと視線だけで横を見た。長幸と目配せ。あ、全部こっちに丸投げする気だ。いいんだけどさ。
それじゃあ、と。
「はじめまして。突然の訪問、お許しください。僕は久瀬次行と申します。こちらは兄の長幸。ともに蒼月蓮華の婚約者です」
女性の視線が僅かに細まる。
間違いなく、蒼月蓮華の名前に反応した。
相手の出方を伺っていると、女性は一度目元を伏せる。それからゆっくりと顔を上げて。
「ようこそおいでくださいました、長幸様、次行様。私、吾田はる子と申します。主人は仕事で出ているものですから、私がお話をお伺いしてもよろしいでしょうか」
良かった、話ができる。
ここまで来てまたすぐ帰れなんて言われたら、長幸にどやされるからね。とりあえず、目下の目的だった吾田夫妻に接触することができたから、これで面目も立つだろう。
当然、会うだけが目的じゃないんだけど。
僕はさっそく本題を切り出す。
「寛大なご対応、いたみいります。今回の訪問についてですが、僕らは婚約者のことを知るためにやってきました。吾田蓮華について、何か知っていることがあれば教えてくれませんか」
はる子さんは頬に手を当てる。そのままちょっと困ったように眉尻を下げた。
「吾田蓮華……その名前を見つけるなんて。蒼月家に知られたらどうなることか」
ため息をつくはる子さんに、僕は目を細める。
蒼月神社の氏子だって聞いていたけれど、上下関係みたいなものがあるみたいだ。蒼月家に知られることを憂鬱に思っているのがありありと伝わってくる。
でも、僕の問いかけに対する拒絶はない。
僕はさらに言い募ってみる。
「蒼月家はおかしい。二人の人物を一人として扱う。双子だから平等に育てるということは良いことだと思いますが……一人の人間として統合するのは間違っていると、僕たちは思っています」
「そうでしょうね。でもね、あの家は呪われているの」
呪い?
ここでその単語を聞くとは思わなかった。
長幸と視線を交わせば、彼のほうが先に視線をそらした。
長幸が視線を向ける先は、はる子さんだ。
「呪いですか?」
聞き返した長幸に、はる子さんは憂いを帯びながら頷く。
「蒼月家はかんなぎの家でね、昔からこの土地で神を祀っていたの。でもある時、かんなぎが男と契り、子を身籠った」
生まれた子は双子で、姉はとても醜く、妹はとても美しく育ったそう。そしてある時、双子の姉妹が一人の男に懸想したんだとか。
だけど男が選んだのは妹だけで、姉はかんなぎとして社に残った。
はる子さんは瞑目すると、喉を整えるように一度口をつぐむ。
それからまた、話し出して。
「ここまでならよくある話にも聞こえるでしょう? ここからが蒼月家の呪いの話。残された姉姫が子を身籠ったの。父親は分からず、周囲は堕胎を勧めたけれど姉姫は堕ろさなかった。生まれた子は男の子で……村の誰にも似ていなかったそうよ」
父親の知れない子か。
普通に考えて、そんな誰の子かも分からない子を生むなんて、姉はきっと肩身の狭い思いをしたに違いないだろうね。
村八分にされてもおかしくないその状況で、でも村民は姉を労り、子を皆で慈しんだという。
「その子もまた、とても美しく成長した。それは妹姫と同じくらい美しく。そうして罪を犯した。その美しさに惹かれてしまった二人の姉妹を、身ごもらせてしまうの」
姉妹で選ばれなかった姉の子が、姉妹を孕ませてしまう。
