第七章 謎の角笛 2
同じころ――
アマーリエたちの位置からは直線距離で南西に二〇歩里〈約30㎞〉離れたウーゼル城の望楼の最上階で、金髪おかっぱの少年小姓のクルトが、頬を膨らませ、顔を真っ赤に紅潮させて、彼には大きすぎる備え付けの角笛を吹き鳴らしていた。
日ごろから訓練はされているものの、隊長付きの小姓であるクルトの本来の役割ではない。
本当ならば今こうして角笛を吹いているはずの今夜の物見役のペアは、まるで酒を過ごして酔いつぶれているみたいに、両足を広げ、両腕をだらりと垂らして、だらしなく壁に寄り掛かって眠り込んでいる。
彼らは勿論酔っているわけではない。
《銀の死神》シグムンド隊の隊規はわりと厳しい。
当番中の飲酒がばれたらその場で即解雇だ。
しかし、今夜の残留部隊――本隊はシグムンド自身が率いて、何が嬉しくてか囚人を攫って逃走したらしいミッテンヴェルンの女傭兵隊長の追跡に出ている――は、少年クルト一人を除いて、全員が深い眠りに落ち込んでいるのだった。
――隊長殿、隊長殿、早く戻ってください……!
異変の源が何であるのかをクルトは知っていた。
歌声だ。
今も城の上空、鮮やかな満月の照る夜空を旋回している鳥影――夜なのに真っ白な翼を広げた大きな鳥のような影が下降してきたとき、はっきりと耳に響いてきた甘い女の歌声。
鳥は怪物だった。
白鳥のように白い翼と鳥の下半身に美しい金髪の女の顔を備えた美しくもおぞましい姿をしていた。
その歌声が聴こえてきた途端、ウーゼル城の男たちは恍惚とした面持ちで聞き入り、そのうちに半開きの口から涎を垂らし、だらしなく陶然とした表情をさらして次々と眠り込んでしまったのだった。
そして今、クルトの眼下に伸びる西側の道――百年前に長い長い戦乱を経てセルケンバイン帝国から独立をもぎとった沿海諸都市連合の領土へと伸びる街道を、一群の燈火の列が刻々と近づいてくるのだった。
留守を狙った敵襲だ。
化け物鳥は連中の手先だったのだ。
囚人を連れて逃走した女傭兵というのも共謀者に違いない。
――隊長殿、お願いです、早く戻ってきてください……!
少年の祈りに応えるように、シグムンドは追跡を途中で切り上げ、本隊を率いて城へと駆け戻っていた。
かなりの速度で疾駆する骸骨たちの群れも、ガション、ガションと大層喧しい音を立てながら並走している。
一行は城の東門を目視できるあたりに帰り着いたところで、望楼の上を旋回する奇怪な白い鳥影に気付いた。
「――歌怪鳥か!」
夜のように黒い愛馬の上でシグムンドが叫び、馬上で背後を省みて命じる。
「全員松脂の耳栓をしろ! 骸骨どもは水中にもぐって西側を防備しろ! 残りは全員通常の配置だ! 敵はおそらく西から、目的は囚人の奪還だろう! 以後声は聞こえんが、適宜自分で判断しろ!」
「はい隊長殿!」
骸骨の群れが月光を映した水濠のなかに次々と飛び込むたび、光を砕いたような水飛沫がキラキラとあがる。
シグムンドが門前まで馬を進めると、測ったようなタイミングで跳ね橋がおろされた。
シグムンドが馬上から呼ばわる。
「クルトか? よく報せたな!」
「は、はい隊長殿! でもみんな眠ってしまって!」
歩廊に出てきた金髪の少年が泣きそうな声で答える。
シグムンドにその声はもちろん聞こえていないが、彼はいかにも聞こえているように笑って頷いた。
「安心しろ。この通り我々は起きている。お前は望楼の地下の囚人たちの様子を見張っていなさい。私もあとで行く」
「はい隊長殿、承りました!」
少年がすっかり安心しきった声で答えて歩廊から姿を消す。
その様を見届けてから、シグムンドは悠々と城内へ馬を進めた。
こうして間に合ったからには奇襲など恐れるには足りない。
彼は激しい怒りを込めて、いまだに頭上で旋回を続ける白い鳥影を睨みつけた。
「この俺の護る城から囚人を奪おうなんざ、てめえらいい度胸じゃねえか」
《銀の死神》は内心で激怒していた。
西側の道から着々と奇襲者の一群が近づいてきている。――気の毒な彼らは、城からわずか十数歩里の位置に、角笛に応えて戻ってくる本隊が存在していようとは夢にも思っていなかったのだ。




