第1話 双子の婚約者
婚約者のおとがいに指をかけ、上向かせる。
僕らは唇を重ねた。
「骨、血、肉。見比べてみたらただの部品でしかないんだ。人間を本にたとえたら、どれだけのページに同じ物語を紡げるんだろうね」
春の陽気に包まれる庭園で、藍色の振り袖を着た彼女が苦しげに息をつまらせる。
僕はもう一度口づけた。
彼女の肺に、生きるために必要なものを送ってあげる。
「皆、表紙の革の色、紙の質感、インクのにじみ。見た目だけでどんな本か決めつける。文字を読んでその違いに気がつくけれど、書名が同じであれば同じ物語だと決めつける。……だからといって、片割れと全く同じ人間になる必要なんてないんだよ。君は、君なんだから」
呼吸を詰まらせている婚約者を抱えながら、その耳へと触れた。
双子の片割れがいないだけで呼吸さえままならなくなる彼女の姿は、まるで人形のよう。
それでも僕は彼女の婚約者になった。婚約者になったのなら、僕が彼女の一番の理解者であるべきだ。
だけど僕は彼女のことをよく知らない。彼女の本当の名前さえ、まだ知らない。
でも、これからの彼女の人生を、僕は半分預かった。
呪われた家に狂わされた彼女の生き方。
可哀想な彼女が常に誰かの真似をして生きるしかないのならば、僕と彼女の違うはずの物語。その物語の百分の一でもいいから、同じ物語で埋めてしまおう。
そうすればきっと。
「いつか君は、一人でも呼吸ができるようになるよ」
僕と彼女は、家の呪縛から抜け出せるはずだ。
◇ ◇ ◇
久瀬家といえば蘭学の学びから大成し、この明治の時代で最先端の医術を駆使している医者の家系だ。
幼い頃から医者になるように、僕ら双子は厳しく育てられた。
兄の名前は長幸で、僕は次行。
兄とまったく同じ能力や成績、仕草や言動を要求されるたび、僕はそれをこなしてきた。
こなすことは存外難しいことではなかったけれど、まるで代替品のような扱いに、反発心が少しも湧かなかったわけじゃない。
僕は、いつか兄が家を継いで、自分が『個人』として開放される日を夢見て生きてきた。
それが今日、最悪の形で破綻する。
「「私たちは蒼月の蓮華でございます」」
藍色の布地に金の蓮華が華やかに咲く振り袖を着た、蒼月家の双子の姉妹。
僕と長幸に与えられた婚約者たちだ。
「ご覧の通り、蒼月家のしきたりで娘はこのように一心同体、阿吽の呼吸でございます。こうして育てた故に長時間二人を離してしまいますと、どちらかは呼吸がままならなくなるのです。ですので婿方にはくれぐれも寝食を共にしていただくよう、お願いしたく――」
なじみの料亭で久瀬家と蒼月家の見合いが進む。
蒼月蓮華の父である大学教授の蒼月真実が、まるで鏡合わせのような娘を紹介し、説明している。
蒼月教授の話すことは、ずいぶんと不気味に聞こえた。
それもこれも、視線の動かし方から呼吸の回数まで、すべて同じな姉妹がそこにいるからだろうか。兄の代替品として育てられた僕でさえ、兄と同一人物になるように教育されるなんてことはなかったのに。
事前に父の久瀬雪代から、蒼月家は少々特殊な家だと聞いていた。なんでも双子しか生まれない、呪いがかけられたような家なのだとか。
双子が忌み子とされてきた因習は、大政奉還をした今の世でも深く根づいている。蒼月真実はこの忌み子が生まれるメカニズムを科学的に究明できないかと、久瀬家を頼ってきたらしい。
「先年、久瀬先生は遺伝学についての論を翻訳し、医学的応用について言及しておりました。それが忌み子のメカニズムの解明に繋がるのではないかと、民俗学者として大変興味深く思っております」
遺伝学なんてものは、三年前にようやく海外でその仕組みを承認されたばかりの分野だ。四十年ほど前には既にとある植物学者によって発見されていた法則を裏づけるような形で再発見されたらしい。
僕と兄も、後学のためにとその論文を読ませてもらった。結論、内容としては面白かった。でもあんまり一般的には馴染みのない話だと感じた。だからこそ、蒼月教授はよくそんな埋もれた、しかも海外の、分野違いの話を見つけてきたものだと感心する。
とはいえ、長々しい義父となる人の話にも飽きてきた。
僕がちらりと隣りを盗み見れば、長幸も僕のほうへと視線を寄こした。お互い素知らぬふりをして前を向いて、父たちの話に耳を傾ける。
遺伝だの。
医学的活用だの。
それがこの婚約にどう繋がるのかといえば。
「それではお話しの通りに。蒼月家の血統がどう変化していくのかを当家預かりで確認させていただきましょう。一卵性双生児は貴重ですからね」
父も満足そうに頷く。
これは医者と民俗学者の研究の一環だ。
一卵性双生児の男女の双子が結婚すると、生まれた子にどう遺伝的な差異が生まれるのか。科学的アプローチで蒼月家の忌み子の呪いを変えられるのか。そういう研究。
僕は長幸とともにすまし顔で父たちの会話に耳を傾ける。ここに子の意見は反映されない。家長という彼らの立場がなんとも忌々しい。
ある程度話して満足したのか、父たちはそれではあとは若人だけで、と部屋を出て行った。
お互いにまずは親交を深めるべきだとあてがわれた、婚約者たちとの逢瀬の時間。
「レディ」
「こちらへ」
長幸は部屋に残り、僕は中庭へと出ることにした。そのあとは心ゆくまで、それぞれの婚約者と語らうはずだったんだけど。
兄が大人しくしていたのは、そこまでだった。
「こんな娘が僕の婚約者だと? ふざけるなよ!」
長幸が怒鳴り込みながら、中庭に僕を探しにやって来た。
婚約者と一緒に花壇のそばにいた僕は首を巡らせて声のほうを見る。あーあ、眉間にぎゅうっとしわを寄せちゃって。
納得がいかないと顔にでかでかと書かれているけど、正直、僕だってそれどころじゃなくて。
「長幸、落ち着きなよ。ちょっと今、取り込み中」
「そんなもの見れば分かる! なんなんだ! そちらの娘が部屋を出た瞬間、本当に呼吸を止めたぞ!」
長幸の言う通り。
僕の腕には今、蒼月姉妹の片割れが、息苦しそうに震えながら呼吸を止めている。
双子を離したら呼吸もままならない?
