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4 追憶

4 追憶


 2016年一月下旬。

 北潟が支配人部屋を一人で訪れたのは、今回が初めてだ。珍しく新潟市内に大雪が降った日で、劇場オープニング公演が終了してから十日ほどが経った寒い日だ。

「支配人、お話があります」

 北潟の声に支配人イチローは「なんだと」と返答した。顔の角度はデスクの上に置かれたノートPCの液晶画面とほぼ平行に保たれている。視線はメール受信画面の送信者名を縦に追いかけている。北潟に視線を合わせないのは北潟が嫌いなわけではない。忙しいだけだ。

「わたしのことが嫌いなんですか?」

 北潟が目を合わせない支配人イチローに対して、感情をあらわにしながら声をあげる。

「いやいや、嫌いじゃないよ」

 支配人イチローはいつものことかと思いながら、視線を北潟の声のする方向へ向けた。LGTのメンバーは二十四名。全員女性だ。そして、左利きが約半数。感情的な女性本来の持ち味と、芸術的直観を大事にする左利きが多く在籍する集合体。それがLGTだ。女性特有の相手との距離感を自分に好意があるかないかで判断する。時間や空間、立場などは二の次、三の次だ。北潟は視線を合わせない支配人イチローは、自分のことが嫌いだと判断した。

「じゃ、どうして、目を合わせてくれないんですか」

「ちょっと急ぎで返信しなきゃいけない、メールがあるんだ」

「そのメールと、私たちグループ、どっちが大事なんですか?」

 女性特有の自分がどれだけ大事にされているかを北潟が問いかける。

「どっちも大事だ」

 支配人イチローが血圧の数値を三つあげながら答える。

「………」

 北潟は黙り込んでしまった。北潟はメンバー内では年齢が高いほうで、聞き分けのいい層に属している。そんな北潟が、ただならぬ空気を発していると感じた支配人イチローは、マウスの上に置かれた右手指先の動きを止めた。

「よし、終わった。話ってなんだ」

 作業は終わってはいなかったが、北潟の熱意を優先したほうがいいと考えた支配人イチローが、あごの先を斜め上へ上げて北潟の目を見つめた。

「パジャマツーリング公演の二曲目と三曲目、それから五曲目、八曲目の私の立ち位置ですけれど、どうして、後列スタートなんですか?」

 パジャマツーリングはLGTが劇場で行っている公演のタイトルだ。北潟は公演内で披露するダンスのフォーメーションについて意見している。

「ああ、あのフォーメーションは俺というか………振り付けの先生に言ってくれ」

 支配人イチローは、フォーメーションに関しては、意見をする立場であったが、最終決定を下す立場ではなかった。

「振り付けの先生から、支配人に言ってくれと言われました」

 振り付けの先生の立場からしたら、支配人イチローの意見を第一義と考えているようだ。支配人イチローは軽く「チッ」と舌打ちをしてから口を開いた。

「北潟はメンバーの中で大人に近い位置なので、理解してもらえると思うので話そう。まあ、中に入れ」

 支配人イチローは、開きっぱなしのドア前で立ったままの北潟を、会議テーブルに設置されたチェアへ座るようにうながした。

「はい」

 北潟は二つ返事で、支配人イチローが目線で指示したチェアへ腰かけた。支配人イチローも北潟の対面へ座った。

「新潟にグループができた経緯は、知っているか?」

「いいえ、よく知りません」

「そうか」

 支配人イチローは、記憶を巻き戻してどこから北潟に話すべきか考えた。そして、話す順番の整理ができたので口を開いた。

「有力候補は札幌だったんだが、行政や地元の企業からの支援が新潟のほうが優れていたんだ。で、どんでん返しで新潟に決まった。新潟にグループを作る条件として、他の都道府県の人に新潟へ足を運んでもらう。や、新潟の良さを日本中にアピールするというのがあった。」

 支配人イチローは五十歳代中盤だ。話が長い。

「そんなこともあって、センターは倉田や佐藤が、なることが多い」

 倉田や佐藤は新潟県出身で、劇場公演で披露される十四曲のうち倉田は四曲、佐藤も四曲センターポジションを務めている。LGTの正規メンバーは十六人いる。十四曲中、八曲のセンターポジションを二人が務めている。

