第六章 奇襲 3
包囲が完全に狭まったころ、ヨハンがようやく手持ちの水をありったけ使ってベーコンのスープを作り終えた。
携帯していた水そのものがさほど多くないため、赤黒い大きなソーセージじみた竜の腸の水袋の三分の一にも満たない。
「終わりましたよ隊長殿。焚火はいかがいたしましょう?」
「火は消しておこう」
「爺さん、そいつを焚火の跡の斜め右においてくれ」と、後ろからレオンが指示する。「そっちじゃない、俺から見て右だ。―-そのへんに木の根が浮き出しているだろう?」
「は、はいレオンの旦那、このあたりですかね?」
「そうそう、そこだ。そこに袋をおけ。こう、物干し竿に敷布を駆けるみたいに、木の根が浮き出したとき引っ掛かりそうな形で」
「要するに直角に交差させろってことだよ」と、フレデリカが口を挟む。「置いたら私の真後ろで待機だ。私が行けと合図をしたら、何も持たず、何も考えなくていいから、とにかくまっすぐに北へ――私が長槍で指す方角へ走ること。アマーリエとアルベリッヒも同じだ」
すぐ鼻先に白く輝く骸骨が迫っているというのに、フレデリカの口調は冷静そのものだった。
聞く内に心が落ち着いてくる。
「はい隊長殿」
アマーリエは子供のころ、尊敬すべき師たちの元で治癒の修行に励んでいた修練院時代の気持ちに戻って応えた。
すぐ真横に骸骨が迫ってきている。
フレデリカはそのあとアルベリッヒに細々とした指示を与えてから、振り返らないまま命じた。
「レオン、頼む」
「へいへい」
レオンが方陣聖域の配置を保ったまま膝をついて地面に手を当てる。
そしておもむろに祈祷句を唱えた。
「わが守護たる聖セヴよ、汝が被造物をひととき歩ませたまえ」
声とともに掌の下がポウっと淡い薄緑色に光る。
同時に地面が揺らいだ。
メリメリっ、プツプツっと地中から微かな音が響く。
アマーリエはぞっとした。
足の下の地面が縦に波打っている。
まるで地中の巨大な蛇が鎌首を持ち上げようとしているかのようだ。
「アマーリエ、なんとか立っていろよ?」と、前に立つアルベリッヒが囁く。
その瞬間、プチプチプチっと音が響いたかと思うと、赤く湿った土の破片が水飛沫みたいに左右から噴き出し、蛇を思わせる黒ずんだ木の根が、地中から振り上げられた鞭のように虚空へ躍り出てきた。
地表の近くに浮き出ていたらしい焚火跡の右の木の根がひときわ高く跳ね上がり、引っかかるように置かれていた水袋を虚空へとはじく。
「聖セヴよ、お力を鎮めたまえ!」
「わが守護たる聖アンティノウスよ、風をくだされたまえ!」
レオンとフレデリカが同時に叫ぶ。
木の根がすべて動きを止める。
頭上の空気が圧力を増す。
フレデリカの両腕が水を掻くように動く。
この間、ほんの半秒。
次の瞬間、北向きの激しい突風が生じて、中空に浮かんで落ちてこようとしていた水袋を、投石器で打ち出された弾みたいな勢いで北へと吹き飛ばした。
方陣の周りをびっしりと囲っている骸骨の列の真上へと袋が落下する。
そのときフレデリカが叫んだ。
「――行け!」
声と同時に長槍の先がまっすぐに斜め前方を指す。
アマーリエは命じられた通り、何も持たず、何も考えずに、月光に白く輝く槍の先が指し示す向きへと走り出した。
ヨハンとアルベリッヒも同時に走り出す。
同じ瞬間、フレデリカが槍を投げた。
骸骨たちの頭上へ落ちようとしていた水袋が破れて塩気の濃いベーコンのスープが血飛沫みたいに噴き出す。
骸骨たちの列が飛沫を避けようと左右に分かれた。
その隙間をまずヨハンが通り、アマーリエが通り、最後にアルベリッヒが通った。
「気をつけろよ三人とも!」
と、背後からレオンが叫んだ。
ひたすらに必死で走っているアマーリエに何かを叫び返す余裕はなかった。