ブリジットには敵わない
純白のウェディングドレスに身を包み、王城のバルコニーから国民に向かって手を振る女神のように美しい女性。
ブリジット・エル・スペーシア゠ガザイン。
今日、このガザイン王国の王太子妃となった女性。
そして———曽て私の親友であった。
彼女と私———クロエ・ボルトーが出会ったのは、去年まで在籍していたサンチュア高等学園でのことだった。
サンチュア高等学園はこの国の中でも最高峰の高度な教育が受けられる学校で、入学するためには厳しい選抜試験がある選ばれし者しか入れない学校である。
私はボルトー伯爵家の三女として生まれ、華やかな美人の姉2人に比べて容姿は劣るが、人よりは何でも少し上手くできる要領の良い子供だった。
正直言って、サンチュア高等学園を受験したのも周りから煽てられて何となく決めたことで、高い目標や崇高な志があったわけでもない。
そして多少努力はしたものの、難なく学園に受かることもできた。
サンチュア高等学園に子供が入学したというのは親からすれば大変自慢できることらしく、両親は私の合格を泣いて喜んだ。
私からすれば、学園に行ったからといって何なの?くらいな感じで冷めた目で両親を見ていたけれど、周りから褒められること自体には悪い気はしていなかった。
特に幼い頃から私の容姿を馬鹿にしていた姉2人の口惜しげな顔を見られたことは私の溜飲を大いに下げた。
今から思えば、その当時の私にとっては『サンチュア高等学園に受かること』が人生のゴールになっていたのだろう。
なぜなら学校を卒業した今———私の中は空っぽだから。
◇◇◇
サンチュア高等学園の入学式。
隣の席に座ったのがブリジット・イスメニアだった。
私のブリジットを見た第一印象は、《絶世の美少女》だった。
光を纏ったような金色の髪に蜂蜜のように甘い瞳、陶器のように滑らかな白い肌に整った形の鼻と口。
それらのパーツが小さな顔にバランスよく収まっている。
姉たちも美人だと思っていたけれど、これはレベルがまるで違う。
その美貌に驚いたのは私だけではないようで、みんながブリジットを見て振り返っている。
そんなブリジットと並んで座っている自分が急に惨めに思えて、早く席を立ちたい衝動に駆られる。
だが無情にも、ブリジットとは教室でも隣同士の席となってしまった。
みんながブリジットに話しかけたくてソワソワしている中、私は必死に存在を消した。
いや、そもそもそんなことしなくても誰も私なんか視界に入っていなかっただろうけど。
出来るだけブリジットには関わらずに学園生活を送ろうと思ったのだけど………。
何の因果かブリジットとは実習グループも一緒、委員活動や係も一緒、極め付けは3年間同じクラス。
これで交流するなという方が無理だった。
それに、ブリジットは何というか、初めに受けた印象とは全然違う子だった。
まず、物凄く要領が悪い。
何をするにも人より上手くできない。
それから、気さくな人柄。
完璧な淑女かと思いきや意外に毒舌だったり、冗談を飛ばしたりするタイプだった。
しかしブリジットは容姿以外にも類稀な才能の持ち主だった。
それは———『努力の才能』だ。
何においても人より上手くできない分、人の倍頑張る。
もともとはサンチュア高等学園に入るほどの成績でなかったにも関わらず合格できたのも、ひとえにこの『努力の才能』のおかげだった。
そんなブリジットを私は段々好きになったし、ブリジットも私にはすごく心を許してくれていたように思う。
というよりブリジットと仲良くなりたいと思う人はたくさんいたけど、ブリジットは私以外の人を何故か受け付けなかった。
もちろん周りから見れば私は美しいブリジットの周りをウロチョロする金魚の糞くらいの認識だったけど、それでも別に良かった。
そう思えるくらいブリジットと過ごした日々は楽しかったから。
だけど、そんな私とブリジットの関係にヒビが入り始めたのは3年に上がってからのこと。
私が恋をしたことが原因だった———。
◇◇◇
私が恋した相手———アイザック・ビスマインは公爵家の令息で、眉目秀麗で成績優秀、さらに剣術の腕も立つという完璧人間で本来ならば私と交わるような人種ではない。
それは入学してから半年ほど経った時のこと。