「それなら、私がセンターでもおかしくないですよね」

「えっ?」

「私は東京出身で、東京から私目当てのファンも来てくれています」

「いや、あの」

「うううん。違うの。私が言いたいのはそういう事ではないの」

 女性特有の右脳と左脳が瞬時に情報伝達を行いながら、北潟が感情的に言葉を吐き出す。

「わかった、わかった」

 支配人イチローが片手で側頭部をかきむしりながらいら立つ。そして、理論よりも感性や感情が判断基準として、高い位置を占める左利きの女性が理解しやすいように言葉をシフトした。

「つまり、ビジネスだから金なんだ。お金を稼げる奴が優遇される。または、お金を稼げる可能性のあるやつが優遇される。現段階では俺も総合プロデューサーも社長も、考えは同じで倉田や佐藤がお金を稼げる、または稼げる可能性があると、踏んでいる。だからやつらのポジションがいい位置にいくことが多い」

「お金を稼ぐ人が一番偉いのですか?」

「いや」

 支配人イチローは頭を抱えた。

「北潟も二十歳を超えたから理解できるだろうが、学校で習ったことだけでは社会はまわっていかない。学校で習ったことは基本で、社会に出てから習うことが応用。ルールは守らなければならないは基本で、ルールを守ったうえで次に何をするのかを考えて行動するのかが応用。学校で習ったことを基礎にして、人を喜ばせてお金を稼ぐ。それが社会人というものだ。資本主義社会ではお金を稼ぐ人の立場が上になる。それは理解できるよな」

「はい」

 北潟は肩を落として支配人イチローの話にひとまず納得した。そして力のない言葉を吐いた。

「では、どうすれば私のポジションが上がりますか?」

「それは、まずはファンサービスだ。ファンの心をつかんで、多くの支持を集める。そうすれば北潟がセンターの曲も可能性はある」

「えっ、私がセンターの曲があるんですか?」

「いや、がんばれば、その可能性もあるということだ」

 グループ内でも一番大人の感覚を持った北潟でさえ、この程度の受け取り方しかできない。さらに年齢の低い中学生や高校生では、この何倍もの時間をそそいで説得しなければならない。

「わかりました。ファンサービスがんばってみます」

 若い女性にお金か異性からの支持、どちらか一つを選べといえば、異性からの支持と答える人が大半を占めるだろう。支配人イチローもそんな女性心理を考慮して、お金を稼ぐというワードとファンサービスというワードの二つを使い分けていたのだ。

「ああ、がんばってくれ」

 支配人イチローはホッとした内心を勘繰られないように、激励の言葉を北潟へ送った。

「はい。頑張ってみます」

 北潟は悩み事を打ち明けたためか、入室時に比べてスッキリした表情で支配人部屋を退出していった。

 この時をきっかけに北潟のファンに接する態度が変化していった。

 関東から新潟に共に移住した萩野ゆめや、関西から移住した多尾綾香と共闘を組もうと柔らかい絆を結んだ。女性なので固い絆では結ばれなかった。それは致し方ない。

 北潟は自分を知ってもらうためにショータイムでのコメント返しに力を入れた。

 ショータイムはライブ配信サービスだ。視聴者が配信者にチャット形式でコメントをする。配信者がコメントに対してリアクションを取る。リアクションの方法はコメントを返したり、コメントでリクエストされた表情をしたり、ダンスをしたりがある。短時間で多くのリスナーにリーチするためには、コメントを返す方法が秀逸だ。北潟はコメント返しに力を入れた。有名大学へ進学した知能があることと、女性である特徴、言葉のストックは多く持ち合わせていた。すべてのコメントにコメントを返すことはできなかったが、それでも他の配信者の三倍はコメントを返した。

 疑似恋愛の対象者から返事がもらえる。昔でいうところのファンレターの返事がもらえる。に等しいのかもしれない。ファンからすればこの上ない幸福感が得られる。

 北潟のファンは増えていった。ショータイムでコメント返しをされたファンは、次に生の北潟に触れてみたくなる。握手会への誘因へつなげたのだ。

 北潟の握手会はグループ内でも五本の指に入るほどの人気になった。北潟のファンはいつからか自分たちを【北の家族】と名乗るようになった。もちろん、ファンの集合体の総称だ。グループ名からも理解できるように、家族として皆で応援しましょうというコンセプトのもとだ。そんな総称に行きついた要因の一つは、ファンの年齢層にある。昭和時代のアイドルファンは、アイドルと同世代が多かったが、二十一世紀のアイドルファンは父親や母親世代が多い。四十歳代や五十歳代、ひいては六十歳代のファンも増えている。そんなファン層から【北の家族】と、命名されたことも納得できる。

