(1)1 わたし、新潟の人になる
1 わたし、新潟の人になる
2015年8月。
大学を一年と四ヶ月で中退して、新潟の土地へ移り住んだわたしは十九歳だった。
西へ向かう車両形式より型遅れの車両。座り心地は劣化のせいなのか、快適とは言い難い。
県境の長いトンネルを抜けると、新緑が目に飛び込んでくる。生命力が配色されたまぶしい山々の景色が、東京で生まれ育ったわたしの目には新鮮に映った。山脈を抜けると車窓の景色は田園に変わる。風になびく稲穂の緑、そして青い空と白い雲のコントラストが、裸眼では確認できないほど遠方まで敷き詰められている。都会で生活する人であれば、日常から逃避できる心休まる景色として胸に刻まれるのだろうが、芸能界という華やかな世界にあこがれるわたしの目には、単調で退屈な景色に映った。二十分前には新鮮に映った景色が単調に感じられてしまう。十九歳のわたしの感情が短時間で真逆へ移動してしまうことは、珍しいことではなかった。
「この稲穂がもう一回緑に彩られるころには、東京にもどりたいな」
わたしはどこまでも敷き詰められた稲穂の端てに存在する街から、一年後には栄転というティアラを身につけ、華の都東京へ凱旋する未来予想図を胸に抱き、新幹線のシートひじ掛けに埋め込まれた円形のボタンを押し込んだ。突起部分がひじ掛け内に押し込まれて、背中から上半身の体重を預けていたシート背面が、ゆっくりとわたしの背中を押し戻す。シートは音を発てずに起こされた。
「よし、やるぞ!」
お盆のシーズン前、夏の上越新幹線は乗車率七十パーセントであったが、目的地の新潟駅一つ手前の燕三条駅を過ぎた車内の乗車率は十パーセント。わたしが小さな声で発した決意表明を耳にした人は何人いたのだろうか。
車輪がレールをひっかく音が、ぎこちなく車内に響く。
つづく