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第四章 生ける死者の沼地 4

「ここを上るのは厄介そうだね」と、フレデリカが嘆息する。「結構浮き出ているな。レオン、どうにかならないか?」


「どんなもんでしょうかねえ」

 レオンがしんがりから進み出てくる。「ちっとも見えねえや。隊長殿(シェフィン)、まずは霧をどうにかしてくださいよ」

「払えてもほんの十数秒だぞ?」

「十分でさあ」

「分かったよ。やってみる。――わが守護たる聖アンティノウスよ、風をくだされ賜え」

 フレデリカが静かに唱えると、頭上の空気がグーっと圧迫感を増し、濃い白い霧が内巻きの渦をなして、フレデリカを軸に巻き込むように流れ始めた。

 アマーリエのフードが横になびき、短くなってしまった黒髪が頬に張り付く。


 ややあってフレデリカが水を掻くようにゆっくりと両手を広げると、その動きに合わせて渦の向きが変わり、今度は外巻きの風が生じて、一行の集まっているごく狭い空間だけ霧が払われていった。


「おう、これなら何とか見える」と、レオンが呟き、晴れた視界のなかをざっと見渡してから、地面からわずかに浮き上がるように伸びている太い木の根を見とめて嬉しそうに笑った。

「よしよし、いいのがあった。みなそこの根に跨って坐ってくれや!」

「これか?」

「はい隊長殿、それでさあ。坊主が先頭でつぎがお姫さま、爺さんはその後ろだ。できるだけ上のほうに詰めろよ?」

 言われたとおり、斜面に沿って斜めに傾ぐ太い木の根に一列になって跨る。

 苔むした樹皮はたっぷり水を含んだ海綿(スポンジ)みたいに湿っていた。


「アマーリエ、俺の肩に捕まっていなよ?」と、前に坐ったアルベリッヒが声をかけてくれる。

「ありがとうございます」

 アマーリエは礼を告げてから、ふと思いついて、後ろに跨る老御者に声をかけた。

「ヨハンどの、わたくしの肩におつかまりになってね?」

「そんな姫さま、恐れ多いことでございますう」

「いやいや爺さん、捕まっておけって」と、しんがりからレオンが口を挟む。「そいじゃ皆しっかり股に力こめとけよ! ――わが守護たる(ハイリヒ)セヴよ、汝が被造物をひととき歩ませたまえ!」


 レオンの祈祷が終わるや否や、背後から明るい若草色の光が閃き、両足のあいだの木の根が熱を帯びたかと思うと、プチプチプチっと何かが千切れる音が響き、細かな湿った土の欠片が左右から水飛沫みたいに上がった。

 同時に木の根が下から徐々に浮き上がってくるのが分かった。


「ひええええ」と、老御者が声をあげる。「ええとレオンの旦那、こりゃ一体何が起こっていますので?」


「見ての通りだ、山毛欅の木が歩き出そうとしているんだよ!」と、レオンが得意そうに答える。

 そうするうちにも、斜面に沿って斜めに伸びていた根がしだい、しだいに上へと持ち上がって、ついには完全な平行になった。


 そのタイミングでレオンがまた祈祷を捧げる。

「聖セヴよ、お力を御収めたまえ!」

 途端に木の根が動きを止めた。

 今や地面と水平の、一方通行の丸太橋みたいになって虚空で制止している。

「お見事」と、フレデリカがねぎらう。「アルベリッヒ、アマーリエを地面まで連れて行ってやれ」

「はい隊長殿。――気をつけてねアマーリエ」

 アルベリッヒがアマーリエの右手を握り、滑りやすい丸い根の上にそろそろと立たせてくれる。

 眼下にはもう深い霧が戻っていた。

 底が見えないために高さが分からない。

 アマーリエは足が恐怖に竦むのを感じた。


「大丈夫だ。気をつけて一歩ずつ歩け」

 背後からフレデリカが励ましてくれる。


 アマーリエは一度だけぎゅっと目を瞑ると、アルベリッヒの手をしっかりと握って足を

踏み出した。


 一歩。

 二歩。

 三歩。


 数えながら慎重に足を進める。


 七歩目でようやく地面の上についた。


 沼地を臨む低い崖の縁だ。

 右手に大きな山毛欅の木が生えている。

 どうやら今しがた歩いてきた太い根の持ち主らしい。


「ありがとな、助かったよ」

 最後尾を来たレオンが、まるで古なじみの友達に出会ったみたいに、山毛欅の巨木の樹皮に手を当てて話しかけていた。

「さて、ここからまた道捜しだ」と、フレデリカが促す。「陽が落ちる前には間道に出るぞ。みな白樺を捜せ」

「はい隊長殿(シェフィン)!」

 寄せ集めの小パーティーは声を揃えて応えた。

 葉を落とした山毛欅の枝のあいだから赤らんだ西日が射している。

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