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第八章 ゼント渓谷 2

 狩人小屋の床下には沢山の薪の束が積んであった。

 手すり付きの狭いテラスから六段の梯子が降りている。


 登ると目の前にどっしりとした両開きの木製の扉があって、狩人神ウルーの印である《弓と鹿角》の紋章が、扉の合わせ目を封じるかのように焼き付けてあった。


「すべての獣たちの創造者たる鹿角もつ御方よ、汝が聖域にわれらをひととき憩わせたまえ」

 アルベリッヒが恭しく挨拶をしてから扉を押し開ける。

 すると、屋内からむっと鼻を突く獣臭い匂いが流れ出してきた。


 臭いの源は右手の壁際に山と積まれた様々な毛皮のようだった。

 黒ずんだ梁からも、ベーコンの塊や薬草の束や数珠つなぎの大蒜などに混じって、内臓を抜かれてでろりと長く見える美しい銀狐や頭がついたままの白イタチといった小型の獣の毛皮が吊るされてフサフサとした尻尾を垂らしている。

 左手の壁際には四本の脚付きの円い大きな火皿があり、角には素焼きの水がめがあった。

 水がめと火皿のあいだは棚になっていて、白っぽい円いチーズの塊や大小さまざまな壺やガラス瓶や、衣類と思しき茶色っぽい布包みなどが乱雑に押し込まれている。

「こりゃあ大したもんですねえ!」と、老ヨハンが感心する。「必要だったらなんでも持って行っていいんですか?」

「代価を払えばね。狩人たちの殆どは毛皮で物納しているみたいだけど」と、アルベリッヒが慣れた様子で答え、思い出したようにぶるっと身震いした。

「とりあえず、火を熾して何か食べよう。食い物を見たら思い出しちゃったよ。お腹がペコペコだ」

 急いだほうがいいんじゃないかしら――と、アマーリエは心の中でだけ思った。

 実のところ、アマーリエ自身も、目の前のチーズの塊を今すぐ掴んで貪り食いたいほど激しい空腹を感じているのだった。



 三人ともひどく空腹だったために、食事の支度は手早く進んだ。

 ヨハンが床下から運んできた粗朶を大きな火皿に乗せると、アルベリッヒが腰に吊るした角製の容器から火種を取り出し、加護の力は用いずにてきぱきと焔を熾す。

 そのあいだにアマーリエは棚の下段から鍋と燕麦の粒を捜し出し、アルベリッヒに借りた短刀で硬いチーズを角切りにして、麦粒と水とともに鍋に放り込んだ。ついでに、梁に吊るされた香草の中からセージを捜し出して加え、赤々と燃える火皿の上に渡した二本の鉄棒の上に鍋を乗せる。

 ほどなくして、屋内には暖気とともに、チーズ入りの燕麦粥がコトコトと煮える芳しい匂いが漂いはじめた。

「いい匂いだなあ」と、背嚢から匙を捜しながらアルベリッヒが鼻をひくつかせる。「アマーリエは料理もできるんだね!」

「料理ってほどのものでもありませんわ」と、アマーリエは照れ隠しにわざと愛想のない声で応えた。「調味は薬草の扱いに通じますからね。滋養強壮飲料(コーディアル)の効能を損なわずに苦みを減じるために、先人がたが色々と――」

 そこまで口にしたところで、アマーリエは久々に思い出してしまった。 



 --そう。滋養強壮飲料(コーディアル)

 わたくしがお義母さまのために調合したあの飲料の中に鳥兜(アコニウム)が含まれていたのが事実だとしたら、毒物は誰が、どうやって、何のために混入したのかしら……?



 それは思いもかけない冤罪を着せられて父の城たるミッテルヴェルン城の塔に軟禁されていたときからずっと悩み続けてきた問題だった。

 方法ももちろん謎だが、何よりも動機が謎だ。


 

 ――真犯人は本当にお義母さまを――あるいは、お義母さまのお腹の子供を殺したかったのかしら? それとも、目的は純粋にわたくしに罪を着せるため? 

 でも、それは一体何のためなの? わたくしみたいにちっぽけな、何の取柄もない存在を一生森の古城に幽閉して、犯人は何がしたかったというの……



 アマーリエはうつむいたまま沈思に耽った。

 生来薬物の調合に適性のある、いってみれば研究者気質のアマーリエは、「なぜ?」を考え始めると長い。

「……姫さま、大丈夫でございますよ」

 と、老ヨハンが気づかわしそうに声をかけ、芳ばしい湯気を立てるチーズ入りの燕麦粥を木の椀によそって差し出してくれた。

「とにかくお食べなせえ。人間、腹が減ると気持ちが沈むもんです」

「そうそう。早いところ食べて発とうよ。ゼントファーレンについたらこっちのもんさ。隊長殿(シェフィン)の知り合いがみんな助けてくれる」

 アルベリッヒも過剰なほど明るい声で言ってアマーリエの背中を叩いてくれる。

 アマーリエは無理やりに笑顔を拵えて頷いた。

「ええ、そうですね」

 すみませんーーと、続けかけて、思い直して口にしてみる。

「二人とも、ありがとうございます」

 老人と少年はどっちも照れくさそうに鼻の下を掻いた。



 そうして三人で火皿を囲んで夢中で匙を口に運んでいたとき、アルベリッヒが不意に手を止め、ピンと張り詰めた表情で焔の上に掌をかざしたかと思うと、ごく低い小声で祈祷句を囁いた。


「わが守護たる聖カレルよ、汝が被造物たる焔を鎮めたまえ」

 言葉と同時に掌の下がポウっと淡い金色に光って、赤々と燃えていた焔が一瞬で消えた。

「若旦那?」と、ヨハンが不安そうに呼ぶ。「どうなさいましたんで?」

「しっ、黙って!」

 アルベリッヒが小声で制して腰に吊るした両手剣の鞘に右手をやった。

「二人とも動かないで。外から誰か来る」

 少年傭兵が静かなすり足で扉の前まで移動したとき、外から聞き知らない男の声が響いた。


「おい、中にいる奴! 余所者だろう? 後ろ暗えところがないなら出てこい!」

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