お昼時間の食堂で、私がブリジットと仲が良いことを妬んだ女生徒にすれ違いざまに紅茶をぶっかけられてしまった。
———パシャッ
「きゃあ!ごめんなさい!わざとではないのよぉ〜」
ごめんなさいという割にはやけにニヤつきながら謝る女生徒の顔を無感情で見ていると、女生徒は俄かに焦りだす。
「な、何よ?言いたいことでもあるの?」
「……それが謝っている人の態度ですか?」
私は呆れてつい思ったことが口から出てしまう。
「はぁ?謝ったでしょ?これ以上言い掛かりつけるつもり?」
何と驚くべきことに女生徒は逆ギレをしてきた。
私が言い返そうとした、その時。
「……悪かったと思うならハンカチくらい出したらどうだ?」
そう言って私にハンカチを差し出したのは黒髪に深緑の瞳、目を瞠るほど美しい顔立ちの男子生徒だった。
さっきまで私に逆ギレをかましていた女生徒は、急に現れた美男子の一言に目を白黒させている。
「……どうもありがとうございます」
私がお礼を言ってハンカチを受け取ると、美男子は私の背中に手を添える。
「人にお茶を掛けておいて口先だけ謝って手助けもしない常識知らずは放っておいて、すぐに着替えに行こう」
常識知らずと罵られて顔を真っ赤にして俯いた女生徒を置いて、美男子は私をその場から連れ出す。
「あのー、ありがとうございます。もう大丈夫ですから」
食堂を出てしばらく歩いたら、私は美男子にお礼を言ってその場を去ろうとする。
「いやいや、ちょっと待ってよ。衣装室はそっちじゃないよ」
サンチュア高等学園には着替えが必要な時のための衣装室があり、替えの制服なども準備されている。
「いえ、別に着替えなくても構いません。放っておけば乾きますし、午後の授業がもうすぐ始まってしまいますから」
「汚れた服のままの君を放っておけないよ。俺が気に病んじゃうから、俺を助けると思って衣装室に行ってくれない?」
そう言って美男子は私の手を引いて衣装室まで連れて行った。
それがザック———アイザック・ビスマインとの出会いだった。
◇
ザックはそれからも何度か嫌な目に遭っている私を助けてくれたり、廊下ですれ違うときに気軽に話しかけてくれたりして、私にとっても心を許せる友人の一人となった。
私がブリジットと仲良くなってから、私に友好的に近づいてくる人の殆どがブリジット狙いだった。
最初は親しく話しかけてくれる人に対して私も友好的に返していたけど、まるでブリジットに辿り着く通過点のような扱いを幾度となく受ければ嫌でも受け口が狭くなる。
そのうちに私はブリジット以外の友達を作ろうともしなくなった。
そんな中でザックは、私一人の時でもブリジットといる時でも変わらず接してくれるし、助けてくれても対価を要求してこない。
そんなことが続くと必然的に私も心を開いていった。
そしてそれが恋に発展するのもまた必然で。
「クロエはアイザックのことが好きなの?」
突然ブリジットにそう聞かれた日。
私は狼狽えた。
「えっ……え?私がザックを好き?……まっさかぁ!」
白々しく否定するもブリジットは満面の笑みで。
「違うの?ふぅん?私はアイザックとクロエ、お似合いだと思うけどなあ?」
ニヤニヤしながらそんなことを言うブリジットに、私は上手く笑顔を返せない。
「……お似合い?冗談でしょ。私なんて身分も容姿も能力も何一つ釣り合わないわ」
私が声のトーンを落としてそう言うと、ブリジットは眉尻を下げる。
「そんなことないわよ!クロエは本当に素敵な子だから……。アイザックもクロエの良さをよく分かってると思うけどな?」
正直、ブリジットに褒められたって微塵も自信を持てないし嬉しくはないんだけど。
でも気を遣ってくれただけでも有難いことで。
「ふふ。ありがと。まあ、これも青春の1ページよ!淡い恋は永遠に心に閉まっておくわ」
「戦う前から逃げ出すなんてもったいない!勝算は十分あるよ!」
ああ、ブリジットは今まで戦って勝ってきた成功体験があるのね。
私は今まで要領良くこなして来ただけで、死に物狂いで努力して何かを成し遂げたことがない。
だから、努力した後に失敗するのが怖いのだ。
だから、努力する前に投げ出してしまおうとするのだ。
「勝算って言ったって……何をすれば良いのか」
