第16話 吾田家の後悔
吾田はる子さんの返信には、日記を送るとあった。
その言葉の通り、一週間後に手紙とともに日記が送られてきた。
「無駄だったな」
「長幸、冷たい」
長幸の部屋で包みを開け、手紙の始め数行を読んでのそのひと言。けっこうぐっさりと刺さる。
手紙には、蒼月家のしきたりでお七夜の手形のような行事はしていないと書いてあった。
その代わりに、何か僕らの助けになるのではと、日記を送付してくれたのだとも書いてある。
この日記の持ち主は、はる子さんの母親の日記らしい。母君も蒼月詠の乳母をしていたのだとか。
「蒼月詠……」
「蒼月蓮華の母親だ。ということは、はる子さんと蒼月詠さんは乳姉妹なのか」
ふうん、と頷きながら手紙を読む。
蒼月教授は入り婿で、蒼月家の血を持つのは母親のほうだとも書いてある。これは犀藤に調べてもらった戸籍からも分かっていたことだ。
でも、そのあとに続いた言葉に、僕も長幸も眉をひそめた。
「これは、どういう」
「……日記を読めばわかるんじゃないかな」
はる子さんの手紙に綴られた文字をなぞる。
『だけどね、蒼月詠はもう、一人しかいない。』
『たぶんだけど……真実さんはもう一人の蒼月詠を探しているの。』
蒼月詠も、蒼月蓮華のように、二人いたのだろうか。
長幸が無言で日記を開く。
日記の始まりは、どうして日記を記すことにしたのかということから書いてあった。
吾田家の嫁は代々、蒼月家の乳母を務めてきたそうだ。はる子さんの母君もその流れで乳母の務めをすることになったらしい。
その上で日記には蒼月家の異質さにも触れられていた。
蒼月家には過去、何人もの奇形児が生まれている。乳母は生まれた奇形児を蒼月の神域に捧げる役割も持っていた。はる子さんの母君はそれを見越し、日記を記すことを決めたらしい。
「神域とはなんだ?」
「普通に考えたら、蒼月神社のことじゃないかな」
日記を一枚めくる。蒼月家に子どもが生まれたことが書いてある。奇形児ではなかったことに安堵した気持ちと、生まれてきた子がウケイであることの歓喜が綴られていた。
「またウケイか」
「この書き方だと、悪い意味ではなさそうだよね」
ウケイが双子の意味だとして、阿多では忌み子の印象はない。ただ一つ、二人を一人として数える風習さえなければ。
日記は問題なく日々の徒然が綴られていく。よくよく注意深く読めば、時折、やっぱり蒼月詠が二人いるような書き方がされていた。
そうして蒼月詠が十七歳になった頃、蒼月詠に婚約者ができた。婚約者は蒼月詠にどう接していいのか分からず困惑していたようだ。この婚約者がおそらく、蒼月教授だろう。
そして蒼月詠が十八歳になった日。
その日にウケイが成就した。
「ウケイが成就? おかしな言い回しだな」
「双子以外にも意味があるのかな」
自分で言いながら、頭の中で何かが引っかかっている。それが何か分からずに眉を顰めていると、長幸がさっさと日記のページをめくってしまった。
十八の日の翌日の内容だ。十八年という月日に対する喪失感が記されている。そして蒼月真実がその日から狂ってしまったことも書いてあった。
『あの狂った男は蒼月に不要だ。いずれ、ちるひめさまの祟りがくだされるだろう』
それを区切りに、一年ほどの空白の期間がある。
以降、ぽつぽつと綴られた日記の内容は後悔ばかりの内容になっていく。何を後悔しているのかは不明瞭だけれど、自分の子、はる子さんへの懺悔が綴られていた。転換期はおそらく、はる子さんの妊娠だろうか。
そしてはる子さんが蒼月蓮華の乳母となったところで、日記は終わった。
「……色々と腑に落ちない」
「そうだね」
「蒼月教授が狂っているというよりは、この日記の主のほうが狂っていそうだがな」
「そう言わない。よくある信心深い人の印象の範疇さ」
でもまぁ、長幸の言う通りだ。蒼月教授が狂っているようには見えない。どちらかといえば、論理的な思考を持つ人で、忌み子の風習にメスを入れたがっている。そうなると、蒼月家当主の詠さんとの関係が良好だとは言えなさそうで。
そこでまた、違和感が一つ。
長幸も腕を組んで何かを考えている。
「……次行」
「……長幸も気になるよね」
ずっと引っかかっている違和感。
ウケイ。
蒼月詠はウケイだ。ウケイは双子のこと。はる子さんの手紙にも書いてある。もう一人、蒼月詠がいるのは間違いない。
だけど、以前見た蒼月蓮華に関する戸籍には一人しか記載されていなかった。
名前を統一するだけなら、わざわざ吾田家ではなく、姉妹の子としても良かったはずなのに。
「やっぱり蒼月家を直接見てみたいな」
「だが拒絶されている」
「それね」
わざわざ阿多まで行ったのに、門前払いだったのが痛手すぎる。
「せめて家系図があればいいんだけれど」
改竄された戸籍とかではなく、正しい家系図さえあればもう少し踏みこめそうな気はする。とはいえ、そんなもの簡単に入手できるはずもなくて。
どうしようかとぼんやり天井を見上げていれば、長幸がぽつりとぼやく。
「家系図か……父上に頼んでみるか」
視線を長幸に戻す。
「父上に? そんなあっさりいけるかな」
「いけるさ」
家系図なんて、そう簡単に見せてもらえるものでもない。
それでも自信ありげに言う長幸に、僕は肩をすくめた。