第六章 奇襲 1
さすがに旅慣れた傭兵が三人もいる一行である。
一度休むと決まったら野営の支度は手早く進んだ。
東の木々のあいだから鮮やかな白い月光が射し始めるころには、一行は木のない間道の跡から西へ二〇丈〈約60m〉ばかり入った、巨大な山毛欅の古木を囲む窪地で、赤々と燃える焚火を囲んでいた。
窪地の中心の古木の枝は聖堂の天蓋の梁のようだった。
焚火を囲むようにして、用心深いフレデリカがあらかじめ大きな方形を長槍の柄で測って象り、四隅に目印の白い石を置いている。
アマーリエは、傭兵たちがたっぷりと集めてくれた落ち葉の小山の上に粗い羅紗の毛布を広げて坐り、傷ついた足にフレデリカが提供してくれた軟膏を塗っていた。
裾を捲った大きめの灰色のズボンから覗く白い細い足首から、右隣に座ったアルベリッヒがさりげなく目を逸らしつつ、木の枝に鉄製の薬缶を吊るして焔の上にかざしている。
目の前で燃えている焚火は、焔の神カレルの加護持ちのアルベリッヒが、角製の器に入れてベルトに吊るして携帯している火種を湿り気の多い落ち葉の上におくなり一瞬で燃え立たせたものだ。
向かい側には御者のヨハンが、間道を背にする右手には立てた長槍に寄り掛かるような姿勢のフレデリカが、左手の古木の幹を背にする位置にはレオンが坐っている。レオンは、これも木の枝に刺した厚切りのベーコンを焙っていた。
ジュウジュウと脂の焼ける芳ばしい匂いをかぐうちに口のなかに唾液が湧き上がってくる。
「おい爺さん、そこのパンを切ってくれや」
「へいへいレオンの旦那、わしに刃物を持たせてよろしいので?」
温まってすっかり体力を回復したらしいヨハンが軽口を叩きながら硬そうな黒いパンを薄くスライスして差し出す。レオンはその上に焼き立てのベーコンを乗せると、アマーリエとアルベリッヒをみやってニヤッと笑った。
「育ち盛りのクソガキども、どっちが先に喰うんだ?」
「そりゃ勿論アマーリエだよ。お姫さまなんだから」
「アルベリッヒですわ、当然。わたくしそこまで子供じゃありませんし」
十八歳と十七歳のこの場では年少のコンビが同時に応えてしまってから気まずそうに顔を見合わせる。レオンは愉快そうに笑って、彼からは焔を挟んで向かい側に坐っているフレデリカに視線を向けた。
「そいじゃ隊長殿、はじめの獲物はあんたのものってことで」
と、わざわざ立ち上がってフレデリカにパンを渡しにいく。
片膝を立てて長槍を抱くようにして、顔を俯けがちにして坐っていた女傭兵は、ハッとしたように顔をあげ、どことなくぎこちない笑顔を浮かべた。
「ああ、ありがとうレオンーー」
そこまで口にしたところで、フレデリカが瞬きをし、大きなネコ科の動物みたいにすっと目を細めた。
見るからに何かに警戒するような顔だ。
アマーリエは不安に駆られた。
「隊長殿? どうなさったんですの?」
「しっ、黙っていてアマーリエ」と、アルベリッヒが窘め、薬缶をそっと地面に下ろした。
「加護持ちたち、配置につけ。ヨハンどの、火の番を頼む。アマーリエは靴を履くようにね」
ピンと張り詰めた緊迫感のなかでフレデリカが静かに命じる。
今回の方陣聖域の形をどうするかは予め指示されている。
やはり何かが来るのだ。
アマーリエは破裂しそうに高鳴る自分自身の鼓動を感じながら、軟膏でべたつく素足を生乾きのブーツにつっこみ、震える指で紐を結んでから、古木を背にする右側の位置におかれた目印の石のもとへと向かった。
焚火から数歩離れるだけで寒さが襲ってくる。
自分の吐く息が白く見えた。
左手の遠くにレオンが、正面にアルベリッヒの背中が見える。フレデリカは焔を挟んだ対角線上だ。長槍の穂先が月明かりを浴びて銀色に輝いてみえる。
「みな力をこめろ」
フレデリカの静かな声が命じる。
アマーリエは心の中で聖ニーファの加護を求める祈祷文を繰り返し唱えながら、足の裏を介して方陣へと力を流し込んだ。
途端に鋭い頭痛と耳鳴りが襲ってくる。
力を使いすぎたあとで、まだ体が回復しきっていないのだ。
全身が寒くてたまらないのに額に脂汗が浮かぶ。
アマーリエが必死で唇を引き結んで耐えていたとき、間道のほうから微かな物音が聞こえてきた。
カシャ、カシャっと硬い何かが触れ合うような音だ。
一つの音が聞こえたかと思うとたちまち数を増し、虫の大群の羽音のように、微かな音が無数に重なりあってゆく。
「ありえねえ」と、レオンが呟く。「こいつは《沼地》の骸骨どもか?」
「えええ、骸骨?」と、アルベリッヒが声をあげる。「生ける死者ってやつ? だってそれ、あの《沼地》にしか出ないって」
「落ち着けアルベリッヒ」と、フレデリカが窘める。「大方、例の《銀の死神》とやらの仕業だろう。名からしていかにもナーウードの加護持ちだ。沼地という領域の外でも動けるよう、何か別の条件を付与したんだろう」
「何かって、たとえば?」
「そうだな――」
そのとき、間道側の木々のあいだから予想通りの姿が現れた。
骸骨だ。
月光を浴びて眩いほど白く輝いている。
「うわあ――」
アマーリエは頭痛も恐怖も忘れて思わず嘆息した。
とても綺麗。
内心でそう感嘆したとき、初めの一体を皮切りにして、月光の射しこむ木々の隙間から、白く輝く骸骨の群れがぞくぞくと近づいてきた。
皆見事なまでに光のなかを歩んでいる。
「付加条件はどうやら月光のようだね」と、フレデリカが結論付ける。
「あのうレオンの旦那―-」と、焔の傍で御者ヨハンががたがた震えながら言う。「胃袋とか腸とか、そういうもの無いように見えますがね、あの連中も、やはり何か食ったりするんですかね?」
「おう」と、レオンは無神経に頷いた。「亡者は人間の血肉を喰らうぞ。当たり前じゃねえか」