第15話 占い師の戯言
蒼月教授の論文そのものは短く、ほとんどが蒐集した双子の話ばかり。似たような話も多くて飽きも入ってきたところで、ようやくその文字を見つけた。
『鹿児島県阿多郡の例』
阿多といえば、あの阿多だ。
今は郡制が施行されて日置郡になっているそうだけど、間違いなく西海道の南端、僕らの婚約者たちの出身地。
僕らは食い入るようにその話を読む。
『阿多の双子は十八年の夜に一人となる。片割れは〝ちるひめさま〟のかんなぎとして神託を継ぐ役目を負う。選ばれなかった子は不遇とされ、根の国へと誘われるしきたりである。選定の儀まで、子は一子として育てられる。』
論文から顔をあげ、長幸と顔を見合わせる。
「……これだけか?」
「……みたいだね」
他の例に比べて、随分と短く不可思議な文だ。
十八の夜、片割れ、ちるひめさま、かんなぎ、不遇、根の国、選定の儀、一子。
この一子こそ、蒼月家の双子の運命を指しているのだろうか。
「これだけじゃ、まるで分からないな」
「蒼月教授はこれを知りたいから蒼月家に婿入り来たとか?」
「非効率的すぎるだろう」
長幸に言われて、僕は首をすくめた。たしかに双子の話を聞くためにいちいち婿入していたら、結婚詐欺師にでもなったほうがいい。
あーだこーだと長幸と話していると、閉館の刻限となっていて、職員に図書館から追い出されてしまった。
「夢中になってると時間が経つのはあっという間だね」
「さっさと帰るぞ」
まだ太陽は茜色に染まっていない。日が長い時期だからか、夜がやってくるのはまだ先だ。
もう少しどこかに寄って行きたいなと思っても、長幸が直帰したそうな雰囲気。お腹も空いたし、家に帰るかと大学を出る。
その帰り道で、女学生の群がりを見つけた。
随分とにぎわってるなぁ。
「あれはなんだ。女学生か」
「集まっているね。のぞいてみる?」
「野次馬はやめておけ」
品がないぞって止められるけど、僕は笑って長幸の腕を引っ張った。
「でもあんなに女の子たちに人気なものなら、僕らの麗しの婚約者さんの興味をひけるかもしれないよ」
「……少しだけだぞ」
婚約者を引き合いに出せば、長幸も神妙な面持ちで頷いてくれた。さすが兄弟。天邪鬼なのはお見通しだよ。
女学生たちの群れに近づいてみると、その中心には怪しげな存在がいた。
長い黒髪を一本の注連縄のように編み、顔には雑面をつけて、白躑躅の狩衣を着ている。座っている様子はちょこんとして可愛らしく見えるのに、声が豪快で大きく、女性らしいと分かる。
不思議な様相の女占い師は敷物を敷いて、恋愛相談に乗っていたらしい。良い結果が出たようで、手を取られている女学生の頬が真っ赤に熟れていた。
「なんだ、占いか。目新しさはないな」
「こんなに集まっているってことは、当たるのかな」
「どうだか。占いなんて所詮は思い込みだろ」
長幸は鼻白み、きびすを返す。
それを目敏く見つけたらしい女占い師が、長幸の背中に向けて声を投げた。
「あら。貴方たち、占いを馬鹿にするの? あたし、炯々の占いは当たるのよ!」
敷物の上でおもむろに立ち上がると、炯々と名乗った女占い師は胸を張って仁王立ちになった。
僕らはちんまりとした女占い師を見下ろす。身長、低いな。女学生たちよりも小さくて、子供くらいにも見える。言動が子供っぽくみえるが、どちらかと言えばムキになっているというよりも挑発的だ。その立ち振舞にも卒がない。
今の今まで占ってもらっていた女学生が、友人たちに引かれて敷物から出ていった。ものは試しだ。空いた空間に僕が座ろう。
「それなら僕も占ってもらおうかな」
「おい、次行」
長幸が咎めるように言うけど、炯々という女占い師はちゃっかりと腰を下ろした。雑面が微動だにしないで僕を見つめてる。
「あらあらまぁまぁ! 同じ顔のお兄さんたちってば、まるで正反対ね。弟さんたら、お兄さんがあんなに天邪鬼で大丈夫?」
