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4-1

 ヒノモトにも夜は来る。しばらくひとりでイベントを楽しんでいた僕は、いつの間にかぽっかり浮かんでいた真ん丸の月に誘われるように火ノ都を後にした。


 街を一歩出れば、そこにはまったく違う風景が広がっている。見渡すかぎり、一面の野原。遠くに連なる、なだらかな山々。明るく輝く月にも負けない、まぶしいほど鮮やかな星空。


 祭りの騒がしさに慣れきっていた耳が、久しぶりに静かな時間を取り戻す。優しい風に揺れる草の音。聞いたことのない虫の声。ゲームの中だけど、BGMはない。誰もいないフィールドというのはとても珍しくて、僕はついつい足を延ばしてしまった。


 特に目的があるわけじゃなかった。大きな満月が一番キレイに見える場所はどこだろうと、空を見上げながらのんびり歩いていただけだ。だから、いつの間にか高レベルのプレイヤーしか足を踏み入れない領域に迷い込んでしまったことにも気がつかなかった。


「……あれ?」


 おかしい。雨は降っていないのに、濃い水の匂いがする。ずっと空に向けていた視線を進行方向に戻した僕は、思わず「えっ」と声を上げてしまった。

 草原の間をくねくねと走る小道をたどっていたはずなのに、気がつけば深い茂みの中に来てしまっている。慌てて辺りを見回すと、背丈の長い(あし)のような草の隙間からなにかがキラキラと輝くのが見えた。それが、満月の光を反射した水面だと気づいた瞬間、僕の動きがぴたりと止まる。


「ここって、もしかして<月蝕(げっしょく)の泉>……?」


 水底で咲く花の毒のせいで、魚すら住むことができない死の泉。火ノ都の近くにそんな危険なスポットがあると、新聞社で聞いたことがあった。レベルの低い僕たちには関係なさそうな場所だったので、そのときは一緒にいたメイくんと「怖いところがあるんだね」くらいの会話しかしなかったけど。


「……! まさか、もう毒になってる!?」


 僕はとっさに片手で口元を覆い、ステータスウインドウを確認した。物怪から毒の要素を含んだ攻撃を受けたりすると、《毒》の状態異常にかかってしまうことがある。一定時間ごとに一定の体力が削られてしまうので、長時間そのままでいると死んでしまうかもしれない。

 今のところ、僕のステータスは正常のようだ。体力ゲージも満タンで、特に減ったりはしていない。


「泉の中に入らなければ、毒にはならないのかな? ……でも、なんか怖いし、強い物怪もいそうだから街に戻ろ――」


 そう。戻ろうと体ごと振り返った、そのとき。

 ぱしゃり、という不自然な水音が辺りに響き渡った。

「ひぇっ!?」


 小さく肩を震わせた僕は、鳥が首を絞められたような悲鳴を上げてしまう。どうしよう、怖い。めっちゃくちゃ怖い。

 音の原因を確認するべきか、それとも急いで立ち去るべきか。冷静に考えることができたのなら後者一択だったんだろうけど、混乱している僕に正常な判断は難しい。助けを求めて、なぜかフレンドリストを開いてしまった。

 頼みの綱のメイくんは、当然オフライン。あー、今ごろ部屋でのんびりゲームの生放送を見ているんだろうな。僕がこんな怖い目にあってることも知らないで。


「すー……はー……」


 心の中でメイくんに八つ当たりをしたら、少しだけ冷静さを取り戻すことができた。深呼吸をして、さらにちょっとだけ落ち着く。

 そういえば、水音が聞こえたのは一度きりだ。単純に魚が跳ねただけなのかもしれない。いやいや、ここは毒の泉だ。普通の生き物なんているはずがない。

 ということは、やっぱり誰かが――なにかがいる?


「……っ」


 ごくりと唾を飲み込んで、からからに干上がったのどを湿らせる。しばらく迷ってから、水音が聞こえた方向へと足を踏み出した。大きな泉をぐるりと取り囲んでいる葦のカーテンから、おそるおそる顔を覗かせる。


「!」


 泉の中央に、それはいた。

 縦に伸びた細長いシルエットが、満月の光を浴びて輪郭を金色に輝かせている。ここからでは距離がだいぶ離れているうえに、逆光で影になっていてよく見えない。大きな獣だろうか。いや、違う。人だ。人の後ろ姿だ。狼の毛並みのような長い髪を背中に流し、腰から下を泉の水に浸しながら、微動だにせず立ち尽くしている。


 最初は物怪だと思った。人型の物怪はレベルが高い。もし戦うことにでもなったら、僕なんか一瞬で戦闘不能になってしまう。思わず腰が引けてしまったけど、もうひとつの可能性に気づいて踏みとどまる。


 まったく動く気配がないところを見ると、ひょっとしたら石像とか銅像なのかもしれない。観光地なんかによくあるオブジェクト。ここはゲームの世界なんだから、泉の真ん中に意味不明なものが置かれていても不思議じゃない。


「……え? あれ、人間?」


 真実を見極めようとする僕の視線の先で、人影がわずかに動く。ほんの少しだけ、横顔が見えた。僕は思わず身を乗り出すようにして目を凝らす。

 よく見ると、顔の上半分だけを鬼の面のようなもので隠している。残りの下半分には、ちゃんとした人間の鼻や唇があるので、少なくとも物怪ではなさそうだ。そうなると、次に浮かぶ疑問はひとつ。


「なんで、あんなところに……?」

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