第十章 谷の神殿 2
「ところでフォン・ヴェルンの姫君」
灰色狼に先導されて樅の木々のあいだを縫うように伸びる坂道を上りながら、レナーテが振り返らないまま呼ぶ。「護衛の隊長殿たちは完全に信用できるの?」
「そういうことを本人たちの目の前で聞きますかねえ」と、後ろを来るレオンが苦笑する。
アマーリエは躊躇わずに即答した。
「勿論ですわ。身内よりもはるかに」
答えるなり、レナーテが面白そうに声を立てて笑った。「それ皮肉? あなた結構面白いね! それじゃ包み隠さず教えておくけど、私が今ここにいるのは実は完全に偶然ってほどでもないんだ。先々月、あなたの裁判が始まってすぐ、とあるいと高き筋から、『間違いなく冤罪に決まっているから何とかして晴らして欲しい』って漠然としたご依頼を受けてね。内々に調査を引き受けているんだ」
「え?」
アマーリエは愕いた。
「それって、まさか――」
「そういうこと!」と、レナーテが肩を竦め、アマーリエのさらに後ろを来るフレデリカをちらっと振り返った。「フレデリカどの――だっけ? 誰からの依頼だと思う?」
挑戦的に訊ねられた女傭兵隊長は、眉間にわずかに縦皴を刻んで考えこんでから答えた。
「フォン・ヴェルン男爵閣下――でしょうか?」
「大外れ」と、レナーテが鼻を鳴らして嗤う。「もっと身分の高い方だよ。誰か思いつく?」
フレデリカは悔しげにハッと太いため息をついた。
「浅学にしてさっぱりまったく。どなたなのですか?」
「うわ、訊いちゃうんだ。――姫君はさすがに分かっているんでしょ?」
「アマーリエ、本当にわかっているのか?」
フレデリカが疑わしそうに訊ねる。
アマーリエはむっとした。
「当然ですわ隊長殿! わたくしの無実を無条件に信じてくださって、なおかつドクトル・シュタインベルガーが内々のご依頼をお引き受けになる方となったら、思い当たる方はお一人しかありません」
「誰なんだ?」
アマーリエは一瞬躊躇ってから答えた。「院長先生でしょう?」
「その通り」と、レナーテが頷く。「安心したよ姫君。わが同窓生はさすがにそんなに馬鹿じゃないね。私としても同門の貴族の姫君から毒薬使いが出たなんてあんまり名誉な話でもないからね、遍歴修行のついでにお引き受けして、まずここの神殿を調べにきたんだ」
「……お言葉ながらお若き博士どの」と、フレデリカが口を挟む。「内密の調査をなさっているなら、そこの狼の耳の真後ろでペラペラ喋っていいものなのですか?」
「あのねえ、私を誰だと思っているの?」と、レナーテが忌々しそうに舌打ちする。「安心してよ傭兵隊長。たぶん、あなたの七の七倍くらい思考力洞察力も優れているからさ。ここの神殿については、調査はもう終わっているの!」
「ええと、その、あ――博士どの?」と、後ろの方からアルベリッヒがおずおずと口を挟む。「調査ってのは、何を調べていたんですか?」
「主に蜂蜜だね」
「ああ、なるほど」
アマーリエは納得した。
「おいおいおいおいお姫さまがた」と、今度はレオンが口を挟む。「二人だけで話を進めないでくれよ。蜂蜜がどうしたんだ?」
「姫君の調合した例の滋養強壮飲料だよ」と、レナーテが面倒そうに説明する。「開封前の飲料に鳥兜が混入していて、調合段階で入れていないのだったら、原材料のほうに初めから混ざっていた可能性があるだろ? 治癒者の間じゃ常識みたいな知識だけど、鳥兜から採取した蜂蜜には同じ毒性があるんだ。養蜂は聖セヴか聖ウルーの神殿に独占の特許が与えられているから、ゼントファーレン近隣で流通する蜂蜜を作っているのは間違いなくここの神殿だ。だから、敷地内でご禁制の鳥兜の群生地がないかどうかを調べていたんだ。結果はシロだった。少なくともここの蜂蜜じゃない」
「それじゃ、毒はどうやって混入されたんです?」と、フレデリカが訪ねる。
レナーテはため息をついた。
「そんなこと私が教えて欲しいね! 次に怪しいのはガラス瓶かな? そっちはゼントファーレン市内の工房で作っているんだよね、きっと」
苛立たしそうに舌打ちをしながらも理路整然と説明するレナーテの声を聞きながら歩くうちに、アマーリエは眦がじわじわ熱くなるのを感じていた。
――ありがとうございます院長先生。無条件でわたくしを信じてくださって。
樅の木々のあいだの坂道を上り切ると、すぐ目の前に大男のレオンの背丈より高い柊の生垣が現れた。
左右の端が見えないほど長く、陽射しひとつ通さないのではないかと思われるほどびっしりと密に茂っている。
「あれ、門が閉じちゃってる」
レナーテが生垣の前で戸惑ったように言い、灰色狼の背中をポンポンと叩いた。
「おーいマンフレートどの――。とりあえず異常なしだよ――」
狼はいかにも狼らしく耳をピクリと立ててから、前足を揃えて行儀よく坐り、首を上向けてウォーンと一声吼えた。
途端、生垣の内部から翠がかった金色の光が溢れたかと思うと、見えない巨大な掌にかき分けられたかのように枝葉が分かれて、生垣の真ん中にアーチ型の入り口が現れた。




