5 あのときとは違う
5 あのときとは違う
「あのボーリング大会の写真のことですか?」
北潟がすっとんきょな声をあげた。
「うん?」
支配人イチローが不満げな声をあげた。
「ほら、三年前の」
北潟が支配人イチローの目の奥を見つめる。北潟の目の奥から静電気のようなものが放出されて、支配人イチローの網膜へ注ぎ込まれた。
「あっ、ボーリング大会の!いや、あれだけではない!その後のお前の行動も、あることないことネットに書かれている」
「えっ、そうなんですか?」
北潟はグループ内で最年長だ。ある程度の社会的常識は他のメンバーに比べれば持ち合わせている。しかし、そのレベルは高くはない。二十三歳の女性が持ち合わせているレベルの平均点よりも少し劣る。劣る理由は、自分よりも年下と過ごすことが多いからだ。環境が知識に与える影響は大きい。
「ああ、お前に伝えていることもあるが、伝えていないこともある。5チャンネルの書き込みはすべてセキュリティーチームから報告が来ている。上がってきた報告で俺の頭に残っているのは」
支配人イチローは腕組みをして天井を見上げた。
「・北潟が男と駐車場で話をしているのを見た。・北潟が男と同棲をしている。・北潟がオタクと付き合っている。・北潟が男と同じ食事をしている臭わせ写真がツイッターで拡散されている。そんな、報告が本部から上がってきている」
支配人イチローの話を聴きながら、北潟は指を折って数をかぞえていた。
「支配人、そのうち二つは当たっています。それ以外は間違いです」
「わかった。わかった。正解がどれで、不正解がどれであるのかは、とりあえずいい。ボーリング大会の時の写真と、いまが明らかに違うのは、お前たちの知名度だ。国民総選挙でランクインしたメンバーは2016年は三人、2018年は二十二人。あの頃みたいに新潟県内の狭いコミュニティーだけでの話題ではなくなっている。ネットに出回ったフェイクニュースは、おもしろおかしく脚色されて拡散されていく。世界に向けてだ。まだ、北潟の知名度は世界レベルではないが、日本国内レベルにはなっている。2016年の時の数十倍で嘘と真実のニュースが拡散されていく」
支配人イチローはあの時のことがある。と言った後に、あの時とは違うと言い出した。北潟の頭の中は混乱した。
「支配人、それって、どういう意味ですか?」
北潟が眉間にしわを寄せて尋ねる。
「いや、あの」
還暦まであと一年の支配人イチローが、言葉に詰まる。
この後、支配人イチローはどのような態度をとるでしょうか?
(1)とりあえず、あとは俺に任せて、お前は一切の配信をするな。と、たんかを切る。
(2)まずは、お前が理解できるように一から話をしよう。と、丁寧に三時間かけて説明する。
(3)お前は、めんどくさい奴だ、今日で首だ!と怒鳴りつける。
支配人イチローは頭をかきながら、熊のように部屋の中をウロウロと歩き回り、何かを考えている。歩き回る足を止めたのは、狭い部屋を二往復し終えた時だった。
「とりあえず、俺に任せろ。お前は、何を聞かれても、何も答えるな。SNSも、一切の配信をするな。こっちで、なんとかする!」
支配人イチローからの提言を受けた北潟は、数秒間押し黙った後に口を開いた。
「解りました。今日はこれからどうしましょう」
「きょうは、なにもなかったという体で行動してくれ」
支配人イチローからの指示を受けた北潟は、考える間もなく答え。
「はい、解りました。では、失礼します」
北潟はスクッと、立ち上がって、ペコリと支配人イチローへ頭を下げて、出口へ向けて歩き出した。裏導線の廊下はエアコンが効いていない。ひんやりとした空気が廊下へ出た北潟の足元へまとわりついてきた。まとわりついてきた冷気を足かせのように引きずりながら、エレベーターホールに続く暗い廊下を北潟はひとり歩いた。
「去年のあの事件に、わたしは関係していない」
意識せずに口をついた言葉が、人気のない廊下に反響した。
収容人数二百名の劇場は、静寂という環境音で北潟を迎えた。
ステージ背面に設置されたLEDパネルは、黒く影を落として生気が感じられない。ステージ上には立ち位置を示すガムテープが、不規則に貼り付けられている。しょんぼりと灯された作業灯が、北潟の気持ちを代弁するがごとく、立ち位置を示すガムテープにわずかなエネルギーを与えている。
北潟は観客席最前列に腰を下ろした。
そして、回想した。
事件のことは、一か月前の早朝にLINEのグループラインで知らされた。山田真央が男二人に襲われたという内容で、犯人はその場で逮捕されたというものだった。犯人の名前に心当たりはあった。握手会やショータイム、ボーリング大会でも顔なじみの二人だった。ファンの顔と名前、性格や趣味などを記憶することに力を注いでいた北潟は、『あの二人が、そんなことをすることが信じられなかった』何かの間違いだと思った。
当日昼前には支配人イチローから電話があり、「メンバーの数名が事情聴取を受ける必要がある」と、告げられた。
北潟は指定された時間に警察署の裏口前に集合した。そこには他のメンバーの顔も見られた。総勢で何人いたのかは覚えていなかったが、メンバーの半分くらいはいたのではないかと思う。
わたしたちメンバーが、犯人と共犯ではないのかと疑われていたのだ。その理由は、犯人の二人が私たちから指示を受けたと、被害者の山田真央に伝えていたからだ。もちろん、私たちメンバーはそんな指示はしたことはない。警察でも理解され、私たちの疑いは晴れた。
私たちが犯人にしたアドバイスは?
