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第二章 方陣聖域 1

 アマーリエはもう疲れきっていた。

 何もかも忘れて眠りたくて、硬い木の壁に後頭部を預け、柔らかい黒天鵞絨の目隠しのしたで瞼を閉じたとき、不意に、箱馬車がひときわ大きく横に揺れたかと思うと、下から突き上げるような動きのあとで停まった。



 --え、何? 何が起こったの?



 アマーリエが腰を浮かせかけたとき、左手の扉が開いて、膚を刺すような冷気とともに、裏返りきった男の叫びが飛び込んできた。

「おいお姫さま、すぐに出ろ! お前加護持ちなんだろ!?」

 喚きながらアマーリエの左の二の腕を掴んで乱暴に馬車から引きずり下ろす。

 抗議の声をあげる間もなく、武骨な手で目隠しの布を外され、後ろ手を戒める縄まで解かれてしまった。

 途端、眩い赤い入日が網膜を焼く。

「おいこらアルベリッヒ!」と、帽子に赤い羽根を飾った指揮官らしき一人が声を荒げる。その声は響きのよいアルトだった。

 アマーリエは場合にもなく愕いた。



 --え、この人、女のかた?



「囚人の手の縄を気安く解くんじゃない! 契約仕事なんだぞ!」

 アマーリエの内心の疑問に答えるように、赤羽根帽子の指揮官が歯切れのよいアルトでしかる。


 間違いなく女声だ。

 体つきも、よく見れば随分すらりとしている。


「だって隊長殿(シェフィン)、緊急事態ですよ!」と、アマーリエの後ろで傭兵アルベリッヒが泣き出しそうな子供みたいな声をあげる。


 女性形で呼ばれていることからしてどうやら本当に女性であるらしい《隊長殿(シェフィン)》は苛立たし気に舌打ちをすると、鋭い灰色の目をアマーリエに向けてきた。

「お姫さま、死にたくなければ協力しろ。逃げようなんて思うなよ? 今この森は危険だ」

 言いながら、何を思ったのか、いきなり路上に膝をついて、背丈より長い槍を横たえ、腰の巾着から白墨を取り出して両端に印をつける。


 一体何を――と、思いかけて、アマーリエはハッと気づいた。


方陣聖域(カトルサンクテ)ですか?」

「ああ」と、隊長が短く答え、今度は右端の点を起点にしてまた槍を横たえた。「ウチには焔神カレルと風神アンティノウス、それに植物神セヴの加護持ちがいてな。あんたは確か癒しのニーファだったろう?」

「それは、わたくしにも聖域形成に加われと?」

「そういうことだ」と、隊長はまた短く答え、今度は槍を垂直に横たえて印をつけにかかった。



 方陣聖域(カトルサンクテ)というのは、互いに目視できる正方形の四点にそれぞれ別種の加護をそなえた人物が立つことによって、その方陣の内部に、魔術性の攻撃がもたらされるのを防ぐ術だ。

 女子修練院で学んでいたとき、アマーリエも何度か、他の修練院との共同演習で試したことはあるものの、実際に使うのは初めてである。


「無理ですわ、そんな。わたくしの等級(エーベネ)は《(ドライ)》で」

「《三》なら十分だろう。アルベリッヒなんぞは焔の《(アイン)》だ。それよりしゃべるな。聞きつけられる」

「何にですの?」

「何かに、だよ」と、隊長がそっけなく言う。

「お姫さま、あんたおかしいと思わないのか?」と、でっぷり肥った大柄な黒い髭の男が囁てくる。「今この森は静かすぎる。全く何の音もしねえ」

 そう言われてみて初めて、アマーリエは異変に気付いた。



 言われてみれば、確かに森はあまりに静かすぎた。


 日暮れ時なら当然聞こえるはずの帰巣する鳥の声もなければ、小動物の気配もない。

 葉を落とした山毛欅の木々の枝や、空へと突き刺さるような黒ずんだ松の梢が、入日に染まる空を背にしてくっきりと黒くみえる。風ひとつなく、葉のそよぐ音さえしない。

「こういう時は何かが起こる」と、黒髭の男は呟いた。「何か良くないものが近くをうろついているんだ」



「レオン」と、四点の印を打ち終えた隊長が小声で命じる。「お前は前方右翼に。アルベリッヒ、それにお姫さま」

「――アマーリエですわ」

「そうか。じゃアマーリエ、お前たちは後ろだ。馬車を背にしろ。残りは方陣のなかに。おい御者、あんたもだ。馬も入れろ。提灯(カンテラ)を持ってこい。ハインツ、弩の支度をしておけよ」

 隊長がてきぱきと指示を飛ばす。


 アマーリエが咄嗟に動けずにいると、さっき目隠しと縄を解いた若そうな傭兵――名前は確かアルベリッヒだ――が、手を引いて持ち場に立たせてくれた。

「あんたはここだ。方陣の内部に力を充たせ。やり方分かるか?」

「は、はい」

 アマーリエはどうにかそれだけ応えた。

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