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第五章 銀の死神 3

 半時間後――


 装束と揃いの黒馬に騎乗したシグムンドは、同じく騎馬の三人の配下を伴って古街道を西へとひた駆けていた。


 ウーゼル城から番小屋までは15歩里(ミリア)〈約22㎞〉程度だ。

 入日を背にして城の東門を発った三騎は、陽が落ちきる前に、地面にのたくる蛇の鱗が剥がれて爆ぜ飛んでいるかのような街道の崩れ目と、横倒しになった箱馬車と、三方に向かって伸びる地性触手(テラ・テンタケル)の骸を目にした。


「うひゃあ」と、供の一人が馬を降りて角灯(カンテラ)を盛った手を前へと伸ばしながら嫌そうな声をあげる。「ひでえ臭いだ」

 だらりと伸びた怪物の躯は腐った臓物と胃液と汚物をないまぜにしたような臭気を発していた。シグムンドがわずかに鼻の脇に皴をよせて訊ねる。

「吐き戻しはあるか?」

 角灯の明かりが薄暗がりのなかをウロウロと動く。

 じきに配下の一人が答える。

「ありました隊長殿(シェフ)! 連中が着ていた緑のマントの残骸と、黒っぽい毛と赤い羽が混じっているようです!」

「ほーう」と、シグムンドは妙に面白げに応じた。「ゼントファーレンの《赤翼(ローテ・フリューゲル)》フレデリカの目印は帽子の赤い羽飾りだったな。――お前ら、そのなかから頭蓋骨を捜して洗って持ってこい!」

「は、はい隊長殿(シェフ)!」

 三人の配下が即答し、てんでに馬を降りると、吐き気を催す悪臭を放つ吐き戻しのなかから命じられたものを捜しにかかる。

 その様を見届けてから、シグムンドは軽く頷くと、四頭の馬を番小屋の前に繋いで、小屋の裏手で水を汲んできた。



「よしよし、お前たちよく駆けたな」

 配下に対するときよりもよほど優しい口調でシグムンドが馬たちに水を与えていたとき、三人がに洗った頭蓋骨を抱えて駆け戻ってきた。



「隊長殿、見つかりました!」

「数は?」

「五つです」

「見せろ」

 シグムンドはひとつずつ頭蓋骨を受け取ると、白く指の長い繊細な両手で挟み込むように持ち、目の前に掲げてグーっと顔を近づけた。

 華やかに整った美しい顔立ちの男が頭蓋骨に口づけるかのように顔を寄せる様には妙に倒錯的な魅力があった。

 配下三人が何となく陶然とした――部外者から見るとちょっと気持ち悪い――目つきで見つめるなか、美貌の《死神(トート)》は淡々と五つの頭蓋骨を検め、足元に一列に並べてからおもむろに宣言した。

「偽物だな。これは全部男の骨だ。ゼントファーレンの女傭兵は囚人を連れて逃亡したようだ」


 一拍の沈黙のあとで配下の一人が訊ねる。

「逃亡って、何のためにですか?」

「俺が知るかよ。女の気まぐれだろう」と、《死神》が舌打ちをする。「クルトに聞いたときから怪しいとは思っていたんだ。あの芸達者な副隊長が合言葉を知っていたからな。地性触手(テラ・タンタケル)に不意をつかれて加護持ちが全滅したってのに、そんなこといつ伝達したっていうんだ」

「ははあーー」と、配下たちが感心する。「さすがですね隊長殿(シェフ)。ゼントファーレンの女隊長が逃亡するなら当然ゼント渓谷でしょう。すぐに追いますか?」


「いや」と、シグムンドが顎に手を当てて考えながら首を横に振る。「《赤翼(ローテ・フリューゲル)》は風の加護持ちだと聞いた。そこの地面に方陣聖域(カトルサンクテ)の跡らしい四角形の白墨の跡があった。ということは、あっちには最低四人の加護持ちがいることになる。いくらお荷物を抱えているとはいえ、四騎で追うのは多勢に無勢だ」

「しかし隊長殿(シェフ)」と、長身黒髪の目立たない外見の配下が意外な大胆さを見せて反論する。「逃亡者が間道を見つければゼント渓谷までは三〇歩里(ミリア)〈*約45㎞〉――もしも夜通し歩かれたら、城に戻って再び追うのでは間に合わないかもしれません」

「ああアルベルト、お前は南部の出身だったか」と、シグムンドが納得する。「さすがに詳しいな。それならひとつ足止めといこう」

シグムンドはそう言って楽しそうに笑い、足元に並んだ頭蓋骨のひとつを手に取って高く掲げた。

「幸いそろそろ月の出だ。月の女神エウニヤはわが守護たる(ハイリヒ)ナーウードの姉妹(シュヴェスター)だ。追跡に力を貸して下さるだろう」




 同じころ――

 点々と連なる白樺を辿って北へ伸びる間道の跡を見つけ出していたフレデリカ隊は、今夜の休息をどうするかについて仲間割れを起していた。


「私は休むのは反対だ」と、隊長フレデリカが主張する。「あの偽装工作がもし露見していた場合いつ追手がかかってもおかしくはないんだ。幸い今夜は月夜だ。少なくともゼント渓谷に着くまでは夜通しでも歩いたほうがいい」

「そりゃ無茶だよ隊長殿(シェフィン)」と、黒髭の大男レオンが反論する。「お姫さまと爺さんの顔色を見てみろ。俺が背負えるのはどっちか一人までだぞ?」


「――わたくしは歩けますわ!」

 お姫さまことアマーリエが口を挟む。

 しかし、その顔は蒼白だった。

 沼地の泥で濡れてしまった素足は氷のように冷たいし、空腹で目眩もしている。

 慣れない徒歩の強行軍のために柔らかな足の薄い皮膚はとっくに破れてじくじくと血を滲ませている。


「無理だよアマーリエ」と、一つ年下だと判明した少年傭兵アルベリッヒが小柄なアマーリエに肩を貸したまま言い、くるっとした茶色い目に勇気を湛えてフレデリカに反論した。

隊長殿(シェフィン)、俺もこれ以上歩くのには反対です。このまま無理をさせていたら、どこにもつかないうちにアマーリエが死んじまいますよ」

「全くだよ。お姫さまってのはつまりお姫さまなんだからさ。夜は焚火の傍で休ませてやらなけりゃ」

 配下二人の反論にあったフレデリカは、ちらっと老御者のヨハンを見た。

 今回の逃走劇には完全に巻き込まれただけの気の毒な老御者は疲れ切っているようだった。殴られ馴れてしまった驢馬みたいに暗い目でぼんやりと見上げてくる。


 フレデリカはしばらくその顔を見つめ、アルベリッヒに支えられてようやく立っているようなアマーリエを見てから、諦めたように頷いた。

「分かった。それなら今夜は休もう」


 いけません隊長殿(シェフィン)――と、アマーリエは心のなかでだけ思った。

 しかし、あまりにも草臥れすぎていて、暖かい乾いた場所で休めるという誘惑にはどうしても打ち勝てなかった。

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