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 アラームが鳴るよりも早く目が覚めると、なにかに勝ったようで気持ちがいい。それが五分前とか一分前とかだと「自分には超能力があるんじゃないか」なんて小学生みたいなことを考えて楽しくなってしまう。僕は布団を跳ね除けて、勢いよくベッドから降りた。


 遮光カーテンを開けると、朝の柔らかな光が一気に飛び込んでくる。世界が真っ白に変わるこの瞬間は、いつだってワクワクする。窓を開けて、鳥の鳴き声と一緒に風を招き入れれば、レースのカーテンが楽しそうにふわりと踊った。


「よかった。きょうも、いい天気になりそう」


 ほっと息をついてから、手早く制服に着替える。入学したてのころはダボダボだった学ランも、一年が過ぎた今、やっと体になじんできたような気がする。支度を終えてドアノブに手をかけたところで、ふと部屋の隅に放置したまま使っていない細長い鏡へと、視線が吸い寄せられた。


 正面に回り込めば、きっとそこには黒い髪の普通の男の子が映るだろう。そう、僕は男の子だ。四季島(しきしま)夏樹(なつき)。中学二年生になったばかりの十三歳。女の子になりたいと思ったことは、多分ない。


 それなのに、どうしてゲームの中の僕のアバターは、僕にそっくりの女の子になってしまったのか。今の僕の髪を腰までまっすぐに伸ばして、全体的に少しだけ柔らかく、少しだけ細く、少しだけ小さくしたあの姿は――。


「なーつきちゃーん! そろそろ起きてー!」

「!」


 リビングからのお母さんの声で、僕は慌ただしく現実へと引き戻される。


「お寝坊は絶対に許しません妖怪に、枕を隠されちゃうよー!」

「起きてるから! 恥ずかしいから大声で変なこと言わないで!」と、お母さんに向かって返事をしながら、僕は急いで部屋を飛び出した。


「お、元気に起きてきた。約束を破って遅くまでゲームして遅刻するんじゃないかと思ってたよ」

「メイくんじゃないんだから。平日のゲームは宿題が終わってから。寝る一時間前には終わらせること。でしょ? ちゃんと守ってるよ」

「あっはっは、そうだね。偉いぞ偉いぞ」


 手ぐしで直したばかりの髪の毛を、リビングの入り口で待ち構えていたお母さんに一瞬でぐしゃぐしゃにされてしまった。テンションが高い状態のお母さんには、どんなに抗議をしてもまったく通じないということを、僕は今までの短い人生で嫌というほど思い知っている。なので、どれだけ理不尽なことをされても決して文句は言わない。


 だからといって、されるがままになっていると、どんどんエスカレートしてしまうから大変だ。「夏樹は本当にかわいいいねえ」と、とろけるような笑顔で抱きしめられて頬ずりまでされるのは、さすがに困る。僕は鼻を鳴らしてなにかが焼ける匂いを確認すると、ちょっとだけ嘘をつくことにした。


「ね、なんだか焦げくさない?」

「えっ? お母さん、まただし巻き卵やっちゃった!?」


 慌てて僕を離し、フライパンの前に戻っていくお母さんの背中を見ながら、ふうっと大きな息をはく。


 すらっとしていてジーンズがよく似合うお母さんは、見た目はすごくカッコいいのに、中身はちょっとうっかり屋さんだ。今みたいな嘘にも簡単にだまされるくらいには、料理の失敗を重ねてきている。


 それでも、頑張り屋でもあるお母さんは、絶対にめげたりしない。ご飯はいつも手作りだし、学校のお弁当だって毎日ちゃんと用意してくれる。デザインのお仕事で忙しいはずなのに「在宅勤務が多いから融通が効くんだよ」って、ウインクしながら笑ってくれる。


 そんなお母さんのことが、僕は大好きだ。


「だし巻き卵だいじょうぶだったよ、夏樹!」と、うれしそうに振り返るお母さんに「よかった」と返してから、僕もお手伝いをはじめる。

 鮭の塩焼き。フレッシュサラダ。じゃがいもと玉ねぎのお味噌汁。そして、ちゃんとキレイなだし巻き卵。炊き立ての白いご飯が、ツヤツヤと輝いている。けさの食卓も、とってもにぎやかだ。


「いただきます」をしてから、お母さんといろいろな話をする。学校のことやゲームのこと、メイくんのこと。お母さんは、なんてことない話題にも「ふんふん。それでそれで?」とか「メイくんって本当におもしろい子だよね」とか、興味津々で食いついてきてくれるから、話をするのが楽しい。ついつい余計なことまで口に出してしまう。

 それでも、ゲームのアバターが僕そっくりの女の子ということだけは、まだ言えないままでいた。


「きょうは、一日中、晴れだって」


 いつも朝ご飯を食べ終わるころになると、お母さんはおとなしくなる。ただの天気の話を、ゆっくりと、かみしめるように話す。それにつられるわけじゃないけど、僕もイチゴを食べるスピードが少しだけ遅くなった。


「そっか。じゃあ、傘はいらないね」


 僕の家では、朝はテレビをつけない。だから天気予報のニュースが自然と耳に入ってくるわけじゃない。お母さんも僕も、起きたらすぐにスマートフォンを使って調べたり、カーテンを開けたりして、一日の天気を確認する。ほんの数年前から、そんな癖のようなものがついていた。


「お母さん、学校まで送ろうか? 車もたくさん走ってて危ないし……」

「広い道路には出ないで、せまい道を歩いてるからだいじょうぶだってば。急ぎの仕事があるんでしょ? 僕のことは気にしなくていいよ」


 口の中で細かくなりすぎたのか、味がよくわからなくなってしまったイチゴを飲み込んで、僕は小さく首を横に振る。「心配性だなあ」って、明るく笑い飛ばせたらよかったんだけど、それはどうしてもできなかった。代わりに「ごちそうさまでした」と席を立ち、お母さんの言葉をさえぎる。


「行ってきます!」


 僕が明るく笑って元気にあいさつすれば、お母さんもきっと安心してくれる。そんな期待を込めて、僕は振り向くことなく学校へと向かった。

 いつものように、少しだけ遠回りをしながら。

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