第2話 消された名前【前編】
蒼月家は阿多という土地で祭祀を司ってきた神社の家系らしい。
帝都から遠く離れた場所から、よくお見合いのために上京してきたなって思う。
お見合いを終えた夜、料亭から帰ってきた僕は長幸とともに父の書斎室へと押しかけた。
兄ともども、父には聞きたいことが沢山あったから。
「父上は蒼月教授とどのような繋がりがあったんですか」
書斎の机で書き物をしていた父に、長幸が問いかけた。父は書き物の手を止める。婚約者との顔合わせだと言われても二つ返事しかしなかった僕たちの顔を順に見て、ふむと顎をさすった。
「知人との夕食会だよ。民俗学者も何かと金が入り用らしくてね。パトロン探しのためにその夕食会にいらっしゃった」
そこで蒼月教授が双子の逸話について各地であらゆることを調べていることを知って、父と意気投合したのか。
ちょうど父も海外の遺伝学の論文を翻訳したばかりで、これをどうにか医学的に、人間にも流用できないかと考えていたところだった。妊娠という神の領域とも言われるそこに、文字通りメスを入れたがっていたわけで。
蒼月教授との会話はそれほど楽しかったんだろうなと感じた。
双子の親同士、子を娶せようとするくらいなんだから。
別に、家のために婚姻を強いられるのはよくあることだ。できれば避けたいと思っていたものの、避けられないなら受け入れるしかない。
でも受け入れるにあたって、どうしても気になることがあと一つ。
あの奇妙な姉妹について、聞いておかないといけないことがある。
「父上、まさかとは思うのですが、僕らの婚姻届に記載されるのはどちらも蒼月蓮華になるんですか?」
「ああ。当然だ。蒼月家がそういう家らしいからな」
当然。
当然、かぁ。
すました表情の父に、それとなく伺いを立ててみる。
「……戸籍上、蒼月家に蓮華という名前の子女が二人いると?」
「そういうことになる。次行、名付けは個々の家にしきたりがあることも多い。むやみに口を出すものではない」
しきたりと言われたらそこまでだけれども。今の新しい世の中じゃ、それが時代遅れだと思うんだけどな。
あーあ、長幸も眉間に皺を寄せちゃってるし。
「では僕と次行の婚約者はどう見分ければ?」
「蒼月教授の奥方が区別をつけることを嫌がられるからな。だが科学的に解明していくのであれば、検体が入れ替わるなど話にならん。お前たちのほうで適当に目印をつけておけ。次行はそういうのが得意だろう」
僕は肩を竦める。
僕が父にどう認識されているのかがよく分かる言葉だ。
でも父の言う通り、これは僕が主導でやるべきだろうな。長幸はこれから忙しくなるだろうし。なんて言ったって久瀬家の跡取りなんだから。
僕はにっこりと笑って父の書斎を退出した。
さて、まずは簡単なところから調べてみよう。
◇ ◇ ◇
見合いから半月ほどが経った。
僕は薄手の外套と中折れの帽子を手に取ると、ひょっこりと長幸の部屋に顔をのぞかせる。長幸は長着で書を読んでいた。
「長幸、ちょっと出掛けてくる」
長幸が書から顔をあげた。部屋の入り口に立つ僕を見る。
「分かったが……行き先はどこだ」
「ちょっと戸長役場」
「は? そんなところに何をしに行くんだ」
長幸が書を閉じて、のっそりと立ちあがる。
全く同じ高さにある、自分とそっくりな顔。
眉間に皺を寄せた生真面目そうな顔に向かって、僕はにんまりと笑いながら人差し指を一本立てた。
「蒼月家の戸籍を見に行こうかなって」
長幸の眉がさらに谷を深くなった。
「この間、蒼月姉妹が滞在している宿に行ってきたんじゃないのか」
長幸の言う通り、僕はお見合い直後に二人の蒼月蓮華に会いに行っている。
婚約者のことは婚約者に聞いたほうが早いと思って、お見合いの翌日にはもう少し話をしてみたいと押しかけたんだけど。そこでは想像以上のものが待っていた。
あの時の光景を思い出すと、あの姉妹が余計憐れに思えてしまう。
僕は肩を竦めると、長幸の問いに答えた。
「行ってきたよ。でも謎が深まっただけだったよね」
蒼月家は地元ではそれなりの名家らしい。
訪ねに行ったら名家らしく、郷里から使用人を連れて来ていた。でもその使用人が問題で。
