第十一章 翼持つ使者 1
「失礼ながら方々――」
と、それまで無言で控えていたフレデリカが口を切る。
一同の目が女傭兵隊長へと集まる。
「彼女は?」と、クルムが胡乱そうに訊ねる。
「姫君の護衛の隊長殿ですよ」と、レナーテが皮肉っぽく嗤う。「どうしたの隊長殿? まさか何か思いついちゃった?」
「生憎ながら何も。しかし、皆さまの御推測を助けるため、ウーゼル城の現状についてご報告するべきことが」
「ほう」と、エッツェル祭司長が眉をあげる。「森の城で何が?」
「明確なことは分かりかねますが、一昨日の夜、すなわち、予定通りならわたくしどもがフォン・ヴェルンの姫君を伴っていくはずだった日の夜に、かの城から第一級警戒の角笛が響いたのです」
フレデリカが告げるなり、背後でハッと息を飲む音が聞こえた。
見れば、狩人神ウルーの祭司長たるマンフレートが愕きを露わにしていた。
「マンフレート――」と、エッツェル祭司長が訊ねる。「ウーゼル城における第一級警戒というのは、囚人の逃亡を意味する――わけではないのだな?」
「ええ」と、マンフレートが蒼褪めた顔で頷く。「あの城は帝国領と西部沿海諸都市連合領との国境地帯に属しますからね。国境の城での第一級警戒といったら、隣国からの侵攻ありということになります。――隊長殿、それは確実なのか?」
「ええ祭司長さま。間違いありません。ゼント渓谷の狩人たちも、その角笛に応じて哨戒を始めておりますから。いかがですお若き博士殿、わたくしごとき浅学の者の七の七倍はありそうな思考力洞察力をお備えの御方は、この新情報から何を御推測なさいます?」
フレデリカが揶揄うように笑う。
レナーテはちょっと愕いた顔をした。「言うねえ隊長殿! 要するに、あなたがたがウーゼル城に姫君を護送する予定だったまさにその日の夜に、城に西から何者かが侵攻してきた、と。そういう流れなんだね?」
「ええ。そういう流れです」
「念のため、あなたがた、その何かと共謀はしていないよね?」
「当然です」と、フレデリカはとても不本意そうに答えた。
そのとき、背後から奇妙な音が聞こえた。
啄木鳥が幹を叩くようなコッコッコッという小さく硬い音だ。
何かが外から扉を突いている。
「――鳥、か?」と、エッツェル祭司長が呟く。「マンフレート、開けてみろ」
狩人神の祭司長はちょっと躊躇ってから、両開きの扉の閂を外してほんのわずかだけ開けた。
途端、膚を刺すような冷気とともに、濃い血の臭いを振りまきながら黒っぽい大きな塊が飛び込んできた。
鳥だ。
隼だ。
背に羽矢が突き刺さっている。
「キぁ―――」
隼は一声叫ぶなり床へと落ちてしまった。
足に金色の環を嵌めている。
レナーテが慌てて駆け寄って、翼を広げたまま倒れる鳥の体に手を触れるなり、眉を顰めて呟いた。
「駄目だ。死んでいる。姫君、ちょっと見て」
アマーリエが慌てて近寄ると、レナーテが隼の片足に嵌まった金の環を指示した。環には蟻のように小さな文字で「EH」と刻まれていた。
「こいつ、エルンハイムからの鳥だよね?」
「ええ。字体からして間違いありません」
「隼ってことは、こいつは護衛役かな――」
レナーテがそこまで口にした途端、フレデリカとマンフレートが相次いで外へと走り出した。アマーリエとレナーテも思わず後に続いた。
外は寒かった。
右手の空が赤い。
入日に染められたその赤い空の上に二つの鳥影があった。
一方はどうやら大ガラスのようだ。
もう一方は大型の猛禽だ。
猛禽が大ガラスを攻撃している。
大ガラスは激しい鳴き声をあげ、翼を広げて逃げまどいながら、一心にこちらをめざしているように見える。
「アマーリエ、あの鳥も使者か?」と、フレデリカが訪ねる。
「ええ。たぶん。隼があの鳥を護衛していたのだと思いますわ」
アマーリエが答えるなり、フレデリカは素早く左右に目を走らせ、ちっと舌打ちをしてから、屋内へ駆け戻るなり、先端が血に濡れたままの羽矢を掴んで走り出てきた。
「おお隊長殿、今すぐ弓を支度しよう!」
「いや結構です、間に合わない、――わが守護たる聖アンティノウスよ、風をくだされたまえ!」
フレデリカが祈祷句を口にするなり、頭上から物理的な圧迫感が襲ってくる。
空気がグーっと圧縮されて、フレデリカの細身の体を軸にして左回りに渦巻き始める。灰色のローブの裾が横になびいて長い脚に巻き付いてゆく。
フレデリカは右手で羽矢を握ったままその風の渦を両腕に抱くと、入日の空を睨み上げ、腕を突きあげながら矢を投げた。
途端、渦を為していた風がまっすぐな突風に変じた。
その風の中を羽矢が飛び、今にも大ガラスに襲い掛かろうとしていた猛禽の背に突き刺さった。
「--お見事!」
マンフレートが叫ぶ。
「ちょっと隊長殿!」と、レナーテが怒鳴る。「あなた射られたばかりなんだよ? いきなり無茶しないでよ!」
「そうですわよ!」と、アマーリエも加勢する。「傷そのものは癒えたとはいえ、衝撃を負った血肉の負荷は馬鹿にならないんですからね? 治癒後は安静と静養! しばらくじっとしていらっしゃって!」
「治癒者がた、ちょっとお黙んなさい、緊急事態だから!」と、マンフレートが引率教師みたいに宥める。
猛禽はキェエエーーっと鋭い断末魔の叫びをあげてから、石のようにまっすぐに落下していった。
大ガラスがこちらへ飛来してくる。
マンフレートが腕を広げて迎える。
「兄弟よ、伝言があるなら私の口を使え!」
砲丸のように迷いなく舞い降りてきた大きな黒い鳥は背に酷い傷を負っているようだった。
「待って、まずは癒してから――」
レナーテが制止する間もなくマンフレートの肩に留まる。烏の足にも金の環が嵌まっている。その足元から淡い銀色の光の靄が発して、マンフレートの体へとしみ込むように吸い込まれていった。
「あ、あ、あ……」
マンフレートの唇が慄き、苦痛に充ちた呻きが零れる。
傷ついた鳥と五感を共有したのだ。
アマーリエは咄嗟に彼の手を握った。
「祭司長さま、しっかりなさって! あなたは鳥はありません! その痛みはあなたの痛みではない!」
「あ、ああー―……博士? ドクトル・シュタインベガーは?」
祭司長の口から、まるで迷子の子供みたいに不安そうな声が漏れる。
レナーテが宥めるように応える。
「ここだよ。どうしたの?」
「院長先生が捕縛されました。叛乱容疑です。博士、早くそこから逃げて――……あ、うぁあああー―……!」
そこでマンフレートが獣のような咆哮をあげたかと思うと、ガクリと頭を垂れてその場に崩れ落ちた。
肩から黒い鳥の体も落ちる。
媒体となっていた鳥が死んだのだ。
マンフレートと同調したまま!
そうと気づいた瞬間、アマーリエは、自分より少し背の高いレナーテの肩を掴んで揺さぶりながら訊ねていた。
「博士、ジギタリスはありますか!?」