僕は片眉を跳ねた。
「驚いた。占いってそういうのも分かるの?」
長幸は一見すればただの生真面目な石頭にしか見えない。それがただの天邪鬼だって気がつく人はそれほどいないのに。
炯々は片手を胸に当てて大仰に礼をすると、僕のほうへと手を差し伸べる。
「もちろん。さあ、お兄さんの手をよく見せて。貴方の手が何を掴めて、何を失うのか、教えてあげる」
炯々の手へと自分の手を差し伸べると、頭上から覗いていた長幸がぽつりと呟いた。
「手相占いか」
「ええ。その人のことはその人の身体に聞くのが一番でしょ?」
唄うような言葉が耳に心地よく、それもそうだなと思わせてくる。
僕らはじっと身を固めて待つ。炯々がじっくりと僕の手のひらを見聞し、片手が終わるともう片方の手を検分し、左右の手のひら両方で僕のことを占ってくれる。
やがて僕の手を離した炯々は、頭をゆらゆらと揺らした。
「そうねぇ。貴方、今、探し物に苦労しているのね。見つけてはいけないものを探しているのかしら。死相がでてる」
「おっと?」
まさかのことを言われて僕は目を丸くする。後ろでは長幸が憤慨していて、僕の肩を掴んできた。
「でたらめを言うんじゃない! おい次行、帰るぞ!」
喚く長幸を無視して、雑面の奥の真意を探ろうと炯々をじっと見つめる。炯々は顎に指を添えて、笑うような仕草をする。
「ふふ。でもこの死相はちょっと変わっているわね? 黄泉の国じゃなくて、根の国に向いている。オオナムチ様と一緒。生死を賭した試練が待ち構えているようね」
「胡散臭い宗教じみたことを言うな!」
長幸が吠えた。炯々はそんな客には慣れっこなのか、飄々とした態度で長幸に接する。
「あらあら、怒らないで? 手相は変わるもの。未来も変わるもの。私がするのは、進んでいる道のどこにいるのか教えてあげるだけ。別に新興宗教の勧誘とかでもないわ!」
頭上で長幸が雑面に向かって火花を散らしている気配を感じるけど、そんなことより僕は名案を一つ思いついてしまって。
「……そうか。この手もあるのか」
「どうした次行」
「長幸、手、貸して」
「え、あ、おい」
戸惑う長幸の手を奪って、自分の手のひらと見比べてみる。うん、可能性はありそう。
ただ一つだけ問題があるわけで。
「これ、残ってるといいんだけど……」
一人で考え込みながらぼやいていると、長幸が僕から手を引き抜いて、いったいなんなんだと訝しげに見てくる。
僕はそれを黙殺して、炯々に笑いかけた。
「ありがとう、炯々さん。いいこと教えてくれて」
「どういたしましてー。選択肢を間違えないようにね? 道を違えなければ、あなたは欲しかったものを手に入れられるわ!」
「あ、おい、帰るのか!?」
炯々がお布施の籠を差し出してきたので、気持ちばかりの銭を入れておく。僕は立ち上がると、女学生の雑踏から抜け出した。
気が急いてしまって足早になる。後ろから追いついてきた長幸にはこのまま電信局に向かうと伝える。
「電信局だと? なんでそんなところに」
「蒼月花蓮の手がかりがあるかもしれないからさ」
「は?」
怪訝そうに眉を寄せる長幸に僕は教えてあげる。
「手だ。蒼月蓮華の手」
「手? 手相でも見るのか。手相なんか、年齢によって変わるというじゃないか」
「変わらないものもあるでしょ」
「変わらないものって……まさか、指紋か?」
「そう」
早足で歩くと口も早くなる。
僕らは競歩で並びながら、ぽんぽんっと言葉を投げ交わし合う。
「指紋なんて、それこそ何年も残らないだろうが」
当然の反論だ。指紋は残らない。多分残っても数日だ。
それでも残っているものがあるかもしれない。
僕は笑う。
長幸が渋い顔になる。
「……何を考えてる」
「お七夜の手形。吾田家みたいな立派な旧家なら、この手の行事はやっているかもしれない」
そう思って息を切らしながらやって来た電信局で、僕はさっそく吾田家に電報を送る。
返信が来るのが待ち遠しい。