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第十五章 逆転裁判 1

「――分かった! ……かも」

 メレル祭司長から託された地図と首っ引きになっていたアーデルハイトが不意に声をあげる。


「なんだねハイジ?」

「祭司長さまは何をお知らせに?」

 息をつめて様子を伺っていたアマーリエとヨハンが安堵交じりに促す。


 すると、アーデルハイトは大きなとび色の目を得意そうに輝かせながら答えた。

「たぶんこれ、地下道への入り口だよ。世にいう《ゼントの地下迷宮》への」


「あ、ああ!」

 アマーリエは思い出した。「あの《ゼントの地下迷宮》!」

「そうそう、それ。冒険者をめざす南部地方の子供らの見果てぬ夢だよ」


「おいおいハイジ、姫君も」と、見るからに常識人っぽいフランツが口を挟む。「このゼントファーレンの地下に、上古の時代にドワーフが拵えた古代宮殿が眠っているなんてのはさすがに御伽噺だろう? 死すべき人の子以外の言葉持つ種族(フォルク)はこのあたりには全く住んでいなかったはずだ」

「いえ、そうでもありませんわ!」と、アマーリエが反論する。「《大分離》以前、あらゆる種族が領域に縛られずに自由に空の下を歩いていたころには、ペラギウ山脈にはドワーフの鉱山都市があったと教わりました」

「作ったのがドワーフ? かどうかはよく分からないけどね」と、アーデルハイトも口添えをする。「この町の地下にかなり複雑で大規模な地下通路の網があるのは、たぶん間違いないと思うよ。神殿や大邸宅が持っている地下納骨堂をつないでいくと、何となく全部繋がっている感じがするからね。見てよ、この地図の赤い×印。これ、メレルさまが後から急いで書き加えてくださったみたいなんだけど――」

 と、アーデルハイトがベッドの端に腰掛けて掛布の上に地図を広げる。


 アマーリエとヨハンは左右からのぞき込んだ。

 アーデルハイトの長く器用そうな指が、迷いのない動きで赤い×印を辿ってゆく。


「この印は全部、大型の地下納骨堂をつないだ線の上にある。しかもほら、一つは外に出ている」

 アーデルハイトの指が地図上の円い市壁の斜め上方を指す。


 フランツが息を飲んだ。

「--要するに、地下道を辿って市壁の外へ出られるってことか?」

「たぶんね」

 アーデルハイトは得意そうに頷いたが、地図に目を戻すなり、一転して渋い表情になった。「しかしね――」

「……何か問題が?」

 アマーリエがおそるおそる訊ねると、アーデルハイトはため息交じりに頷いた。

「何というか、出入り口がどこも目立つ場所ばかりなんですよ」

「たとえば?」

「ざっと見た感じ、真ん中のここは市庁舎です。北門の近くのは聖ニーファ神殿。西門のあたりのこれは――たぶんマルテンス家のお邸だよ」

「この一番下のところは?」と、フランツが首を傾げる。「こっちが川だとすると、このあたりは埠頭側だろう。地下納骨堂のあるような大きい立派なお邸とは無縁の場所じゃないか?」