なんて皮肉な出来事だろうと思うものの、さらに話は続いていく。
当然のように、責任を取れと男は姉妹から結婚を迫られたそうだ。
悩んだ末、男は姉と結婚した。
選ばれなかった妹は、片親でその子を育てることになる。
「そしたらどうかしら。姉夫婦の間に生まれたのは男女の双子だった。それを不吉に取った姉姫は、かんなぎとして神託を降ろしたの。そうして降ろされた神託は『双子を娶せる』というものだった」
控えめに言っても胸糞の悪い展開だ。長幸なんて、眉間に深い渓谷が生まれてるくらいだ。
はる子さんは困ったように眉を下げる。
話はまだ続くのよ、と言われる。
「男は生まれた男女の双子を娶せた。だけどさらに生まれた子は女の双子。この双子を巡って、次々とご不幸が起こったそうよ。神託が間違っていたのだと蒼月家は村八分にされかけた。でもね、それを蒼月家は跳ね除けた。これこそが神託だと」
「これこそが神託?」
「神に与えられた試練なのだと言ったそうよ。女の双子の周囲では確かに不幸が起こりやすかったけれど、それと同じくらい幸運が舞い込んだ」
二者択一って知っている? と聞かれた。
二者択一。
二つの物から一つの物だけを選び取る言葉だ。
頷けば、はる子さんはほんのりと微笑を浮かべて。
「選ぶからこそ、不幸も幸運も呼び寄せる。それならと蒼月家は双子を一人の人物として扱うことにした。それがウケイの始まりであり、呪いの根源。それ以来、蒼月家では同性の双子が生まれると、一人の人物として扱うことにしたそうよ」
そこまで話して、ようやく息をつけるわと、はる子さんは深く息を吐き出した。
話を聞いていただけなのに、僕らもちょっとした疲労が蓄積された気持ちだ。話が複雑だ。時代が進んでいるのに、まるでこの阿多の地だけが旧時代のまま取り残されているような感覚に襲われる。
とはいえ、まだ肝心なところを聞けていない。
「それで、蒼月家はどうなったんですか? 蒼月蓮華と吾田蓮華。戸籍上は養子となっている吾田の蓮華嬢は、蒼月蓮華と実の姉妹ですよね」
膝を詰めるように、僕は追求する。
はる子さんは睫毛を伏せると、言いにくそうに口を開く。
「昔はいくらでも人頭なんて誤魔化しができたけれど……御上が変わって、国が変わって、色々と行政的な手続きを誤魔化しきれなくなった今、蒼月家は我が家を頼ってきたの。名前を貸してくれとね」
「名前をですか?」
「そうよ。事実上、第二子を第一子と全く同じように扱うために、名前すらも上書きしたかったみたいでね。書類上だけ、名前を貸したの」
これは蒼月教授の入れ知恵だったとか。
維新後、吾田は戸長として国から役目を仰せつかっていた。吾田にとっては願ったり叶ったり。いざとなれば、戸長自ら戸籍の書き換えができてしまうから。
最初、戸長だった吾田清は戸籍の慣習を無視して蒼月蓮華を二人で記帳しようとしたらしい。
それに待ったをかけたのが蒼月教授。
監査が来たら、一発で不正を疑われる方法はやめるべきだと知恵を貸したらしい。
「そうでしたか……。残念です。それでは僕らの知りたいことは分かりませんね」
「知りたいこと?」
はる子さんが首を傾げる。
僕は素直に頷く。
「双子に本当の名前を返してやりたいと思っていたのですが……名前がどちらも蓮華では、兄と喧嘩になりますから」
笑ってそう宣えば、長幸から肘鉄が飛んできた。脇腹に命中しかけたのを掌で受け流す。あ、長幸ってば舌打ちした?
