第19話 わずかな手がかり
蒼月教授の下宿先からの帰路。
長幸と活気のある通りを並んで歩く。
「蒼月教授は、あの姉妹を完全に同一視していたわけじゃないんだな」
長幸がぽつりとこぼした言葉に、そっと頷く。
「入り婿だし、彼もある意味では蒼月家の敵のような立ち位置だ。蒼月の中枢を知りたくても、爪弾きされてしまうんだろうね」
「まったく、蒼月教授も最初から教えてくれれば良いものを……」
長幸が舌打ちをしたそうな雰囲気だ。でも通行人を威嚇したと思われたくはないからか、我慢している。
僕はそんな長幸の隣で、茜がかってきた夕空を見上げながらぼやく。
「教えたくても、教えられなかったんじゃないかな。これ、生半可に首を突っ込んだら、僕たちも祟られたりして」
「……おい、本気で祟りがあるなんて信じてるのか?」
半眼でこっちを見てくる長幸に、僕は肩をすくませる。
「比喩だよ、比喩。きな臭くなってきたし、用心しようねって話」
「それならちゃんとそう言え」
長幸がぶすっとして言うので、僕はさらっと謝っておく。さっきの教授の話じゃないけどさ、双子だからといって、考えていること全部が分かるわけじゃないからね。なんとなーく、理解できる時があるだけで。
その話で思い出したけれど。
「そういえば、蒼月教授の話の中に出てこなかったね」
「は? 何が」
「蒼月教授の、双子の弟さんの話」
長幸の足が止まる。僕も足を止めて振り返れば、長幸が詰め寄ってきた。おっと、顔が近いよ、長幸。
「お前はまたそんな大事なことを隠して……! 蒼月教授に双子の弟がいるなんて、初耳だぞ!」
吠えるように叱られて、僕は肩を竦めた。ごめんごめん、言った気になってたんだ。共有していなかったとは、うっかり。
僕は長幸に、戸籍を調べていた時に他にも一緒に色々と調べていたことを明かした。蒼月詩の存在も、蒼月教授に双子の弟がいたことも。
それ以外にも。
「戸籍を細かく見ていたら、蒼月家の外から入ってくる婿嫁はみんな双子だった。おそらく、双子同士で娶せられて、片方が家を継いでいる。そして継がなかった片方が、ある時に消される。その循環ができあがっている」
役場ができる前。戸籍がまだゆるかった頃。蒼月家の戸籍に載らない子供がいたはずだ。逆に言えば、戸籍の改竄だって、吾田家ならお手の物だっただろう。
家系図と違和感だらけの戸籍。
これでも長幸が父の手伝いをしている間、色々と調べていたんだよね。
長幸に話しきると、彼は渋面を作って僕を恨めしげに見てきた。
「……それで、次行は何を知りたかったんだ」
「知りたかったっていうか、直接聞きたかったっていうか」
「吐け、全部吐け、今すぐ吐け!」
長幸がとうとう僕の襟を掴んでがくがく揺らし始めた。待って長幸。ここ道路。人込みのど真ん中。頭を揺らさないで。
なんとか長幸の手から逃れると、僕はちょっと崩れた襟を正した。で、何の話だっけ。
「蒼月教授の弟について、何を聞きたかったんだ」
そう、そうだった。さすが双子。まるで心を読んだかのようなぴったりな問いかけをありがとう。
と、まぁ、やりすぎるとまた長幸に襟を掴まれてしまうので。
「十八の日さ。蒼月教授のお弟さんは、蒼月詩がいなくなったとされた日に死亡届けが出されていた。それも、蒼月教授の手で」
「待て。それって」
長幸の顔色が変わる。
そうだよね、そうなるよね。
蒼月教授のあの話を聞いたあとなら、なおさら身構える。だって全然、他人事には思えないからね。
「このまま僕らも首を突っ込んだら、どちらかが死ぬかもね。蒼月花蓮と一緒に。……まぁこのままだと、僕の確率が高い気がするけど」
「そんなのんびりしている場合か!?」
気をつけていたのにまた襟を掴まれてしまった。
興奮する長幸をどうどうと諌めながら、僕はゆっくりと襟から長幸の指を一本ずつ外していく。くっそ、すごい強いな、長幸の指の力……!
