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第10話 喫茶店の騒動

 朝からずっと歩き詰めていたからか、蒼月姉妹の歩みが少しずつ遅くなってきた。

 長幸と視線を交わして、近くの喫茶店へと入る。


 店内には珈琲の苦みのある香りが充満していて、鼻腔をくすぐった。珈琲と煙草の匂いが混ざり合って独特の煙たい匂いになりがちな喫茶店が多い中、純粋な珈琲の香りだけを感じられるのは珍しい。


 この店は当たりだな。僕らみたいな年頃の男女の逢瀬にぴったりだ。


 女給に案内されて、席につく。

 店内の壁にかかっているお食事やお茶の品書きを示しながら、婚約者殿にお伺いを立てた。


「何が食べたい? コロッケ、カレー、ナポリタン……あ、オムライスもあるよ」

「コロッケ」

「長幸、コロッケ好きだよね」

「家じゃ食えない」


 婚約者に聞いたはずなのに、長幸が真っ先に答えちゃったよ。いいんだけどさ。ここは婚約者に先に選ばせてあげようよ。


 僕は再度、蒼月姉妹へとお伺いを立てる。彼女たちの視線はゆっくりと店内の壁を巡った。


「珈琲は飲めるかい? 飲んだことないならミルクを淹れてもらおう。他は……あぁ、パンケーキだって」


 女性が好みそうなものを読み上げると、案の定、蒼月姉妹も興味を惹かれたらしい。


「「パンケーキ」」

「じゃあパンケーキにしようか」


 二人の目がきらきらと輝いている。

 初めて見つけた、婚約者の人間らしい表情。

 甘いものが好きなんだなぁ。


 僕は婚約者たちににっこり微笑みかけて、女給に注文をつける。僕はナポリタンにした。


 最初に珈琲が運ばれてくる。食事は時間がかかるらしい。

 長幸と僕は、運ばれてきた珈琲をそのまま頂いた。砂糖やミルクはいらない。緑茶だって、麦茶だって、そのまま頂く。飲み物に砂糖をいれて甘くするっていう感覚がいまいち慣れないんだよね。


 僕らが平気で飲んでいるからかな。蒼月姉妹も、最初にひと口、珈琲カップへと口をつけた。


 彼女たちにとって、初めての珈琲だったはずだ。様子を見守っていると、二人の動きがぴしっと止まる。ピン、と背筋が伸びる。


 ゆっくり、ゆっくりと珈琲カップをソーサーに戻した。


 蒼月姉妹はその後、じっと珈琲カップを見つめるだけで手を出さない。途方に暮れてるみたいで、なんだか可愛く見えた。


「口に合わないなら、これをいれなさい」


 長幸が自分の婚約者の珈琲に砂糖とミルクをいれてやってる。

 にこにことその様子を眺めていたら、じっと蒼月姉妹の視線が僕に突き刺さった。

 僕は婚約者の頬をふにっとつつく。


「君も砂糖とミルクが欲しいのかい? それならおねだりしてごらん」


 婚約者の唇が震える。

 だけど、言葉は発せられなくて。


 じっと引き結ばれた唇を見つめていれば、長幸が大きく嘆息した。


「大人げないぞ」

「はーい」


 僕は砂糖とミルクを珈琲に淹れてあげる。

 蒼月姉妹がもう一度カップへと手を伸ばし、口をつけた。

 その表情は変わらない。

 味の感想でも聞いてみようかと思ったところで、食事が運ばれてきた。


 長幸の前にコロッケの皿が、僕の前にはナポリタンが置かれる。蒼月姉妹の前にもパンケーキが置かれ、店員が目の前でメープルシロップをふんだんにかけていった。


 食事も揃ったので、四人で手を合わせる。

 

「あ、ナポリタンおいしい」

「次行、コロッケ少し食うか?」

「もらう。長幸もナポリタンひと口どうぞ」


 少し行儀が悪いかなと思いつつもお互いの皿を交換して、一口ずつもらう。こういう時、お互いの好みの味が似てると得をするよね。あっちも食べたいな〜って思ったのを味見できるからさ。


 コロッケの皿を差し出せば、ナポリタンの皿が目の前に戻ってきた。また食べ進めようとすれば、じっと視線を感じる。


 蒼月姉妹がじっとこちらを見ていた。


「どうした?」

「食べたいのかな?」


 長幸はコロッケを切り分けると、自分の婚約者の皿へと乗せる。

 あーあ、そんな愛想のない感じで。ここは僕が見本を見せるべきだろうか。


「長幸、そこはこうでしょ。あーん」


 婚約者殿の口元にひと口分のナポリタンを運んであげる。

 婚約者殿は口を開かないし、長幸にはものすごい嫌そうな顔をされた。


「僕と同じ顔で恥ずかしい真似はよせ」

「恥ずかしいと思うから恥ずかしいんだよ」


 僕はしぶしぶ、パンケーキの皿にナポリタンを乗せた。婚約者殿が口を開いてくれなかったからね、仕方ない。


 僕らは蒼月姉妹の様子を見守る。

 皿の上に乗せられた異物をじっと見つめている。パンケーキはひと口分が切り分けられていて、既にフォークにひとかけ刺さっている。まず二人はそのパンケーキを咀嚼した。


 小さく頬を膨らませて、もっもっと口を動かしている。その様子がちょっとかわいい。

 きっかり三十回咀嚼して、蒼月姉妹はパンケーキを嚥下した。空になったフォークが、皿の上にある異物へと向かう。


 コロッケとナポリタンが、それぞれのフォークに刺さる。コロッケに刺さったフォークが不自然に空回る。ナポリタンに刺さったフォークがパスタを巻き上げた。


 フォークが口もとに運ばれる。蒼月姉妹はゆっくり咀嚼して。


 きっかり三十回の咀嚼。僕の婚約者がナポリタンを嚥下した。長幸の婚約者もコロッケを嚥下したけど……衣が気管支に入ったのか、咽てしまった。


「大丈夫か?」

「水飲んで」


 長幸が婚約者の背中をさする。僕も腰を上げて水の入ったグラスを差し出した。


 あとは落ち着くまで長幸に任せよう。そう思って腰を降ろしたんだけど。


 僕の婚約者殿が、首元に手を当て口をはくはくさせていた。さすがの僕も一瞬、理解ができなかった。


 まさかこの子、呼吸を止めてる……!?


「息を止めないで! 大丈夫、息を吸っていいんだ」


 片割れにつられて呼吸を止めたんだと思う。長幸もぎょっとした表情でこっちを見ていた。


「ここでそうくるか!?」

「厄介なしつけ方してるよね、ほんと」


 さっさと落ち着かせろよと、長幸に向かって視線を向ける。長幸は舌打ちして婚約者の背中をさすった。

 蒼月姉妹の呼吸がだんだんと落ち着いていき、僕たちもひと息つく。


「落ち着いたか」

「ゆっくりでいいよ。あせらないで」


 まさかこんなことになるなんて。

 蒼月姉妹の行動は僕らが思っていたのと少し違うのかもしれない。


 僕の婚約者の振る舞いは片割れと揃えるというよりも、制限の用に見えた。行動を揃えるというのなら、僕の婚約者も咽こむような素振りがないとおかしい。だけど咽こまずに呼吸を止めたんだ。


 これは早急にどうにかしたいね。


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