 彼らの多くは子育てが終わった層や、子供のいない環境で生活しているものが多い。中には疑似恋愛と考えている者もいるようだが、半分くらいは疑似家族。つまり、自分の娘や姪っ子を見るような目線で見ているのだ。

 北潟は自分のファンを増幅させていった。

 増幅されたファンの中には、階級を気にしだすものが表れた。家族の中で兄弟げんかが起こる一歩手前なのかもしれない。そんな状況も北潟はうまく対処した。すべての意見を聞いてファンを納得させた。【北の家族】の団結力は増していった。


「ファンとのコミュニケーションを増していきたいので、メンバーとファンが一つになって対戦するスポーツ大会はどうでしょう?」

 運営会議で若手運営から提案された議題は審議され、身体的接触が少ない競技ということでボーリング大会が行われることになった。

「いいね。それ。よし、それで行こう!」

 支配人イチローも乗り気だ。

LGTは地方都市のアイドルグループだが、養成所のような役割もしている。このグループで有名になって大手の芸能プロダクションへ移籍する。そして、女優やタレント、歌手としての一歩を踏み出す。大手の芸能プロからすれば、宣伝費や育成費が必要ないので有益なシステムだ。LGT側からしても、育成したメンバーを移籍させて移籍金で利益が得られるので、ビジネスモデルとしては成り立つ。

「抽選で参加者決めますか?」

 若手運営スタッフが、参加するファンの選定をどうするか支配人イチローに尋ねる。

「いや、初回だから、メンバーにドラフトみたいな感覚で選ばせてもいいな」

 支配人イチローは、右手親指の先と人差し指の先であごをつまんだ。

「ドラフト制と言いますと?」

 運営スタッフが前のめりで尋ねる。

「まず、参加希望者は、専用フォームで応募する。応募者のリストから、メンバーがこのオタクと組みたいというオタクがいた場合は優先的に採用する。いなければ、俺たち側で抽選する」

 支配人イチローの返答に、若手運営スタッフの浅はかな知識がゆれた。

「それって、出来レースというんでしたっけ?」

 若手運営スタッフの言葉に、一瞬息を止める支配人イチロー。

「いや、そうともいうが。いいか、厳正な抽選で選んだ奴が、メンバーに危害を加えそうなやつだったらどうする。俺たち運営の人数も限られている。そんな奴からメンバーを守り切れるとはいえないだろう。そんな状況を招かないためにも、顔見知りでメンバーが納得するオタクを当選させるほうが安全だ」

「なるほど。さすが支配人、目の付けどころが違いますね」

「まーな。俺くらいになると、あれが、あれなんだよ」

 あれが、あれという年配者特有の適した言葉が出ない状態の支配人イチローであったが、新潟の地方都市では温かみのあるキャラクターとして親しまれていた。


 ボーリング大会は地元テレビ局で録画放送された。

 画面にはメンバーが選出したオタクの姿が映し出されていた。北潟の組には【北の家族】の中でもやんちゃで知られる四人の姿があった。


 ボーリング大会は無事終了した。北潟のチームは三位に入賞した。レンタルしたボールをストック棚へ戻すときに、同じチームだった丙が北潟へ話しかけた。

「このあと、三位入賞祝いで、打ち上げいかないか」

「えっ?」

 北潟は耳元で男性の声を感じるのは久々だった。

近くで感じる男性の体臭は、心地よく感じた。

 汗臭い男性の体臭が受け入れられないという女性は多く存在するが、北潟もそのうちの一人だ。しかし受け入れられない体臭と、受け入れたい体臭があることに北潟は気づいていた。大学時代の先輩から聞かされた説によると、自分の父親と同じ体臭は受け入れられないという。これは、近親相姦を防ぐためといわれている。

