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巨大なコンニャクの妖怪が、太くて長い腕を野球のバットのように大きくスイングさせる。刀を振りかざして飛びかかってきた侍の胴を横からなぎ払うと、そのまま野球のボールみたいに吹き飛ばしてしまった。
「メイくん!」
思わず現実世界でのニックネームをさけびながら後を追った僕の目の前で、侍がべしゃりと音を立てながら落下する。普通なら大事故だし、大けがをしているところだ。けれど、地面に仰向けに転がった侍は空を見上げたまま、自分がホームランになったことなど忘れたかのように淡々と口を開いた。
「こらこら。オンラインで軽々しく個人情報を口に出すなって、先生にも言われたでしょ。オレのことは、ちゃんとシュレットガルドさんと呼んでくださいよ」
「長いんだってば。前も聞いたと思うけど、もう一回だけ聞いてもいい? このゲームは和風の世界観なのに、どうしてメイくんのアバターは名前も見た目も外国人風なの?」
「オレも何度も答えたと思うけど、もう一回だけ答えとくよ。金髪で青い目のサムライが、今のオレのマイブームなんだって。だいたい、そっちこそどうなの」
それを言われてしまうと、僕はのどを空気の固まりでふさがれたかのように言葉が出なくなってしまう。
だって知らなかったんだ。このゲームのアバターが、自分が心の底から望んでいる姿を投影して自動的に作られてしまうなんて。それを知っていたら――いや、それでこの姿になることを事前に知っていたら、僕はこのゲームを絶対にやらなかったのに。
「って、のんきに話してる場合じゃなかった。早く立って、メイくん。コンニャク妖怪が、またこっちに来るよ」
「あー、無理。今ので瀕死になった」
「えっ」
慌てた僕は眼球だけを左側に動かして、視界の隅を確認する。そこには、ほんのりと淡い光を帯びた半透明の図形が浮かび上がっていた。細長い四角の中に、文字や数字が敷きつめられている。
一般的にステータスウインドウと呼ばれる、ゲームではおなじみのシステムだ。自分やパーティを組んでいる仲間の情報がひと目でわかるように常に表示されている。もうその状態にも慣れてしまったので、邪魔だと思うことはない。
シュレットガルドという名前の下にある細長いゲージは残りわずかで消えてしまうところまで減っていて、色も緑から赤に変わっていた。これは体力が少なくて危険な状態だということを表している。
コンニャク妖怪との戦闘前には、たしかに僕がメイくんを回復してゲージを満タンにしたはず。つまり、あのたった一撃で、ここまでのダメージを受けてしまったということになる。フニャフニャのコンニャクとは思えない、おそるべき破壊力だ。
「……うわー、こわ。前衛職のメイくんがこれなら、僕が攻撃を受けていたら完全に戦闘不能だったよ。やっぱり、コンニャク妖怪と戦うのは早かったんだって」
「んー。塗り壁はまだ無理でも、塗り壁の亜種くらいなら倒せると思ったのに」
「僕たち、レベル十になったばかりだよ? どうして討伐推奨レベル二十のコンニャク妖怪に挑戦しようと思えたの?」
「レベルの差が二倍ってことは、相手より二倍オレが頑張れば勝てるってことでしょ?」
「ごめん、ちょっとよくわからない」
ステータス上では《瀕死》――死んでしまう寸前という意味。もちろん、現実の自分が本当に死んでしまったりはしない――という状態異常にかかっているメイくんだけど、そもそもゲームなので痛みは感じない。体を動かしにくくなるというペナルティはあるものの、本人はいたって元気だ。回復系の処置を行って、ゲージを赤から緑に戻してあげれば、すぐになんでもなかったように飛び起きるだろう。
そのために、やらなければいけないことがある。僕はちらりと首をめぐらせて、周囲の様子を確認した。
コンニャク妖怪は、あいかわらず僕たちを攻撃のターゲットにしているらしい。ゆっくりと、けれど迷いなくこちらに向かってきている。少し距離が離れているので、今のうちにメイくんを回復してしまえばいいんだろうけど、まだまだゲームに不慣れな初心者の僕では、それなりの時間がかかる。きっと手間取っているうちに追いつかれてしまうだろう。
と、いうことで。
「離脱するよ、メイくん」
「ん。よろしく」
逃げる。これが今のベストな選択。
コンニャク妖怪のような、いわゆるボス級妖怪は、自由に移動できる範囲がかぎられている。そこに入らない、もしくはそこから一歩でも出てしまえば、戦わなくてすむのだ。
そこで、改めて確認。メイくんのアバターは侍だ。金色の髪に青い目をした異国の青年風の――本人が言うには、どこにでもいる普通の侍だ。歴史の教科書や美術館で見るような動きにくそうな鎧ではなく、現代風にアレンジした細身でスタイリッシュな防具を装備しているけど、重いものを身につけていることに変わりはない。
