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4-2

 僕やメイくんのように、中にプレイヤーがいるアバターだとするなら、どうして毒の泉の中にいるのだろう。新聞社から受けた依頼などで、仕方なく入ることにでもなったのだろうか。でもそれなら、さっさと目的を達成して、さっさと戻ってくればいいのに。


「! ひょっとして……」


 あることに気づいた僕は、鬼面のアバターに向けて意識を集中させる。

 ――見えた。鬼面の背中の辺りに、小さなウインドウが出現する。パーティを組んでいる仲間なら、視界の隅っこで勝手に情報を表示してくれるんだけど、まったく関係のないアバターが相手だと少し勝手が違う。こんなふうに、こっちから「見たい」と強く思わないかぎり、体力の減り具合も状態異常にかかっているのかどうかもわからないのだ。


「真っ赤になってる……!」


 遠くに小さく見える鬼面の体力ゲージは、赤。つまり《瀕死》の状態だ。そして泉の水のせいで《毒》にもなっている。だから身動きできずにいるんだろうか。僕はまだ経験したことはないけど、瀕死のメイくんは何度も見てきた。痛みは感じないにしても、動くのがとても大変そうだった。


「いや、待てよ……」


 僕は別の可能性も考えてみる。動けないのではなく、動かないのでは?

 ヒノモトのデスペナルティ――つまり、死んでしまったときのデメリットはそんなに厳しくない。強制的に拠点に戻されるくらいなので、逆にそれをワープのように利用する猛者(もさ)もいる。

 ひょっとしたら、あの鬼面も死ぬことが目的で毒の泉に入ったんじゃないだろうか。もしそうなら、邪魔をしないほうがいいのかもしれない。


「……あ」


 一応の結論は出たものの、まだなんとなく立ち去れないでいる僕に応えるように、鬼面が小さく身じろぎした。腕の動き方から、胸元の辺りでなにかを持っているようにも見える。ここからでは確認できない、小さななにかに目線を落としてから、鬼面はゆっくりと顔を上げた。


 ――月を、見ている。

 大きな満月の光に照らされながら、胸に抱えたものと一緒に、ただひとりで死んでいこうとしている。


「……」


 これは、ゲームだ。ゲームの中で死んでしまっても、現実世界で死ぬわけじゃない。

 だとしても。それでも。

 ゲームだろうと、なんだろうと。

 人知れず冷たい水の中でゆっくり死んでいくなんて、さみしいに決まってる。


「っ祓え給い、清め給え!」


 大きな水柱と音を立てながら、僕は泉の中に飛び込んだ。術技を発動するための詠唱を開始したことで、自動的に特コスから巫女の衣装に切り替わる。

 いきなり膝下まで水に浸かってしまったうえに、濡れた袴が足にまとわりついて歩きづらくて仕方がない。水の容赦ない冷たさに(ひる)みそうになるけど、鈴を持った手を前後に大きく動かしながら、少しずつ鬼面の元へ進んでいく。


「神ながら守り給い、幸え給え!」


 突然の僕の登場に驚いたのか、鬼面がこちらを振り向いたような気がした。でも、のんびり確認している余裕なんてない。ただ、せめて逃げないでほしいと強く願った。これ以上の距離が空くと、助けることができなくなる。

 ステータスウインドウが点滅して、異常が起きたことを知らせてきた。表示は――《毒》。泉から出ないかぎり、僕の体力が少しずつ削れていってしまう。


白露(しらつゆ)に、風の吹きしく、秋の野は……!」


 冷たいし、寒いし、全身がじわじわと痺れていく感じがして苦しい。なんだか泣きたくなってきた。でも今の僕と同じ思いを、きっと鬼面もしているんだ。そう思ったら立ち止まれない。


「つらぬきとめぬ、玉ぞ散りける!」


 あと、もう少し。もう少しだけ近づけば、鬼面が回復術技の範囲内に入る。けれど僕の体力も、そろそろ限界だ。視界の端っこが真っ赤に点滅して、必死に危険だと伝えてくる。ああ、もう。うるさいな、わかってるよ。わかってるから黙ってて。

 鬼面の体力が尽きるのが先か、僕の体力が尽きるのが先か。足先で毒の花を蹴散(けち)らし、膝で泉の水を押し返すようにして、前へ前へ。


百華祝詞(ひゃっかしゅくし)白露玉(しらつゆだま)》――!」


 発動のトリガーとなる言葉をさけぶと同時に、無数のシャボン玉のような泡が鬼面を取り囲んだ。そのうちのひとつが鬼面に触れて弾けて消えると、体力ゲージが少しだけ回復する。赤から緑へと変わったことを確認して、僕はほっと息をついた。

 あと五歩も進めば触れることのできる距離まで来たので、鬼の様子もはっきりと見える。あきらかに驚いて、戸惑って、呆然としている。

 そうだよね、びっくりするよね。わざわざ毒の泉に飛び込んで自分の命と引き換えに回復してくる知らない巫女って、ちょっとしたホラーだよね。――でも。


「よかったあ……」


 目の前で誰かが死ななくて、本当によかった。

 すっかり気が抜けてしまった僕は、そのまま重力に従って前のめりに倒れ込む。顔から思いっきり水面に突っ込んだことも気にならないくらい、眠くて眠くて仕方ない。こぽこぽと泡をはき出しながら、泉の底で咲く鮮やかな毒の花の元へ、ゆっくりと沈んでいく。

 ああ、きれいだなあ。そんなのんきなことを考えながら目を閉じた僕の腕が、なにかにつかまれたような気がした。




「……ここは?」


 目を開けると、白一色の世界だった。上も下も前も後ろもわからないような空間に「あなたは死亡しました」という、シンプルな黒い文字だけが浮かんでいる。


 死。そうか、僕は死んじゃったんだ。ゲームの中の出来事とはいえ、目の前にその事実を突きつけられると心臓がキュッとする。

 それなのに、現実世界ではこの言葉がとても身近にあるような気がした。それこそアクションゲームやロールプレイングゲームを遊んでいるとき。友達同士でふざけているとき。インターネットを使っているとき。あまりにも軽く使われすぎていて、それが本来はどんなに重い言葉なのかを、つい忘れてしまう。


 ため息をひとつ落としてから、改めて現状の確認をする。僕の死因は《毒》状態になったことでのスリップダメージによるものだ。もちろん痛くはないし、怖いという感覚はなかった。むしろ、誰かを助けることができたかもしれないという満足感だけが残っている。


「あの鬼は、無事だったかな」


 鬼面を《瀕死》状態から回復することはできた。でも、そのあとで鬼面がどういう行動をとったのかはわからない。泉から上がれば《毒》状態からは回復できるけど、ひょっとしたらあのまま居座り続けて、結局は死んでしまうのかもしれない。


「……無事だったらいいな」


 ここで僕がいくら考えても、答えは出ない。なんだかすごく疲れたので、このままゲームをやめることにする。

「拠点に戻る」という選択肢の隣にある「ログアウトする」を選択して、僕は真っ白な世界から現実世界の自分の部屋へと帰っていった。

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