指をはがしつつ、僕はへらりと長幸に笑いかけた。
「安心しなよ、長幸。もし祟りとやらで君が殺されそうになったとしても、僕が身代わりになってやるからさ」
長幸の顔が真っ赤になる。びっくりするほど頭に血が登っているようで。
「そうじゃない! お前は馬鹿か!?」
長幸に怒鳴られた。
通行人が何事かとこちらを見ていく。だんだんと人が遠巻きにしていく中で、長幸の激情を感じとりつつも、僕は冷静に答えた。
「何が? 君は久瀬を継がないといけない。久瀬の医院に勤めてる人たちを路頭に迷わせる気?」
「そうじゃないって言っているだろうが! お前、俺の代わりに死ぬつもりか……!?」
「今更じゃないか。僕は君のスペアでしかないんだから」
「お前……!」
へらりと笑えば、長幸が泣きそうな顔をする。
僕よりも感情が豊かな長幸はすぐ顔に出る。言いたいこともこうやってはっきりと言う。長幸に比べたら、僕は陰気で、何を考えているか分からないとよく言われる。
今まではそれで良かった。何を考えているのか分からなくても、長幸だけは理解してくれていた。でもそれが、僕をさらに苦しめていた。
僕は長幸の劣化品。久瀬での僕の言葉は一番軽い。長幸が同意してくれるから、僕の言葉に重みが増す。でもそれじゃ、僕はいつまで経っても、長幸のスペアのままだ。
だけどさ、長幸。
「僕だって欲しいものがある。僕だけのものが欲しい。長幸が持ってないものが欲しい。だから――あの娘はもらうよ。死んでも、もらうから」
運命の人といえば聞こえが良いかもしれない。
片割れと同じことを強要されるもう一人。
僕の口づけで、呼吸をしてくれた君。
出会った時から感じていた、不思議な既視感。
僕はほとんど確信している。確信しているからこうやって動いて、彼女を彼女たらしめるべく、彼女の断片を探してきた。
彼女に返してあげるために。
「……お前、いつから、そんな」
絶句していた長幸が、僕の襟からゆるく指を離していく。呆然としたまま絞り出した声は、わずかにかすれていて。
僕は長幸の問いかけをそっと拾い上げる。
「いつからなんて、そんなこと分からないよ。だって僕らはそういう風に育てられた。父上の示す道から外れようとしても、やれ学業やら、婚姻やらで、全て潰される。潰すくせにさぁ、僕には何も持たせてくれないじゃない。本当に、今さら」
とうとう長幸が黙ってしまった。後悔や申し訳なさ、いろんな感情がないまぜになった表情で、迷子のように立ち竦んでいる。
……別に僕は、長幸に罪悪感を覚えて欲しかったわけじゃない。これはただの愚痴だ。家に対する、僕の愚痴。
立ち竦んでいる長幸の肩を叩く。一緒に帰ろうと背中を押す。再び歩き出した長幸の隣をゆっくりと歩きながら、僕が思うことをもう少しだけ伝えておく。
「僕はさ、僕が大切にしようとしたものを奪われるのだけは、我慢ならないんだよね。強欲なんだよ。君もそうでしょ? 君だってそうなんだから、僕だってそう」
身に覚えあるんじゃない? と長幸を一瞥すれば、気まずそうに視線を逸らされてしまう。良かった。これはただの照れ隠し。
「……どうするつもりだ」
やっとのことで放たれた長幸の言葉。
僕はにこりと笑う。
「蒼月花蓮に名前を返すのは大前提。僕は長幸と奥さんの名前を共有したくないからね。そのためにも……十八の日という儀式。この真相を暴いて、乗り越える」
悲劇なんて要らない。
大団円なんて高望みもしない。
ただ、誰も不幸にならないだけの日常がほしいだけだ。