第18話 蒼月教授の真実
何度目かの正直ということで、僕らは蒼月真実教授を訪ねた。
蒼月教授は父との研究があるので、まだ帝都にいる。とはいえ、ずっと父のもとにいるわけでもないので、帝都の下宿先へと訪れた。
「久しぶりだね。長幸君、次行君」
蒼月教授の下宿先は長屋の一つだ。部屋中いたるところに紙の束やら本やらが積まれている。足の踏み場もなさそうだと思っていたら、三人分の座れる空間だけがぽっかりと空いていた。
どうりで。蒼月姉妹を帝都に呼び寄せることになった時、うちで泊めるって話になるよね。こんなところに女性を寝かせられないよ。
部屋にあげてもらい、僕らは居住まいを正して座った。
「突然すみません」
「お訊ねしたいことがあって」
蒼月教授は部屋の中でも窓際にある文机の前に座る。ふむ、と袖の中に両腕を差し入れ、聞く構えになった。
「何を聞きたいのかね」
「蒼月花蓮さんについてです」
回りくどいことはしない。
単刀直入に言えば、蒼月教授は面白そうに目元を細めた。
「……よくその名前を聞き出したね。はる子さんだろうか」
「すみません。どうしても、双子で同じ名前なのが納得いかず」
「役場に伝手があったので、戸籍を取り寄せました」
「そうか……」
蒼月教授は瞑目し、ゆるりと話しだした。
「君たちは、双子の一人が感じた強い感情や刺激を、双子の片割れも感じるということを実感したことはあるかね」
突然の話題転換に、一瞬内容が耳をすり抜けていく。
ちらりと長幸のほうを見れば、長幸も僕を一瞥していた。すぐに蒼月教授へと視線を戻す。
「それが、蒼月花蓮さんの話と何か関係があるんですか」
「いや。だが、双子である君たちにはずっと聞いてみたかったんだ」
首を振りつつも大真面目に話す蒼月教授に、僕らはもう一度視線を投げかけ合う。
蒼月教授が咳払いした。
「それで、君たちに経験は?」
「あります」
「ありません」
長幸と僕で答えが分かれた。
蒼月教授は僕らを順繰りに見比べて、ふむと顎をさする。
「どちらが長幸君かね」
「僕です」
「君は何と答えた」
「あります。だけどそれは僕じゃない。……次行」
「……」
長幸に一瞥される。僕は肩をすくめた。
あまり良い思い出じゃないから、なかったことにしたかったんだけど。長幸は空気を読んではくれないらしい。僕はしぶしぶ答える。
「昔、長幸が木から落ちて、頭を強く打ったことがあります。僕は木の下でそれを見ていた。そうしたら、頭がひどく痛んだんです」
長幸は頭を打って意識がなく、周りもそれに慌てていた。僕も痛みを訴えたけれど、取り合ってもらえなかった。むしろ介抱の邪魔をするんじゃないと、追いやられた。
痛みで泣くだけの僕は母の部屋に連れて行かれた。母は僕のことをなだめてくれたけれど、原因不明の頭痛の理解はしてくれなかった。
「長幸が起きてから、同じ場所が痛むというのを聞いて、これは長幸の痛みだと思いました。長幸だけが、それを理解してくれた」
「僕の痛みを次行が感じているのを、僕も感じたんです。それ以降、僕らは互いに大怪我をしないように気をつけています」
長幸が捕捉すると、蒼月教授は深く頷いた。
「実感しているなら話は早い。双子にはそういった事例がままあるようだ。双子は古来より特別視されてきたが、まさにそれが一つの理由になるんじゃないかと私は思っている。忌み子の風習も、その延長だ」
蒼月教授はそう言って瞑目し、また腕を袖の中に戻した。
「さてでは本題だ。まず一つの前提を教えよう。私は入り婿でね。妻の家業については何も口出しできる立場にはない」
それは知っている。戸籍も、家系図も見せてもらった。先日、蒼月姉妹を帝都に引き止めようとして、蒼月家の使用人たちから軽んじられていたのも見ていた。
「口出しできなくても、何かは知っているでしょう」
じっと蒼月教授の目を見つめる。疲れたような中年の面差しの中に、一つの芯のようなものが垣間見える。
これは、試されている。
父と同じ目だ。僕らが自分の期待に達しているかどうかを、蒼月教授は測っている。
さっきの問いかけの答えだけでは足りなかったらしい。それなら、と僕は手札を明かしていく。
「たとえば。蒼月家はかんなぎの家と聞きました。ですが調べても、蒼月神社の祭神の名は公的には残っていない。民俗学者である蒼月教授なら、知っているのでは?」