「蒼月は双子を一人の人間として扱うように徹底されている。誰も蒼月蓮華を見分けない」
「馬鹿だな。あの見合いで想像できたことだろう」
長幸が呆れたように言うけれど、僕は首を振る。
想像できたことだけどさ。想像できたからって、納得のいくようなものじゃないと思うんだ。
「長幸、それじゃあ駄目だよ。自分の奥さんに冷たいじゃないか。もっと興味を持ってあげなよ」
「あんな薄気味悪い嫁をもらうなんて、御免被る」
「長幸はそう言うと思ったけど。……でもさ、気にならない? 本当に姉妹が同じ名前なのかどうか。普通なら戸長役場が同戸籍上で同じ名前をつけることをさせないんだよ」
「そうなのか?」
内緒だよ、と言うように声を潜めさせれば、長幸の眉が跳ねる。
やっぱり長幸も気になるよね。僕が気になるんだもの。僕らはこういうところ、なんだかんだで兄弟なんだって感じる。
ようやく眉間の渓谷が緩和した長幸が、興味深そうにこっちに寄ってきた。半開けの襖と敷居を境界線に向かい合って、僕は話を続ける。
「なんのための戸籍だと思ってるのさ。もともと租税徴収を目的としたものだよ。徴収を複雑にするような名付けは役人が嫌がるし、付けさせないのが暗黙の了解になってる」
それもそうか、と長幸は納得して頷いた。
それから、しげしげと僕の顔を見てきて。
「よくそんなことを知っているな」
「戸長役場勤めの友人がいるからさ。色々と聞いてみたんだ」
自分と同じ顔を見たって、ただの鏡なんだけどな。僕らは顔を突き合わせてお互いに頷き合う。
これから長幸が何を言おうとしているのか、何となく察した。何ていうのかな。波長というか、以心伝心というか。わざわざ言わなくても、分かるんだけどさ。
言わなくても伝わることを、長幸はあえて口にする。
「僕も行こう。そう言われると気になってくる」
ほらね、やっぱり。
長幸はそのままぴしゃりと襖を閉めると、しばらくごそごそと衣擦れの音を鳴らしていた。
僕は手持ち無沙汰になったから、懐中時計の螺子を無駄に回したりして長幸を待つ。僕も流行りの腕巻き時計が欲しいな。
「待たせた。行こうか」
「それはこっちの台詞」
袴を身に着けた長幸は、僕と同じ外套と中折れ帽子を手に持っていた。
お揃いの外套に、お揃いの中折れ帽子。
同じ顔だから、仕立てが同じものになるのは仕方ない。
でも、それを身につけるのは、和装の長幸と洋装の僕。
ひと言で双子と言ったって、こうやって違う人間として存在しているんだ。
蒼月家の『二人で一人』を体現したような扱いを見ると、なんだか胸の奥がぞわぞわとして気持ちが悪い。
「どうした。気分でも悪いか」
「なんでもないよ」
こうして気分が悪いのに気がつくのは、双子の特権だとは思うけどさ。
僕は頭を振って靴を履く。長幸も僕も、同じ洋靴だ。
……自分で選ぶのがめんどくさいからって、母上に丸投げしてるとこうなるんだよね。母上も選ぶのがめんどくさくなってきたのかな。
昔は長幸と僕を見分けられるように、お揃いのものは極力減らされていたんだけどさ。
まぁいいけど。
長幸と僕は久瀬邸を出ると、街の中心に向けて歩き出す。
久瀬家は医者という家柄、まぁまぁ立派な邸宅を持っている。その邸宅があるのも、まぁまぁな高級住宅街のような通りだ。
途中で辻馬車を拾う。銀座のほうまで行けば、車や路面電車がたくさん行き交っているから、移動も便利なんだけど。このあたりはまだそんなに発展していないから仕方ない。
戸長役場の正門の前に馬車を停めてもらい、御者に銭を握らせる。
さて、あいつは来ているかな。
木造の建物の扉を、僕は威風堂々と押し開けた。
役場だというのに中は閑散としていた。人はまばらにしかいない。前に来た時もこんな感じだったから、普段からこんな感じなのかもね。こんなところが賑やかになったら、世も末だろうけどさ。
「……おい、そういえば役場に来てその後はどうするんだ。蒼月家だと管轄が違うんじゃないか」
長幸の言う通り、蒼月家の戸籍を見ようとしたら管轄が違う。
だけど、そこはさぁ。
「あ、来た来た。待ってたよー、久瀬……えっ!? 久瀬が二人いる!?」
建物の奥から、眼鏡のひょろりとした優男が目を白黒させながら出てきた。