「そうね……まずは遊びに誘ってみる、とか?遊びがハードル高ければ勉強を教えてもらうとか」
ブリジットに指南してもらった通りにザックに勉強を教えて欲しいとお願いしてみたところ、拍子抜けするぐらいにあっさりOKをもらえた。
ちょうど定期試験を1ヶ月後に控えていたから、毎日放課後に図書館で勉強を教えてもらえることになった。
ザックは成績優秀だけど教え方も上手くて、今まで分からなかったことがすいすい頭の中に入ってくるような感覚がした。
それに、何だかすごく優しい。
私が頓珍漢な質問をしたって苛々せずに丁寧に教えてくれるし、何なら正解したら頭を撫でてくれたりして。
私みたいに恋愛耐性のない女にそんなことしちゃったら、そりゃ簡単に勘違いするでしょ。
そして私は馬鹿みたいにこの恋に期待を抱いてしまった。
その学期末、私は入学してから最高位の成績を取ったのだった。
◇
3年に上がり、しばらくは2年までと同じようにブリジットと一緒に過ごしていた。
ところが1学期の途中あたりから、ザックが暇があれば私たちの教室に来るようになった。
ザックもブリジットと同じで割と人を遠ざける傾向にあるから、最初は単純に友達として私たちと一緒に過ごしたいのかなと思って気に留めていなかった。
だけど一緒にいる時間が増えると段々と……今まで見えなかったものが見えてくるもので。
とある移動教室の途中、廊下でばったり会ったザックと一緒に歩いていると、ブリジットが「忘れ物をしちゃった!」と言って一人教室に戻ったことがあった。
そして気づいてしまった———ザックがいつまでもブリジットの後ろ姿を見つめる眼差しに。
それから何度となくザックがブリジットを見つめている場面に出くわせば嫌でも分かる。
ああ、そうか。
ザックはブリジットが好きなんだ———。
そりゃそうだ。
ザックほどの美男子と私みたいな冴えない女がどうこうなんて初めからあり得なかったんだ。
少し優しくされたからって勘違いしてしまったけど、想いを伝える前で良かった。
今なら私が一人で勘違いの羞恥に悶えるだけで、まだ痛手は少ないと言える。
はぁ〜危なかった。
私はそうして、この想いを永遠に封じることに決めた。
◇
「ね。もうすぐ卒業だけど、アイザックに告白しないの?」
何も知らないブリジットは、あれからもちょくちょく私にザックにアプローチするように迫ってきた。
しかしザックの想いを私が勝手にバラすわけにもいかないので、いつものらりくらりと躱していた。
「しないよー。するわけないじゃん」
「何でよー?絶対上手くいくと思うけどな」
悪気なくそういうことを言ってのけるブリジットには正直辟易していた。
他でもない彼女の口からそんな風に言われるたびに、私の心は少しずつ引き裂かれていく。
もちろん、その理由を彼女は知らない。
知らないから苛立ちをぶつけることもできない。
八方塞がりな私が取る行動といえば、『逃げる』一択だ。
いつでも真正面から立ち向かえるブリジットのように、私は強くないのだ。
そうして、徐々に私はブリジットと距離を取るようになっていった。
ブリジットは私が何となく避けていることに気づきながらも、何も言わなかった。
ただ眉尻を下げて哀しげな顔をするだけだった。
もちろんザックとも距離を取った。
試験前に一緒に勉強をとザックから誘われたりもしたけど、断った。
「ブリジットが勉強分からないとこあるって言ってたよ」
と親切に助け舟まで出してあげた。
その後、ザックがブリジットに勉強を教えてあげたかどうかは知らない。
私はアフターフォローまで請け負えるほど心が広くないんだ。
こうして私はブリジットとザックと適度に距離を置きながら卒業を迎えようとしていた。
◇◇◇
サンチュア高等学園では、卒業式の一週間前に卒業パーティーが開かれる。
これから社交場に出ていく卒業生のための最終授業みたいな意味合いもあり、かなり本格的に行われる。
特にサンチュア高等学園は国一番の名門校であり、過去の卒業生には王族や高位貴族など錚々たる顔ぶれが並ぶ。
そのため卒業パーティーは王宮の舞踏ホールを貸し切って行われ、それはそれは華やかで豪華なパーティーとなる。