蒼月教授は当然のように頷く。
「君たちが調べきれなかったものを、私は知っているよ。でもそれを知ってどうする? 君が知りたいことに関係があるのかね」
「あると思っています。十八の日までに、僕らは知らねばならない」
蒼月教授の表情が動く。眉がぴくりと動き、その先を促すようにじっと耳をそばだてている。
僕は間違えないように、言葉を選んでいく。これまで見つけてきた断片を正しく組み合わせられるだろうか。
「十八の日に、双子のうちの一人が蒼月家の当主となりますね。だから蒼月家の家系図は近年、一子相伝のようになっているんじゃないですか」
蒼月教授はこれにも頷く。
「よく調べたね。その通りだ。十八の日に次代の蒼月家当主が決まる。それは間違いない。私も一度見ているからね」
意外だった。はる子さんの母君の日記からでは、十八の日の儀式に蒼月教授が参加していたかまでは分からなかった。排他的な印象を持つ蒼月家だけれど、婚約者は儀式に参加しても良いということか。
それなら前例もあるからやりやすい。だけど、これだけじゃ駄目だ。まだ、僕らがその儀式に乗りこむには情報が足りていない。
「それならあなたは知っているはずだ。もう一人の蒼月詠さんを。彼女が今、どこで何をしているのか。知っているんじゃないですか?」
ウケイであったと日記に書かれていた蒼月詠さん。蒼月花蓮にしたように、同じように蒼月詠の戸籍を犀藤に無理を言って見せてもらった。
そうしたらやっぱり、存在していた。
蒼月詠の名前は二つあった。
「もう一人の蒼月詠さん。彼女は蒼月花蓮の未来でしょう。戸籍上、死亡届が出ていなかった。ですが、生きている形跡もない。彼女は、どこにいるんです」
僕は蒼月教授を挑むように見つめる。
蒼月教授は関心したように何度も頷いて、僕と長幸の顔を順繰りに見た。
「さすが久瀬先生の御子息だ。頭が良い。だが、それだけでは蒼月家の呪いはほどけない」
「呪いなんて迷信です。今の明治の世であれば科学的に解明できることも多い。だからこそ、蒼月教授は僕らの父に声をかけたのでは?」
「そうだ、その通りだ」
長幸の反論にも、蒼月教授はしきりに頷いている。
たくさん頷いて、やがて肩を落として俯いてしまう。
「私は間に合わなかった。だから一縷の望みをかけ、久瀬先生を頼った。娘たち一人一人に、それぞれの婚約者を与えた。妻には猛反対されたがね」
猛反対されたというのは初耳だ。
婚約も顔合わせもトントン拍子に進んでいたと思っていたけれど、この婚約は蒼月教授の独断で行われていたものだったのか。
「なぜ反対されたんですか」
長幸が気になったようで問いかける。蒼月教授は重々しく口を開いて。
「蒼月蓮華は一人だけだ。十八の日がくればおのずと一人になる。婚約者は一人で十分だと。私の時のような過ちを繰り返すのかと、言われたよ」
過ち……?
長幸と視線を交わしあう。
長幸が蒼月教授に詰め寄った。
「何が起きるんです」
「分からない。だが、蒼月家が神域と呼ぶ場所で、儀式が執り行われるのは間違いない。そして儀式から帰ってきた娘が、華蓮になる」
蒼月教授の言葉を脳内で反芻する。
儀式から帰ってきたら、一人になる。
つまり、もう一人は。
「それはどのような儀式なんですか」
最悪の可能性が脳裏をよぎる。
長幸に並んで僕も蒼月教授へと詰め寄れば、教授はゆっくりと首を振って。
「分からない。ただ、取り返しのつかないことが起きることだけは、分かっている」
彼は深々と、僕らへ頭を下げた。
「……二十年前のあの日、私は何も知らないまま終わっていた。蒼月家のこの忌まわしき慣習を辞めさせるために、私は久瀬家を頼ったようなものだ。どうか、妻から、蒼月家の一族から、娘たちを守ってくれ……!」
真摯に訴える蒼月教授。
僕は長幸と視線を交わし合う。
「頭を上げてください、教授」
「そのためにも、もう一つ、教えてください」
知りたいことがあってここに来た。せめてこれだけは知って帰りたい。
だから僕は、教授と呼ばれるこの人に会いに来た。
「蒼月家の祀るものは、いったい何ですか」
蒼月教授がゆっくりと頭を上げる。
そしておもむろに告げた。
「蒼月家の祭神は〝ちるひめさま〟だ。またの名を――」