そんなメイくんを、僕の細い腕で移動させることなんてできるだろうか? もちろん、普通に考えれば答えはノーだろう。けれど、ここはゲームの世界だ。物理法則とかいう絶対的なルールさえも、一時的に例外になる場合が結構あったりする。こんなふうに。
「はい、よいしょ。……せーのっ」
僕はまったく動く気配のないメイくんの片腕を持ち上げると、そのまま地面をずるずる引きずりながら走り出す。僕は重いと思わないし、メイくんも痛いと思わない。はたから見ればびっくりするような光景だけど、かついで運ぶよりも断然こっちのほうが手っ取り早いのだ。僕たちはあっという間に、コンニャク妖怪の活動範囲から逃げ出すことに成功した。
地面に描かれた光の境界線をはさんだ向こう側から、ようやく追いついて来たコンニャク妖怪のつぶらな瞳が、じっと僕らを見つめてくる。握手ができそうなほど近くにいるにも関わらず、コンニャク妖怪は決して線を踏み越えようとはしない。しばらくすると、くるりと振り返り、自分の定位置へと帰っていってしまった。さみしそうな後ろ姿が小さくなるのを見届けてから、僕は大きな息をはき出す。
「お待たせ、メイくん。回復しちゃうね」
「ふわ」
返事の代わりに、あくびをされた。まったく、誰のせいで僕がこんなに苦労しているのかわかってるんだろうか。でも、それもこれもあれもいつものこと。いちいち腹を立てていたら、メイくんの友達なんてやっていられない。
僕は回復の準備に必要なアイテムを取り出そうと、自分の着ている白衣の左手の袖口へ右手を突っ込んだ。もちろん、普通は袖の中に物なんて入れないし、そもそも入らない。でも僕の場合は袖の中がアイテムボックスにつながっているので、所持品は全部ここから取り出すことができる。未来の猫型ロボットのような気分が味わえて、ちょっと楽しい。
「あったあった」
手探りしてすぐ、僕は神楽鈴という巫女専用の装備武器を取り出した。手持ちの部分だけを朱色に塗った短い金色の棒の先に、まるでブドウのようにたくさんの鈴の玉がつけられている。軽く手首を動かすだけで、しゃらんという澄んだ音が辺りに響き渡り、自然と僕の背筋も伸びた。
「えー、えー。コホン。んっ、んん」
せき払いで声の調子を整えながら、気持ちを落ち着かせる。回復の術技を使うのは、これで何回目だろう。たぶん両手の指じゃ足りないくらいには経験しているはず。でも、まだ慣れない。まだ、だいぶ恥ずかしい。
発動のため意識を集中させた僕を半円状に取り囲むように、光で書かれた文字が浮かび上がる。難しい漢字だらけなので、それだけだったら絶対に読めなかったけど、ちゃんとルビが振ってある親切設計なので安心だ。ありがとう、運営さん。
「祓え給い、清め給え。神ながら守り給い、幸え給え」
家族で参拝に行ったときに聞いたことがある、神主さんの呪文のような言葉。祝詞と呼ばれるそれを、まさかゲームの中で、回復の術技の一部として唱えることになるとは思わなかった。
「やっぱりカラオケの字幕みたいね、それ」
治療中でもマイペースなメイくんに、笑わせないでと文句を言いたくなる。でも途中でほかのことをしてしまうと回復の術技が消えてしまうので、ここは我慢するしかない。
「いにしへの、奈良の都の、八重桜、けふ九重に、にほひぬるかな」
次は、和歌だ。巫女の使用する術技は、百人一首と縁が深いらしい。中空に淡い光で書かれた歌を読み上げながら、そっと鈴で触れていく。その単調な動作を、ひたすらくりかえした。
「――百華祝詞 《八重桜》」
たっぷり十数秒をかけて唱え終わったところで、メイくんの全身を淡い光が優しく包み込む。小さな桜がぽわぽわと咲くエフェクトも合わさって、とてもキレイだ。しばらくして、メイくんを癒やしていた光と、僕の周りに浮いていた文字が、金平糖のようにキラキラと弾けて消える。うん、成功だ。
「どーも。体力ゲージの半分くらいしか回復してないみたいけど、夏樹はまだまだレベルが低いから仕方ないか」
「メイくんと同じくらいにはね。これに懲りたら無茶しすぎるのはやめてくれる? いくらゲームでも、誰かが危ない目にあうのを見るのはびっくりするよ」
「はいはい。夏樹はホントにオカンみたいね。今の姿だと、余計にそう思う」
寝そべった状態から上半身だけを起こしたメイくんが、空にも負けない青い瞳でまっすぐに僕を見上げる。
「あのさ、夏樹。このゲームをはじめて三日くらいたつけど、いまさらなこと聞いてもいい?」
「……なに?」
ちょっと嫌な予感がする。というか、さっき個人情報がどうとか言ってなかったっけ? 僕の本名を呼ぶのは、ありなのか? 目を半開きにして、口をへの字にしながら、僕はメイくんの次の言葉を待つ。
「このゲームのアバターって、その人が本当に望んだ姿になるっていうじゃん?」
「……うん」
白の小袖。赤い緋袴。黒くて長い髪の毛を、檀紙という白い和紙で筒のように縛った巫女姿の僕を見ながら、メイくんは長い首をかしげる。
「夏樹は、女の子になりたかったの?」