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第十章 谷の神殿 4

 暖かな屋内から一歩踏み出すなり、頬を刺すような冷気を感じる。

 外はもう薄暗かった。

 正面から赤らんだ夕の陽が射して、疎らに残る葉の陰の薄赤い林檎の果実を輝かせている。

 幾本も伸びる幹の影をよぎりながら路を辿って、大きな樫の木陰をめぐって、左右を石垣に挟まれた険しい階段を上る。柊の生垣に開いたアーチ状の入り口を抜けると、一辺4(ルーデ)〈約12m〉ほどの石畳の広場へと出た。

 三方に木造の館が並んでいる。

 正面の館のドアの前にだけ一対の篝火が燈され、屋根の上に突き出る煙突から淡い煙が立ち上っている。

 光沢のある木製の両開きの扉だ。

 合わせ目に聖ニネヴェの証である《水がめに絡む蛇》の意匠の浮彫があり、目に鮮やかな青と金箔で彩られている。

 マンフレートがそのドアを拳で無造作に叩く。

「方々、フォン・ヴェルンの姫君をお連れしましたよ」


 すると内側から扉が開いて、深緑のローブに金刺繍入りの白い帯を結んだ女性が現れた。年頃は四十半ばか、滑らかな象牙色の膚ととび色の眸の美人で、熟れた小麦のような色の髪を三つ編みにして形のよい頭に巻き付けている。

 服装からして植物神セヴの祭司だ。

「ありがとうエルマ」と、マンフレートが礼を言う。


 屋内は縦長の広間だった。

 黒ずんだ光沢のある弓なりの梁が肋骨みたいに列なる天井の真ん中から鉄製の大きな環が釣り下がって、蜜蝋燭がぐるりと燈されている。突き当りに天井まで届くほど大きな暖炉が設けられて、鉄の柵の向こうで薪が焔をあげているようだ。

 焔を背にした一段高い床の上に肘掛椅子が据えられ、深みのある群青色のローブに白い毛皮のケープを重ねた恰幅のよい禿頭の老人が腰掛けている。

 右側の壁のやや離れた位置にある柱の前にも椅子があって、そちらにはレナーテが腰掛けていた。


「エルマ、戻りなさい」

 老人が低く命じると、深緑のローブのエルマが、レナーテの向かい側に置かれた空の椅子にかけた。

 その瞬間、アマーリエは部屋全体の空気が微かに重くなったような圧迫感を覚えた。



 ――今のは……



 戸惑いかけてハッと気づく。


 方陣聖域(カトル・サンクテ)だ。


 目の前の老人とレナーテと女性、それに、背後のドアの前に立ったマンフレートが方陣を形作っている。

 気づかないうちに、アマーリエとフレデリカは、加護持ちの力を封じる方陣の内部に立たされていたのだった。


 アマーリエが気づいたことを察したのか、肘掛椅子の老人がニヤリと笑う。

「おや、お気づきになられたか。フォン・ヴェルンの姫君よ、お会いできて光栄だ。私はラインハルト・エッツェルという。見ての通り、水の女神ニネヴェに仕える祭司の長だ」


「初めましてエッツェル祭司長さま」と、アマーリエは略式の礼をとった。「アマーリエ・フォン・ヴェルンでございます。わたくしを迎え入れてくださったご厚意に感謝いたします」


「うむ」と、エッツェル祭司長が頷き、深緑のローブのエルマを見やった。「この姫君は少なくとも礼儀知らずではないようだな」

「この世には礼儀正しい罪人もありましょうね」と、婦人はとても暗い声で応じ、この世の終わりみたいに深いため息をついてから名乗った。

「初めまして姫君。わたくしはエルマ・クルム。植物神セヴに仕える者です。あなたが保護を求める理由はマンフレートから聞きました。端的に伺いますけれど、あなたは一体どこの誰が、何のためにご自身に冤罪を着せたとお考えですの?」


 クルム祭司長の口調は慇懃にも冷ややかだった。

 アマーリエは応えに窮した。


 誰が?

 何のために?


 そんなことはアマーリエ自身が誰よりも知りたい。


「姫君、お分かりになりませんの?」

 クルムが冷ややかに訊ねる。

 アマーリエは長めの袖のなかでぎゅっと拳を握りしめた。

 緊張と恐怖で心臓が爆発しそうだ。


「--はい。残念ながら全く」


 どうにかこうにかそれだけ言葉を絞り出す。

 そのまま項垂れていると、クルムがまた暗いため息をついてから言った。

「なるほど、姫君は無実のようですわね」


「え?」

 アマーリエは呆気にとられた。「お言葉ながら祭司長さま、なぜそうお思いに?」


「それはもう、あなたが誰も告発しないからですよ」と、クルムがため息交じりに応える。「それに実際、あなたがエーデン宮中伯の御出自の継母どのを殺害して得る利など何一つありませんしね――ありませんわよねレナーテ?」

「私の頭脳の考えつく限り、何一つないでしょうね」

 と、レナーテが肩を竦める。「つまり、この世の殆ど誰の頭脳にも思いつけないってことです」

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