第一章 護送馬車 1
冬至月を翌月に控えた晩秋の夕刻である。
セルケンバイン帝国南西部を覆い尽くす広大な樹海、アルターヴァルト大森林を東西に貫く古い街道を、二頭の駄馬にひかれた箱型の四輪馬車が西へと進んでいた。
馬車の前後を五人ずつの兵士が徒歩で護衛している。
兵士たちの身形はあまりよくない。
基本はみな毛織のシャツと半ズボンに黒や茶のブーツという農夫や職人と変わらない服装で、ボロボロの革の胴鎧をつけ、弩や長弓を背負って、腰には両手剣の鞘を吊るし、これだけは全員そろいの深緑の短マントを羽織っている。
先頭を行く一人はマントと同色の帽子に赤い羽根を飾って、背丈よりも長い槍を携えている。
その身形の粗末さや装備の揃わなさから、セルケンバイン帝国のものなら、だれが見ても、この一隊は常備兵ではなく臨時雇いの徒歩傭兵だと分かっただろう。
前方から赤い入日が射してくるものの、左右を分厚い木々に縁取られた森のなかの道は薄暗かった。
しかし、箱馬車のなかのアマーリエにとっては、明るかろうが暗かろうが全く関係はなかった。
馬車の左右に開いた格子窓は外から木板を打ち付けて塞いであるし、アマーリエ自身も、両手を後ろで縛られたうえに、きつく目隠しをされているのだ。
両眼を覆う布が上等の柔らかな黒天鵞絨なのは、実の娘に生涯幽閉の判決を言い渡さなければならなかった父親、エーベルト・フォン・ヴェルン男爵の最後の温情なのかもしれない。
お気の毒なお父様――と、アマーリエ・フォン・ヴェルンは暗い箱馬車のなかで思った。
女神ニーファに仕える治癒医師となるべく十年間修行を重ねた聖堂都市エルンハイムから生家に帰ってきて一年目――十八歳の自分に待ち受けているのが、まさか死ぬまで森の古城に幽閉される運命だとは思わなかった。
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アマーリエはセルケンバイン帝国南部に自治領を有する《古き剣の貴族》フォン・ヴェルン男爵家の長女だ。
七歳の《観加護礼》のとき、癒しの女神ニーファの加護を受けていることが判明したため、継母カロリーネの勧めで、エルンハイムの聖ニーファ女子修練院に入って治癒医師を目指すことになった。
これは爵位貴族の姫君としては珍しい進路だが、アマーリエの死んだ実母ソフィア・カテリーナが没落貴族の出で、母方の祖父母がフォン・ヴェルン家からかなりの額の資金援助を受けていたため、決定に否やを唱えてくれる母方の親族はいなかった。
カロリーネはアマーリエが出立した翌年に異母妹のミアを産み、二年後には異母弟のマクシミリアンを産んだ。
その間、アマーリエは修練院で「フォン・ヴェルンの姫君」と呼ばれて大事にされ、日々熱心に修行に励んでいた。
しかし、残念なことに、アマーリエが備える《加護の賜物》の等級は、どれだけ熱心に修行を重ねても、七段階中の「三」までにしか進まなかった。
「残念だけれどアマーリエ」と、白地に青いパイピングの入ったローブをまとった聖ニーファ修練院長アデレード殿下――この方は先々代の皇帝の実の姫君だ――は、アマーリエが十七歳になった春、よく区画された薬草園の一隅で本当に残念そうに告げてきた。
「職業的な治癒医師としてやっていくには、《三》では少々低すぎます。あなたが癒せるのは表面的な小さな傷だけ。それも一日一件が限界で、行使すればすぐに倒れてしまうと聞きました。それでは治癒医師は無理です」
「でも院長先生」と、アマーリエは縋りつくように言い返した。「等級が《一》や《二》でも、治癒医師を手伝う補助手や、滋養強壮剤を調合する治癒薬師として立派に働いていらっしゃる方は沢山おいででしょう? わたくしは薬草学が得意なのです。治癒薬師としてなら《三》でも十分でしょう? 正規の薬草学課程を終了した印の指輪も、ほら、この通り持っていますし――」
と、アマーリエが一年前に取得したばかりの《聖ニーファ認証薬師》の文字を刻んだ銅製の印章指輪を示すと、老いたる皇女殿下は気の毒そうに微苦笑した。
「フォン・ヴェルンの姫君、残念ながらその道は無理です」
「どうしてですか?」
「あなたの身分ですよ。治癒医師だって貴族の娘としてはだいぶ身分不相応だとみなされるのに、補助手や薬師は市井の職です。そんな就職を教え子に許したという評判が広まったら、この聖ニーファ修練院に娘を預ける貴族は一人もいなくなるでしょう」
「そうしたら院長先生」と、十七歳のアマーリエは、感じやすい灰青色の目いっぱいに涙を湛えて、親に棄てられようとする幼い子供みたいに長身の院長先生を見あげた。「ここを追い出されて、治癒者にもなれなくて、わたくしはこれからどうやって生きていけばいいのですか?」
「大丈夫よアマーリエ」と、院長先生は笑った。「あなたはまだ十七なんですから、いくらでも新しい道が見つかります。お父様へは私からお手紙を書いておきました。エルンハイム聖ニーファ修練院長エデレード・エルフェンバインの名において、わたくしたちの可愛いアマーリエに必ず良い嫁ぎ先を捜すようにと」
院長はそこで言葉を切ると、堪えかねたように腕を伸ばして、やせっぽちの教え子の体を正面から抱いた。
「ねえアマーリエ、人生の初めで小さな不運が生じだからって、自分をつまらない者だなんて思ってはダメよ? 加護の等級はある程度以上は生まれ持ったものなの。この十年、あなたはとても努力しました。それだけは本当。自信を持って。胸を張って生きるのよ?」
「――はい院長先生」と、アマーリエはどうにか答えた。
院長先生が心配するから泣いてはいけないと思うのに、どうしようもなく涙が溢れてならなかった。