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ヒノモトの気候は、常に春や秋のようで過ごしやすい。一部の地域は極寒だったり灼熱だったりするけど、そこへはまだ行けないので詳しいことはわからない。
ここ火ノ都に関しても、一年を通じてほとんど景観に変化はみられないらしい。「チュートリアルのために使われることが多い南側の光景がコロコロ変わったら、新規のプレイヤーが混乱するからね」と、メイくんが言っていた。なるほど、たしかに。
でも、大きな川をはさんだ向こう側。つまり今、僕とメイくんがいる北側は違う。現実世界の季節を反映したイベントが行われているので、地区全体がこれでもかというほど華やかに飾りつけられていた。
「わ、すっごい! 花がいっぱいだよ、メイくん! え、あれなに!?」
麗春祭という名前が示すとおり、今回のイベントのテーマは春だ。落ち着いた色調の年季の入った建築物を、鮮やかな花々たちが彩っている。それだけなら、まだ「現実世界にある有名テーマパークみたいだね」という感想で収まっていたところだけど、なんといってもここはヒノモト。オンラインゲームの世界だ。
ひらひらと周囲を舞うさまざまな種類の花びらは、なにかに触れる寸前に光となって消えてしまうし、花の形をした提灯を風船のように宙に浮かし続けることだってできてしまう。
超バーチャルな世界だからこそ見られる不可思議な光景を目の前にして、僕はぽかんと口を開けながらフリーズしてしまった。見かねたメイくんが「危ないよ」と言いながら首根っこを引っ張ってくれる。
「道の真ん中でボケっとしてるとぶつかる」
「あ、ごめん。びっくりしちゃって。……それにしても、本当に人が多いね」
「サービス開始してから、はじめての大型イベントだから。はりきってるんでしょ、みんな」
そう。火ノ都の北側は、南側とは比べものにならないほどたくさんのアバターたちでにぎわっていた。ヒノモトは、サーバーというものでいくつかの世界にわけられている。この場にいる人たちは、その割り当てられた世界ひとつ分のプレイヤーでしかないはずなのに、それでも結構な数だ。
そんなアバターたちのほとんどは、僕とメイくんのように今回のイベントで配布された特コスを着ているみたいだった。それぞれ個性的なカスタマイズをしているから、とても原型が同じものだとは思えない。
でも中にはあきらかに「たった今、ヒノモトをはじめました」というような初期装備のアバターもまぎれ込んでいた。チュートリアルの最中に、間違って橋を渡って来てしまったんだろうか。辺りをオロオロと見回しているその忍者に、すかさずNPCの街の人が声をかけている様子を見て、関係のない僕までほっとしてしまった。
「どうかしたの」
「いや、僕もひとりだったら絶対迷ってたなあって」
「あー、ね」
ひとりだったらチュートリアルでさえ不安だったろうし、そもそもメイくんがいなければこのゲーム自体していなかっただろう。それがいいことなのか悪いことなのかは置いておいて、今はとりあえず目の前のイベント――ひいてはヒノモトオンラインを楽しむために顔を上げる。
そんな僕の視界に、ぎゅんっと入り込む二つの影。
「そこのバンカラスタイルがよくお似合いのかわいいお嬢さん! お祭りを楽しんでますか? はいこれ、曇天堂の春の新作! よかったら食べていってください!」
「隣のイケてる異国風のお兄さんも! ほらほら、サービスだから遠慮しないでパクッといっちゃって!」
おそらくはNPCと思われる、甘味処の制服を来た店員が二人。満面の笑みを浮かべながらものすごい勢いでやってくると、僕とメイくんを両側から挟み込んだ。
手渡されたのは、目にも鮮やかなお花見団子。四つの白いおもちの上で、桜色や若葉色などの和風な色合いのあんこたちが礼儀正しくお座りしている。花の形のアラザンをいくつも頭に乗せているのが、とてもオシャレでかわいかった。
「これからも曇天堂をごひいきに! イベントを楽しんでくださいね!」
お金を強引に奪い取ったりすることもなく、店の人は僕たちに団子を渡すだけ渡すと、またすぐに別のアバターに声をかけはじめる。きっと今回のイベントにおいて、運営からそういうお仕事を与えられた人たちなんだろう。
本当に食べてもだいじょうぶなんだろうかと、手に持った団子をしげしげと眺める小心者の僕と違って、隣にいるメイくんは、もうすでに上から二番目の団子にかぶりついていた。
「これが特コスの効果。NPCがめちゃくちゃサービスしてくる」
「そ、そうなんだ。なんか夢の国のバースデーシールみたいだね」
注目されるのはあまり好きじゃないけど、気さくに声をかけてもらえることは純粋にうれしい。受け取った団子も、ありがたくいただくことにした。ほかのアバターの邪魔にならないように、メイくんを連れて店の前に用意されていた赤い布の敷かれた長椅子に腰掛ける。花だらけの野点傘を見上げながら、僕もぱくりと一口。
「うん、おいしい……と思う」
「まあ、味は悪くない。ゲームの中でどれだけ食べても現実で腹はふくれないから、満足感には欠けるけど」
「でも、それが女性プレイヤーには好評なんだっけ? 食べても食べても太らない、って」
ヒノモトで食事をしても、なんとなくこんな味がするんだろうなという、ぼんやりした感覚が残るだけだ。お母さんの作ってくれたホットケーキを食べたときのように、ジュワッとしてフワッとしてトロッとするようなダイレクトな感動を得られることはないから、正直に言うと僕としてはちょっとだけ物足りない。
でも世のお姉さんたちは、質より量を重視するのかもしれなかった。今も目の前をハイカラさんの団体が、おまんじゅうやタピオカを手にしながら楽しそうに横切っていく。
「この曇天堂ってお店、現実世界にも実際にあるんだって」と、風にたなびく暖簾をあごの先で指し示しながら、メイくんが教えてくれた。
「あ、聞いたことある。ヒノモトでプロモーションをしてるんでしょ? ゲームの中で試食をしてもらって、おいしかったら次は現実のお店に買いに来てください、ってことなんだよね」
ヒノモトはゲームだけど、こんなふうにリアルの世界とも密接につながっている。それがとても不思議で、とてもおもしろいと思った。