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第14話 図書館の叡智

 僕らの通う帝国大学は医学部だけじゃなく、文学部もある。

 長幸も僕も、久瀬家の倅として当然のように帝国大学医学部に所属しているわけだけど、文学部が併設されているおかげか、図書館の所蔵はかなり充実していた。


 休日だからか大学には人がまばらだ。とはいえ勤勉な学生がいるおかげか、図書館はそこそこ人が行き交っていた。


 僕は普段近づかない、文学部向けの区画へと真っ先に足を向ける。


 欲しいのは日本書紀だ。

 原文をそのままでも読めるけど、できるだけ読みやすいものを探す。布張りのどっしりした装丁の本が、何十冊にも分かれてあった。


「日本書紀ってこんなにあるのか……? あれ? ここから題が微妙に違う。続日本紀? どう違うんだ……?」


 あまり歴史に明るくないから知らなかったけれど、日本の正史と呼ばれるものは想像以上に長いらしい。


 一人じゃ無理だと思って長幸の姿を探すと、読みたい本をすでに見つけたのか、窓際の長机の端っこに陣取って読みふけっていた。


 仕方ない、できるところまでやってみよう。

 僕はまず一冊だけ、日本書紀を手に取った。


 日本書紀の巻第一は、教養として知っている話ばかりで、原文であってもまぁまぁ読めた。


 神々が天地を開闢し、伊弉諾神(いざなぎのかみ)が三貴神を生み、皇祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)にまつわる話へと繋がっていく。


 本文だけを読むのならそれほど苦ではないけれど、面倒なのは『一書(あるふみ)』の存在だ。


 日本書紀の巻第一のほとんどは、『一書曰く』という形で注釈がある。なんの注釈かと目を通してみれば、神々の名前の表記が違っていたり、生まれ方が違っていたり。


 中でも目につくのは、天照大御神の生まれの話だ。僕が知っていたのは伊弉諾神の左目から生まれたという話だったけれど、日本書紀本文ではそんな記述はなく、『一書曰く』として伊弉諾神の左目から生まれたと記述されていた。


 この『一書』が意外にも多い。だけど全体の量としては薄く、目を通すだけなら半刻程で読めた。


 あまり目ぼしいと思える記述もなかったので、今度は巻第二を持ってきて読んでみる。


 ここでようやく、気になる記述を見つけた。

 天孫降臨の段で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が美しい女性に出会う場面がある。


 その場所は、吾田の長屋の笠沙(かささ)(さき)

 出会った女性の名は、神吾田津姫(かみあたつひめ)


 またの名を木花開耶姫(このはなさくやひめ)


「吾田って、あの吾田?」


 コノハナサクヤヒメといえば、縁結びの神様じゃなかっただろうか。

 ちょっと気になって、地図を引っ張り出してくる。


 阿多の土地は西海道の南端、鹿児島県の日置郡にある。笠沙の碕を探してみるけれど、そんなものは存在しない。


 偶然かと思ったけれど、なんだか妙にひっかかるものがある。

 その引っかかりを手探りで見つけ出そうとするけれど、それが何か、分からない。


 息が詰まりそうだ。肩の力を抜くために天井を仰ぐ。あ、首がコキっていった。


「次行、さっきから落ち着きがないぞ」

「あ、ごめん」


 長幸に苦言を呈された。

 集中力が切れたから、ここで一度休憩にしようかな。


「長幸、すごく集中していたけど、なにを読んでたのさ」

「メンデルの論文だ。父から借りてきたんだ。こんなもの、辞書なしじゃ読めない」


 海外で再発見されたっていう、遺伝学の論文か。

 ここには辞書もあるし、先行研究だってたくさんあるから、論文を読むにはうってつけではあるだろうな。


「そういう次行こそ、どうなんだ」

「日本の神話ってめんどくさい、って気持ちでいっぱい」

「だろうな」


 椅子に深く座って、お互い天井を仰いだ。背の高い本棚があるからか、図書館の天井って少し高い。


「国学は幕府の頃に盛んに行われていたからね、こっちも先行研究はいっぱいありそうだ。ただ、これに目を通しだすときりがないってことだけわかったかな」

「なんでそんなものに手を出したんだよ」

「ほんとにね」


 調べなかったら、しなくてもいい苦労だったのかもしれない。でも手を出した以上、中途半端にするのも収まりが悪いんだよ。


 机の上に置かれている本を見る。この日本書紀、一冊は薄いけど、注釈だらけで読みにくい上に、まだ二十巻以上もあるんだよな……。


 考えるだけで気が萎える。


「それで? 調べたかったことは調べられたのか?」

「分かんないよ。吾田の名前が出てきたけどさ、それがあの吾田家と関わるのか違うのか、調べ方すら分からない」


 きっかけは掴めたけど、その真偽や関連するものを調べる手段が分からない。こうなると、あとは文学部の教授でも捕まえるしかないか。


 そう思ってた途端に、ふと天啓が降りてくる。

 いるじゃないか、近くにこの分野に明るそうな教授が。


 僕は席を立つと、職員に本を探すのを手伝ってもらう。ここは帝国大学だ。一つくらいあるだろうと期待していれば、案の定見つかった。


 それを片手に席へと戻る。長幸が僕の手元を覗き込んできた。


「今度は何を持ってきたんだ」

「蒼月教授の論文」


 民俗学の分野で活躍している教授だ。双子にまつわるあらゆる伝承や風習を全国行脚して蒐集していたと聞いたことがある。


 直接本人に聞けばいいけど、その前に彼が出している論文に目を通しておくのは礼儀だよね。蒼月教授が既に僕の欲しい答えを明確に持っているかもしれないし。


 長幸も興味があるようで、僕の手元を覗いてくる。僕は読みやすいように冊子を少し長幸のほうへと寄せた。


 持ってきた論文は蒼月教授が十五年ほど前に書いたものだ。結婚前まで全国行脚をしていた蒼月教授が最後にまとめた双子の話が記載されている。


 読み進めていくうちに、双子が生まれた場合に上の子が忌み子にされる事例が多くあるなと感じた。今の時代に非科学的だけど、忌み子にまつわる風習は呪術的要素を持つものが多いと蒼月教授は論じている。


 ではその始まりはどこから来るものか。

 呪術的因縁の根源を探るべく、双子の話を色んな角度で系統化して蒼月教授は論じている。


 その中で最終的に着目したのが、神話時代の双子。


 それこそ古事記や日本書紀において「上の子と下の子が争った場合、上の子が敗する」という具体例を挙げて触れている。


 双子が生まれると上の子が忌み子とされるのは、この辺りのことに起因するんじゃないかというのが蒼月教授の見解だ。


 ここまで読めば、それとなく説得力のある話だと感じられた。さっきまで日本書紀を読んでいたから思うのかもしれないけど。


「僕とお前だと、僕が忌み子になるのか」

「馬鹿言うなよ。家督継ぐくせに」


 迷信なんてこれっぽっちも信じないでしょ。 


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