8-2
背後からの粘ついた声に、足下をからめとられる。思わず立ち止まったあとで、しまったと後悔した。この声の主は、多分あんまりよくない人だ。僕の中の危険信号が黄色く点滅している。
人違いであってほしいけど、そんなにホイホイ声をかけられるほど、この集落に人はいない。巫女とは、ほぼ間違いなく僕のことだ。立ち止まってしまった以上は、アクションを返す必要がある。おそるおそる振り向くと、ゴテゴテの装備に身を包んだ侍が、得物を見つけた狼のような視線を僕に向けていた。
「巫女さん、ひとり? まさかここでソロ狩りしてるってことないよな。暇してんならオレらと組もうよ」
「いえ、僕は――」
「おーい、こっち! 巫女さん見つけたー!」
予想どおりの展開になってしまった。巫女は補助的な役割を得意とする職業の中でも、最も回復に特化している。だから、強いボスと戦闘する機会が多いパーティ――それも高レベルであればあるほど、巫女を必要とするらしい。僕も「中にはガラの悪い連中もいるから気をつけろ」と、メイくんとコロに忠告されていた。
目の前にいるニヤけた侍が、二人の言う《ガラの悪い連中》に当てはまるのは間違いない。現に僕の答えなど気にせず、大声で仲間まで呼び出した。
これは今すぐに逃げてしまったほうがいい。そう思って振り返れば、そこには侍の仲間らしき二人組の姿があった。山伏の男性と忍者の女性。こちらに向かって手を振りながら、すぐそこまで迫ってきている。
完全な挟み撃ち。ふと、あの橋の上で警察に追われた出来事を思い出す。ただ残念なことに、今はここにコロはいない。
「あ、ホントですね。やりましたね、回復役ゲットですね」
「でもこの子の装備見てよ、ちょっとレベル低すぎない? 術技の熟練度だって大して上げてなさそうだし、回復量もクールタイムも初期状態ならマジで使えないんだけど」
「まあ、いないよりマシだろ? 回復アイテムの消費が少しでも抑えられるんなら万々歳だし、何より結構かわいくね?」
「はあ? あたしのほうが絶対かわいいし」
僕を取り囲んでおきながら、僕を無視して好き勝手なことを話しはじめる三人組に対して、怒るを通り越して呆れてしまう。三人とも見た目は成人のアバターだけど、きっと中の人も、さらにその中身のほうも、どうしようもなく子どもなんだろう。
などと、僕がこんなふうに大人しく分析なんかしてしまったのがさらに悪かった。沈黙を肯定と受け取った三人組は、僕がパーティ加入に賛成したものと判断したらしい。行こう行こうと、強引に僕をどこかへ連れて行こうとする。
「あの、ちょっと! 離してくださ――」
「みゃ!」
侍につかまれたほうの腕にいた猫又が、勢いよくジャンプした。そのまま侍の顔めがけて、鋭い爪を振り下ろす。風を切る音と皮膚の裂ける音に続いて上がる、侍の短い悲鳴。痛みはないはずなので、きっと驚きによるものだろう。僕もびっくりした。まさか、猫又が助けようとしてくれるなんて。
「いってぇ……、やりやがったな……」
「な、なななんですかこの子! ば、化け猫? 式神なんです……!?」
「は? 巫女のくせに陰陽師の術技を取得してるってこと? ってか、攻撃してくるなんてどういうつもりよ! ケンカ売ってんの?」
「ふみゃー!」
まったく見当違いなことをさけびながら、忍者の女性が怒りの形相で詰め寄ってきた。そんな彼女を威嚇するように、僕の肩の上にとんぼ返りした猫又が背中の毛を逆立てる。二股に分かれたオーロラ色の尻尾も空に向かってピンと突っ張り、またすぐにでも飛びかかっていきそうな気配だ。
このまま猫又をけしかけて、隙を突いて逃げるべきだろうか。でも、この優しい猫を武器のように扱いたくはない。すぐに判断できずに固まっている僕に向けて、忍者の女性の――それこそ猫にも負けないほどの長い爪が伸びてくる。
「っ!」
とっさにあいているほうの腕を猫又の盾にした僕の目の前。女性の爪よりも早く、大きな影が立ちふさがった。
「……なにやってんだよ、アンタら」
「な、鬼面ッ!?」
「コロ!」
見上げれば、そこにはあちこち跳ね放題の銀の髪。距離が近すぎて僕の視界に全部は収まらなかったけど、間違いない。コロだ。コロが僕を背中にしてかばってくれた。
いきなり現れたコロに驚いたのは僕だけではなかったようで、長い爪の女性がコロに腕をつかまれたまま、怯えたように後ずさる。
「いいオトナ三人で巫女いじめて楽しいか? カッコ悪すぎ。めちゃくちゃ笑える」
「う、うるさいわね! だいたい、先に手を出してきたのはそっちじゃない! 正当防衛よ……!」
「オイオイ、正義の味方のご登場ってか? 鬼面さんよぉ」
コロの手をはねのけて素早く距離をとった女性と入れ替わるように、頬に爪痕をつけたままの侍が進み出た。僕に最初に声をかけてきたこの人が、三人組のリーダーなんだろう。ほかの二人は後ろに下がったまま、黙って事の成り行きを見守っている。
「こんなところで会えるとは思わなかったぜ。そのイカしたお面、チート使って手に入れたって本当か? アホみてぇな身体能力を見せびらかして有名人きどりたぁ、さぞ気分がいいだろうなあ」
「呪具のデメリット知ってる? それでもそんなこと言えるなら、俺よりアンタのほうがよっぽど鬼面に向いてんよ」
そこまで言ってから、コロが右手の指先を自分の面に当てて、とんとんと軽くたたく。
「チートとやらで頑張ってドロップして、そのだっせぇ傷跡と悪人ヅラを隠せるようになるといいっすね。センパイ?」
「このクソガキ……! いい度胸だ、オレと勝負しやがれ! 《仕合》だ!」
まんまと挑発にのった侍が、コロに向かって節くれだった指を突きつける。すると、両者の間に大きなウインドウが出現した。
ヒノモトでは《仕合》と呼ばれる、アバター同士の一対一の戦闘を行うことができる。デスペナルティは存在しないので、友人同士がスポーツ感覚で使用することが多い。
ただし、それは両者が合意のうえであることが大前提だ。今回のように片方がケンカ目的でふっかけてきたとしても、相手にしなければ成立しない。
「そんなの無視していいからね、コロ」
コロの肩越しに顔を覗かせて、空中に現れたウィンドウを確認する。案の定、相手の仕合の申し込みに対して、同意か拒否かを選択する画面のようだ。コロが拒否すれば、侍はおとなしく引き下がるしかない。ひょっとしたら「逃げるのか」とかなんとか言われるかもしれないけど、そんなことはどうでもよかった。カッコ悪いのは、向こうのほうだ。
けれど、コロが選択したのは――「同意」のボタン。
「コロ! なにやってんの!?」
「下がってろ、ハルキ。危ないぞ。あ、わかってると思うけど回復とかしなくていいからな」
「仕合は一対一がルールでしょ、わかってるよ! だから余計に嫌だったんじゃないか!」
後ろからコロの腕をつかみ、どういうことなのかとガクガク揺すぶるも、コロの反応は鈍い。いつもなら軽いノリでおどけて返すところなのに、顔をこちらに向けることもなく、相手の侍を見据えたままだ。なんだろう、機嫌が悪い? いや、それよりも――。
「コロ……?」
「おうおう、今生の別れみてぇだな。無様に散る覚悟はできたかあ?」