(1)真央のこと好きなら、告白しちゃいなよ。人前だと壁作るから、二人きりになれる空間がいいよ。応援してる。と言っただけ。
(2)絶対に私たちの名前出さなければ、真央の部屋と帰宅時間教えるし、その日は真央と仲のいいメンバー、劇場に引き留めて邪魔させないようにする。と、言っただけ。
(3)真央とハメ撮りして、口封じして。あの子、私たちの邪魔ばかりして、めざわりなの。グループから卒業させたいの。と、言ってしまった。
私たちは犯人から、恋愛の相談を受けていた。
真央とうまくつながるにはどうすればいいかと、犯人の甲から相談を受けていた。
私たちは異性が近くにいる事のすばらしさを犯人が所属するグループから得ていたので、真央ちゃんにもこの気持ちを分け与えたかった。そんな、親切心から、『周りに人の目があると、女の子は壁を作りやすいから、家の中とか部屋の中とかで話したほうがいいよ。そのほうが、本心で話してくれると思う』と、アドバイスしただけだ。さらに、そのアドバイスをしたのは私ではなく、別のメンバーだ。私はグループ交際的に犯人たちと食事をしたり、テレビゲームをしたりしたことはあるが、犯罪に関わることはしたことがない。もちろん、それは自分だけのことで、他のメンバーがどのように行動していたか、すべては把握してはいない。
よって正解は(1)でした。
「あれ、まだ、誰も来ていない」
劇場後方の入り口から若い女性の声がした。北潟は振り返って、声の主を確認した。
「あっ、マリア様」
声の主は振り返った北潟の顔を確認して、声を張った。声の主は山中のえだ。山中の後ろにもう一人女性の姿が見える。
「マリアちゃん、ひとり?」
もう一人の女性は、多尾綾香だ。今回の件で、北潟と同様に共犯が疑われている一人だ。
「あっ、うん」
北潟は生気のない返事をしながら立ち上がった。
「綾香は、大丈夫?」
北潟が自分と同じ境遇に足を踏み込んだ多尾の心中を察する。
「うん?何が?」
多尾があっけらかんと返事をする。多尾はさっぱりとした性格で、過去をひきづらない。
「あー、あれ?真央ちゃんのこと?」
山中が話に割って入る。
「真央のことなら、支配人が何とかするから、任せておけというとったから、気にしてへん」
多尾の答えを聞いて、北潟は『そうね。支配人に任せておいたほうがいいわね』と、気持ちを切り替えた。ポジティブな感情というものは周囲に連鎖される。多尾がグループ内で担っている役割の一つが、陰気を陽気に変える浄化剤的キャラクターだ。北潟も多尾のキャラクターによって浄化されて気持ちが軽くなった。
二十分後に、全メンバーが集合した。いや、足のケガで治療中のメンバー一名と山田真央の姿はなかった。
支配人イチローが集合したメンバーに向けて言葉を発した。
「今回の山田真央の件に関しては、みなさんは一切の発言やSNSでの配信を禁止します。SNSで配信をすると、デマを含めて様々な情報が拡散されていきます。拡散が拡散を読んで、収拾がつかなくなりますので、絶対にしないでください!」
一瞬であるが、参加したメンバー全員が水を打ったように静まり返った。
「あの、真央ちゃんは、真央ちゃんはどうなるんですか?」
メンバーの萩野ゆめが山田の身体を案ずる気持ちで発言した。
「山田は支配人部屋で松田取締役と話をしている。明日の劇場三周年公演で、山田の口から今回の件を謝罪させる。そのあとは、しばらく謹慎だ」
「謝罪って、真央ちゃん何も悪いことしてないですよね?」
萩野ゆめが疑問を口にする。他のメンバーもうなずく。支配人イチローが社会人であり、管理職である立場で説明をする。
「SNSなどで、あのような発言をすると、会社が不利益をこうむります。また、山田本人にも不利益が発生する可能性があります。山田が謝罪をするということは、会社にとっても山田にとっても、有益なことなのです」
支配人イチローの話を、理解できたメンバーは北潟くらいだろう。高校生を中心とした他のメンバーには難しすぎる話だ。
「さー、明日の公演も満員御礼だ。来てくれたお客さんに恥ずかしくないパフォーマンスを観せるため、最後の仕上げだ。三十分後に振り付けの先生がいらっしゃるから準備してくれ!」
支配人イチローの号令で、メンバー全員がロッカールームへ向けていそいそと動き出した。
つづく