8-1
「飽きたかも」
メイくんのその一言は簡単に想像できることだったので、僕はただ「だろうね」とうなずいた。
説明しよう。今までの経験から、そろそろかなと感じた僕は、ひとり教室の窓際に立ってスマートフォンをいじっているメイくんに尋ねたのだ。「ヒノモト、もう飽きちゃった?」
その返答が、冒頭のセリフである。メイくんはまったく悪びれる様子もなく、画面から目を離すこともない。
「コンニャク妖怪を倒して満足した感じ?」
「んー。まあ、だいたい。毎日こういうことを積み重ねていくんだなってことがわかったから、もういいかなって」
ロールプレイングゲームでは必ずラスボスがいて、それを倒すことでクリアになる。でも、ヒノモトにはストーリーとしての終わりがない。だから、やめるタイミングも人によって違う。
メイくんの中では、コンニャク妖怪を倒した時点で区切りがついていたんだろう。実質のラスボスのようなものだ。コンニャク妖怪を倒すまでの戦闘や依頼、歩いた街並みやフィールドの景色。それがメイくんにとっての、ヒノモトのすべてになるんだろう。
「……ちょっと残念だけど、いつもゲームは一日とか三日で飽きるメイくんにしては、十日は頑張ったほうだよね」
「さすが、よくご存じですこと」
窓から入る初夏の風が、カーテンを揺らす。メイくんの色素の薄い、やや襟足が長めの髪と一緒に。
ホームルーム前の休み時間のにぎわいも、メイくんの周囲までは届かない。メイくんが自然と放つ独特の雰囲気が、バリアのように彼を守っているかのように。
メイくん自身は別に気難しいわけでもないし、なにかを拒絶しているわけでもない。僕以外のクラスメイトとも普通に話をする。それでも、一定の距離以上は踏み込ませない。メイくん――飛鳥井明夜には、そんな不思議な空気感があった。
「夏樹のほうは、結構楽しんでるみたいね。オレがいなくてもログインしてるんでしょ? なんか鬼面に遭遇したり、猫又の卵までゲットしてるし」
「ああ、そうそう。きのう、その卵が孵化したんだよ。すっごくかわいくてね、ふわふわでね、にゃーんって」
「へえ」
両手を使って猫又のサイズや毛並みの柔らかさを表現しはじめた僕をちらりと見て、メイくんが端的な感想をもらす。メイくんも別に動物は嫌いじゃないはずだし、見たら絶対に気に入ってくれると思うんだけど、多分もうその機会は訪れないだろう。
「なら、新しいゲームに誘うのはやめとくか」
「前に言ってたやつ?」
「そう。近々オープンするらしいから、夏樹もどうかと思ったけど」
いつもだったら「仕方ないなあ」と言いながら、メイくんの提案に乗っていた。けれど、今回は即答できない。頭に浮かんだのはコロのこと、猫又のこと、大正時代の街並みのこと。
「……ちょっと考えてもいい?」
「うん、もちろん」
僕の歯切れの悪い返事を聞いても嫌な顔ひとつせず、メイくんはうなずく。眼鏡の奥からの青みがかった視線をスマートフォンに向けて、ヒノモトではない別のゲームの情報を集めながら。
「でも、珍しいね。ホントに」
あまり相手の感情などを気にしないメイくんにしては、それこそ珍しい呟きがぽつりとこぼれる。「ヒノモト、そんなに気に入った?」
「え?」と、僕は思わず聞き返してしまう。
最初は、すぐにでもやめたかったはずだ。自分のアバターが女の子だということが理解できなくて。理解したくなくて。でも、今は少し違う。
大正時代の風景はとてもキレイだし、巫女の役割もちゃんとわかればおもしろい。何よりコロと遊ぶのは楽しかった。猫又だって、とってもかわいい。もう少しあそこにいたいと思う理由が、今ならこんなにたくさんある。
できればメイくんとも、もっと遊んでみたかったけど。そんな恨み言を、慌てて頭から追い払う。完全に冷めてしまったものを、再び温めるのは難しい。周りがいくら息を吹きかけたところで、肝心の火種がなければキャンプファイヤーなんてできっこない。
だからただ「そうかも」と、小さくうなずいた。
メロンカッパンが大量発生する川辺から、すぐ近くにある集落。そこが今回の僕のスタート地点だ。火ノ都から少し足を伸ばして物怪討伐へ向かうような人たちが通りすがりに寄るような場所なので、必要最低限の施設しかない。警察もいないから、ここでならコロもゆっくりできそうだ。でもそのコロには、きょうも会えるかわからない。フレ登録をしていないから。
なんとなく、フレンドリストを開く。そこにある名前は、たったひとつだけ。そのひとりも、ずっとオフラインだ。きっともう、オンラインマークがつくことはないんだろう。
コロにもフレンド登録を拒否された。いつかメイくんのように、ヒノモトで会うこともなくなってしまうのかもしれない。当たり前のことだけど、妙にさみしくなった。広いヒノモトに、今はたったひとりきりなのだということを強く意識してしまう。
思わずため息をついた、そのとき。僕の袖口から、何かがピョコンと飛び出してきた。
「にゃあ」
「え、君! 勝手に出てきちゃうの?」
ピンク色の小さな子猫。きのう生まれたばかりの猫又だ。こんなにかわいくてもペットではなく、あくまでもアイテムとしての扱いなので、ふだんはアイテムボックスの中に入っている。まさか、こんなふうに勝手に出てきてしまうなんて。僕の動揺など気にもせず、猫又は肩の上でちょこんと座り込み、そのまま額を僕の頬にくっつけてきた。かわいい。
「君がいてくれるなら、ひとりじゃないね」
「みゃあん」
猫又のお陰で、センチメンタルな気持ちも遠くに消えてしまった。この集落では麗春祭のような大きなイベントはやってないけど、ゆったり散策してみるのもきっと楽しいだろう。そう思った僕は、屋台の方向から流れてくる魚の焼ける匂いに向けて足を踏み出した。
「あれ、巫女さんじゃん。こんなとこで何してんの?」