 北潟が嗅覚に感じた体臭は、父親とは違う臭いだ。心地よいと感じる。

「あっ、ちょっとなら」

 北潟は小声で誰にも聞かれないように答えた。

「俺たち、四人だから、そっちも他のメンバー誘っていいよ。駅前のサイゼリアで待っている」

 男の言葉に無言で北潟はうなずいた。


 翌日夕方、本部のセキュリティー班から支配人イチローへ連絡メールが入る。セキュリティー班はネットを中心にメンバーや会社の書き込み記事を監視する業務を担っている。

“五チャンネルにメンバーの北潟、萩野、多尾の三人と男性四人が食事をしている姿の目撃情報アリと書き込みがされている”“同じく、写真もあり”

「あいつらー!」

 本部セキュリティーチームからのメールを読んだ支配人イチローは、苦虫をつぶした表情で、スマートフォンから北潟の電話番号を検索した。プップップッという呼び出し音を聞きながら、支配人イチローは北潟にどう話すべきか考えた。

(1)感情的に怒鳴りつけて、支配人部屋へ呼びつける。

(2)猫なで声で優しく話し、どうしてそのような状況になったのか確認する。

(3)まずは、食べた料理の感想を確認してから、今度俺ともその店へ行こうという約束を取りつける。

「はい、もしもし、支配人どうしたんですか?」

 北潟は三コール目で電話に出た。

「おまえ、昨日の夜。ボーリングの後に、どこで、何をしていた!」

 支配人イチローの声は支配人部屋のあるフロア全体に響き渡った。支配人イチローの発する熱量が原因であるのかは判らないが、オクターで仕切られた壁がミシッと音を立てて揺れた。

「何を怒っているんですか?」

 動揺する北潟の話が終わることを待たずに、支配人イチローは口を開いた。

「お前らとオタクがメシを食っている写真が5チャンネルにあがっているんだ。服装からして、昨日の夜の写真であることは間違いない。とりあえず、劇場へ来い!」

 動揺する北潟の返事を聞く間もなく、支配人イチローは電話を切った。

 正解は(1)だった。

 一時間後に劇場へ到着した北潟に、支配人イチローはスキャンダルの怖さを伝えた。幼馴染とのツーショット写真一枚で、トップから滑落したアイドル。交際していた男性からベッドで添い寝する写真を流出させられて、違約金で四億円を支払わされた女優。週刊誌の記者にのせられて、事実と違うことを口走り、フェイク記事を拡散してしまったバラエティ女優。そのすべてが火のある所から立った煙だった。ほんの火遊びのつもりであったが、本人の意思とは違った方向に炎上していってしまった。

 恋の発火点のつもりが、人生の大火となり、細々と暮らす元芸能人の話もした。

 北潟の反応は。

(1)反省して、今後二度と同じようなことはしませんと始末書を書くことを提案した。

(2)わたしのどこが悪いんですか!と、開き直って支配人イチローにかみついた。

(3)その写真に写っているのは自分ではないと、否定した。

「そうですよね。そんなことにもなりかねませんよね」

 北潟は支配人イチローの話を素直に聞き入れた。

「始末書、書きましょうか?」

「いや、そこまでする必要はない。本部には俺からうまくいっておく。ただ、ネットに載ったものは、消せないからそのつもりでいろ」

 支配人イチローはきつめのトーンで北潟に警告を与えた。

「はい」

 北潟は反省を表現する低いトーンで短く返事をした。

 正解は(1)だった。

 そして、支配人イチローの発言も正解だった。

 5チャンネルにリンクを貼られた写真はネットの中に拡散されていった。しかし、不幸中の幸いだったのは、LGTが全国区になっていなかったため、大炎上とまではいかなかった。新潟のファンの中で小さくくすぶるボヤ程度で収まった。

 鎮火を補助したのは【北の家族】だった。ネットの中には、

“われらがマリアさまがファンと私的交流をするわけがない”

“これは、たまたま同じレストランで食事をしていただけの写真”

“ボーリング大会の前の作戦会議じゃないかな~”

“この写真、顔がよくわからないから本人ではないと思う”

“その日は写真のメンバー三人は俺の部屋にいたからこの写真の三人は別人”

等、事実もあれば、大きく歪曲された嘘の書き込みまで、北潟を擁護する内容があふれた。

「ここまで、信じてくれるファンはありがたいな」

 北潟はファンとのコミュニケーションを頑張ってきたかいがあったと、心の中で謙虚にガッツポーズをした。もちろん、左手で。



つづく

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