 フランツの指さす印は他からやや離れていた。

 アーデルハイトがじっと眺めたあとで、

「ああ!」

 と、声をあげる。「目ざといねフランツ。ここはたぶん壁沿いの倉庫通りじゃないかな。あのあたりの倉庫の地下室の何処かが、《地下迷宮》に繋がっているんだ、きっと」

 そう話すアーデルハイトのとび色の目は、まるで十五歳の少女みたいにキラキラと輝いていた。



 翌日からアーデルハイトは埠頭側の倉庫通りの偵察に取り掛かった。

 母親譲りの嗅覚でどうやら秘密を嗅ぎだしてしまったらしい九歳のヨーゼフも、午前中に読み書きを習いに行ったあとだけは一緒に偵察しているらしい。


 アマーリエとヨハンはできるだけ目立たないよう、日中もずっとベルガー工房にこもって、作業室でフランツの手伝いをしていた。

「フランツどの、本当にお世話になります」

 窓辺で帳簿付けをしながらアマーリエが礼を言うと、フランツは何やら繊細な糸みたいな銀線を慎重に曲げる手を止めて、目尻に皴をよせて笑った。

「どうかお気になさらず。あなた様を助けてほしいと《赤翼》に泣きついたのは、そもそもハイジなのですから。ところで、ひとつだけ気にかかっていることが」

「何でしょう?」

「姫君は、この町を無事脱したら、ランサウの地方法院に上訴するおつもりなのですよね?」

「ええ」

「その場合、何か冤罪の証拠となるものがあるのでしょうか?」

 フランツが気づかわしそうに訊ねてくる。

 アマーリエは一瞬躊躇ってから頷いた。

「ええ。おそらくはあるのではないかと思っております。――ものではなく証人ですけれど。フランツどのは、カルロ・アントネッリという治癒医師をご存じですか?」

「ええ、勿論」と、フランツが頷く。「内乱続きのハルコニアから亡命してきたお医者さまですよ。このゼントファーレンじゃ、聖ニーファ祭司長のシュミットさまと肩を並べる名医と評判の方です。……あの方が何か?」

 フランツがひそめた声で訊ねてくる。

 アマーリエは頷いた。

「わたくしが継母のために作った滋養強壮飲料に毒物が入っているとまず申し立てたのは、ミッテンヴェルン城に仕える侍医でした。父は残り二本の飲料を未開封のままこのゼントファーレンに送って、別々の二人の医師に確かめさせたのです。一人は聖ニーファ祭司長のランドルフ・シュミット師。もうお一人が、その亡命ハルコニア人のカルロ・アントネッリという方だったのです。わたくしの継母の生家であるエーデン宮伯家とは何の関わりもなく、特に利害関係が一致するとは思えない三人の医師の全員が、飲料に鳥兜が含まれていると証言したため、ミッテンヴェルンの裁判では、わたくしの有罪が確定しました。でも、この三人が全員嘘をついていたら?」

 アマーリエが口にするなり、フランツはきょとんとした。


「そんな、それは幾らなんでも――そもそも何のために?」

「ですから、わたくしを陥れるためですわ」と、アマーリエは静かに煮えたぎる怒りを堪えて応えた。「侍医のアルベルト・ハイデリッヒと祭司長ランドルフ・シュミット。この二人には共通点があります。どちらもエルンハイムの聖ニーファ神殿付き男子修練院で学んでいるということ。そしてアントネッリどのには弱みがある。――彼は亡命者で、ゼントファーレン市民権はありません。小市参事会に属するシュミット師から偽証を強要された場合、きっと断れないはずです」

「断れば居住権を剝奪する――と、脅されたのですか」

 フランツが掠れた声で言い、「畜生めが!」と舌打ちをした。


「あくまでもわたくしの推測ですけれど」と、アマーリエは一応言い添えた。「でも、もしそういう流れだったら、アントネッリどのは、もっと上位の権威から保護を申し出られた場合には、裁判の席で本当のことを打ち明けてくださるかもしれない。その可能性に賭けてみたいのです」


「なるほどーー」と、フランツが感心したように言い、なんとも言えずしみじみとした目つきでアマーリエを眺めた。「フォン・ヴェルンの姫君、アマーリエさま。あなた様は大した姫君ですねえ」

「そうなんでございますよ!」と、火鉢の隅でせっせと何かを磨いていた老ヨハンがとても得意そうに応じた。



 同じころ―

 当のカルロ・アントネッリは、少ない手荷物をまとめ、目立たないようすっぽりと灰色マントのフードを被って、水辺門を出てゼント大橋を西岸へと渡ろうとしていた。

 そうしながらもチラチラと背後を気にしている。


 彼はつい今朝がた、聖ニーファ神殿の祭司長から内密の呼び出しを受けたばかりだった。

 しかし、それには応じずに、旅の巡礼みたいな質素な服装に身をやつして大急ぎで町の外へと逃れてきたところだ。


 フォン・ヴェルンの姫君がゼントファーレン市内に密かに逃れてきているという噂をアントネッリは聞き知っていた。

 そして日々、偽証の罪の意識にさいなまれているとき、彼に偽証を強いたランドルフ・シュミットから秘密の呼び出しを受けたのだった。


 あの祭司長は私を始末するつもりかもしれない――と、勘のいいアントネッリは察した。

 そして、取るものも取りあえず、こうして逃れてきたというわけだ。


 目的地はここから三日の行程で行けるはずのゼント渓谷の三社神殿だ。

 薬草や蝋をじかに買い入れるためにあの神殿には何度か行ったことがある。

 神殿は聖域である。

 市参事会の権力であれ無理やり介入はできないはずだ。


 自分にそう言い聞かせながら川辺の街道を北へと急ぐアントネッリの後ろを、着かず離れず追いかけてくる数頭の犬たちがいた。

 中に一頭、雪のように白い毛の犬も混じっている――

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