そんな僕らの攻防を見ていたはる子さんが、何かを考えるように口もとに指を当てて。
「そういえば、真実さんが」
「蒼月教授が?」
「吾田の名を貸す時、下の子の名を、上の子とは別の名前で記帳するように主人に言っていたの。……主人はちるひめさまの怒りに触れると言って断ったけれど」
長幸を一瞥する。向こうも僕を見てきた。
僕らはまっすぐはる子さんを見る。
「……私は、あの子たちの乳母だったから。乳飲みの時間だけでも良いからと、名前を託された」
「その名前を、覚えていますか」
僕よりも早く、長幸から言葉が飛ぶ。
はる子さんは目を細めた。
「……今更だけれど。こんなことをしていたら、いくら婚約者といえど、蒼月家の怒りに触れるわ」
はぐらかされたな。
だけど僕は食い下がる。
「その時はその時です。双子とはいえ、兄と妻を共有なんてしたくない」
「貴方たちは、蒼月とは正反対なのね」
はる子さんは困ったように微笑む。
正反対か。
確かに長幸や僕が蒼月家に生まれたとして、同じように同一人物として育てられていたら発狂していたかもしれない。
だって長幸も僕も、同族嫌悪が服を着て歩いているようなものだから。
だから僕は笑って答える。
「うちは父が医療の最先端分野にいますから。いずれは双子のメカニズムも解明されるはずですよ」
長幸から言いすぎだとでも言うような視線が飛んでくる。
いいじゃないか。蒼月教授が父を頼ったのはつまりそういうことなのだし。
医療の進歩は日進月歩。
たとえ亀の歩みでも、間違いなく十年後、百年後、千年後には何か進んでいるはずなんだから。
「時代の進化はすごいわね……」
ほぅ、とはる子さんは感嘆する。
そうなんだ、時代の進化はすごいんだ。
僕が生まれる前、鉄道が全国に走るのを想像した人がどれくらいいた?
四十年前、二百六十年続いた幕府が倒されるなんて誰が思った?
時代は進む。僕らを置いてでも進んでしまう。
だから僕らは停滞しちゃいられない。
「教えてください。黒子や痣、癖、なんでもいいんです。どちらが姉で、どちらが妹か。二人の区別がつくものを知りたいのです」
はる子さんは瞑目する。
この人は時代の進みを認識できている人だ。蒼月教授のように、蒼月家の異質さに気づいている人だ。
僕らに話をする選択肢を持った人。この人はたぶん、蒼月教授よりももっと深い部分で蒼月家を知っているはずだ。
それを期待して、答えを待っていれば。
「……どちらかの子は、目が悪いかもしれないわ」
「目が悪い?」
「言ったでしょう、私はあの子たちの乳母だったと。その後、三歳頃まではお世話させてもらっていたのだけれど……そうね、片方の子はよく転ぶし、字を読むのも得意ではなかったわ」
部屋に明かりが差す。
窓側の障子を透けて、柔らかい光がはる子さんの表情を照らした。
あぁ、この人は。
彼女たちを慈しんでいた人だ。
戸籍を見た時から感じていた、吾田家に対しての蟠りのようなもの。それがすっと消えていく。
……これ以上、この人に聞くことはないね。
僕は頭を下げると、立ち上がった。長幸も同時に立ち上がる。
「有益な情報をありがとうございます」
はる子さんの表情が、また憂いを帯びる。
「あまり力になれなくてごめんなさいね」
「いいえ、十分です」
そう言い合って、部屋を出ようとした。
その間際。
「――真実さんは私たちに預けた子を、花蓮と呼んでいたわ」
閉じられた襖の向こうで、はる子さんのつぶやきが聞こえた。
吾田邸を後にすると、西の空がわずかに茜がかりはじめる頃だった。
昼間の色とはまた違う道を歩きながら、僕らはどちらからともなく話しだす。
「目が悪い、か」
「長幸、この間の見合いの時、どうだった?」
「特段目が悪いとは思わなかったがな」
「室内だから移動範囲もそれほどなかったしね」
「お前のほうじゃないか?」
「やっぱり?」
長幸も気づいたか。
今思えば、僕が連れ立ったほうの婚約者は、歩き方が二人のときに比べてひどくゆっくりだった。二人を離すな、っていう脅しのせいかと思っていたけれど、目が悪い可能性もある。
僕らは夕暮れが迫る野道を歩きながら、次に向かうべき場所を模索する。
「確かめるか」
「僕ら手を回さなくても、父さんがやってくれるでしょ」
「だな。こういうデータを取っておくのは久瀬の仕事だ」
そうと決まれば、すぐ帰路につくことになりそうだ。
母上への土産を考えておかないと。