僕らを良い研究対象としか見ていない久瀬の父は子育てに向かないクズだと思っていたけれど、蒼月家はそれ以上。
狂っている。
二人の人間が、まばたきも、呼吸も、脈動も、一寸の狂いもないなんて。そんなの狂っている。
だからこんなことになるんだと、僕はさめた目で婚約者の少女を見下した。
「長時間離して呼吸もままならない姉妹を嫁にして、子も同じ環境で育てろだと!? 僕には自分と全く同じ顔の奴の閨事を見聞きする趣味はないぞ!」
「すごいな、あの話の内容でそこまで飛躍できるのか。ちょっと僕にはその思考回路はなかったよ。下衆いな、長幸」
「茶化すんじゃない!」
茶化すなと言われても。
先におかしなことを言い出したのは長幸だ。なんで怒鳴られないといけないんだ。解せない気持ちのまま、僕は長幸を睨めつけて。
「それで? 長幸は呼吸のできない婚約者を置いて、何をしに来たのさ」
「お前を呼びに来たんだ。アレは酸欠で気を失った。さすがに無意識下になれば、普通に呼吸を始めたからこちらへ来たんだが……次行、なぜお前の婚約者は起きている?」
「あは、ようやく気づいたか」
一人で喚いている長幸の演説は面白いけれど、僕だって取り込み中。その理由も、同じ体験をしたばかりらしい長幸なら、理解してくれると思っていたけれど。
「長幸さぁ、酸欠になるまで婚約者を放っておくなんて、ひどいな」
「ひどいのは蒼月家だ! 僕じゃない!」
吠える長幸の威勢の良さ。その威勢を父や蒼月教授の前でも出せていたら、こんなことにはならなかっただろうね。
息巻く長幸のおしゃべりに付き合っていたら、腕の中に抱いていた僕の婚約者が一際苦しそうに喘いだ。呼吸の仕方を忘れてしまったようなその健気な姿に、僕らの胸も痛む。
「やっぱりお前のほうも同じか……!」
「そうだけどね。でも僕は長幸みたいに、気をやるまで放っておくなんてことしないよ」
訝しげに眉を寄せる長幸を、僕はせせら笑う。
一人で呼吸ができないというのなら。
「口づけて、呼吸の仕方を覚えさせてやればいいんだよ」
僕は腕の中の女の子の顎をすくい上げ、長幸に見せつけるように口づけた。
ふぅ、と酸素をむりやり吹き込めば、彼女の胸はふくらむ。ちぅ、といらない空気を吸い出してやれば、彼女の胸がゆっくり下がっていく。
「なっ……な……!?」
「ほら、長幸も行きなよ。僕と同じ閨でお互いの婚約者の艶姿、見せ合いたいわけ? 呼吸の仕方くらい、覚えさせてあげようよ」
「っ、くそ、父上の目は節穴だ! どこが僕とお前が似た者同士なんだか……!」
長幸は顔を真っ赤にさせながら部屋のほうへと戻っていく。初心だったらしい兄の姿にちょっとだけ笑ってしまった。
長幸の姿が見えなくなると、僕は腕の中の少女へと視線を戻す。酸素が足らずに瞳が虚ろになった婚約者の頬を優しく撫でてやる。
蒼月の蓮華。双子の娘。遺伝の呪い。
「蒼月家か……」
科学の発展は国の発展。遺伝学も進めばきっと、父の言うように医療技術に役立つ日が来るかもしれない。
でも蒼月家が、久瀬家が、やろうとしていることを肯定してはいけない気がした。
僕らを、産まれた子を、尊い命を、実験動物のように扱う家を肯定してはいけない。したくない。
そのためには、まず。
「僕の婚約者の本当の名前を、見つけてあげないとね」
二人でひとつの名前を共有するなんて冗談じゃない。
僕は、自分の妻になる人だけの名前を呼びたいのだから。