卒業パーティーではエスコートが必須のため、婚約者のいない私は父にエスコートをお願いすると二つ返事でOKをもらった。
サンチュア高等学園の卒業式に参加できるなんて夢のようだと大喜びだったから、まあ親孝行にはなったのかもしれない。
ちなみにブリジットも父親のエスコートで参加するらしいと聞いた。
ザックはブリジットを誘えなかったのか。
心のどこかでホッとする自分がいる。
「最後だもの。一緒に踊りましょ?」
「何言ってるの?ブリジットと踊りたい人なんてごまんといるのよ」
「私が踊りたいのはクロエだけよ」
卒業パーティーの前日、ブリジットがそんなことを言ってきた。
何だか泣きそうな顔してそんなことを言うものだから、私は「分かった」と返事をした。
ブリジットは嬉しそうに微笑んだ。
◇
卒業パーティー当日。
私は父のエスコートで入場する。
軽く会場を見回していると、向こうからブリジットが手を振りながらやってくる。
ブリジットは薄桃色のふんわりとしたドレスを身につけており、まるで春の妖精のようだった。
「わあ!クロエ、すごく綺麗よ!」
「綺麗なのはあなたよ。みんなあなたに見惚れてるわ」
恥ずかしいことに私の父もさっきからあんぐりと口を開けたままブリジットを凝視している。
その場でお互いの父親を紹介しあって、後でダンスを踊ろうと約束してブリジットは一旦その場を離れていった。
しかし音楽が鳴り始めて、みんながダンスを踊り出してもブリジットは姿を見せなかった。
少し待ってみたけど現れないブリジットに何となく不安を感じて、私はブリジットを探すことにした。
「ねえ。ブリジットを見なかった?」
私は特に親しくもしていなかった同じクラスの人を見つけては、ブリジットの行方を聞いた。
しかし、みんなブリジットを見ていないと言う。
4、5人に声をかけた後、やっとブリジットを見かけたと言う人に出会った。
「さっき化粧室で見たけれど。ダンスが始まる前よ」
ありがとう、とお礼を言って私は化粧室に向かう。
しかし化粧室を開けてみたが、ブリジットの姿は見当たらない。
もしかしたら、途中で気分が悪くなったのかも。
そしたら休憩室で休んだりしているのかもしれない。
そう思った私は、卒業生のために解放されている休憩室に向かう。
休憩室の扉をノックし、そっと扉を開けてみると———
目に飛び込んできたのは、ザックの腕に抱かれ胸に顔を寄せるブリジットの姿だった。
扉が開いたのに気づいたザックがこちらを向き、私の姿を見て目を見開く。
「…………クロエ」
ザックのその言葉に、ブリジットは顔をバッと上げる。
ブリジットの瞳には涙が浮かんでいるようだ。
「クロエ!これは……「邪魔してごめんなさい!」
私はブリジットの言葉を遮って、私は慌てて扉を閉めた。
心臓がバクバクと胸から飛び出しそうなほど大きな音を立てている。
すぐに踵を返してその場を去る。
ドレスで全力疾走など淑女のすることではないけれど、私は裾をたくし上げて走った。
そうしなければ、すぐにでも泣き崩れてしまいそうだったら。
私は会場に戻ると、父に「気分が悪くなった」と告げて早々に帰宅した。
家に帰ってベッドに沈み、枕に顔を押し付け嗚咽を殺して一晩中泣いたのは言うまでもない。
◇◇◇
卒業パーティーの翌日、私は学校を休んだ。
泣き腫らした顔が酷すぎて人前に出られる状態ではなかったからだ。
そしてさらにその翌日、私は登校したがブリジットともザックとも一言も話さなかった。
さらにその翌日の放課後。
「クロエ、お願い。話をしたいの」
懇願するように眉を下げるブリジットを一瞥して、私は席を立つ。
「私は何も話すことはないわ」
帰ろうとする私の制服の裾をブリジットは引っ張り、引き留めようとする。
「お願い……ちょっとだけで良いの」
はぁ……一体何なのよ。
ただでさえ惨めな不満をぶつけないよう制御するのが大変なのに、さらに惨めな思いをさせたいのかしら。
「ごめん……無理。これ以上は冷静でいられないから止めてくれる?」
私がそう言うと、ブリジットは露骨に傷ついたような顔をする。
なぜあなたが傷つくのよ?
傷ついたのは私でしょ?
ブリジットのその顔を見て、私の頭の奥でプチッと何かが切れる音がした。
「あのさ……。私が振られるのを分かってて、告白しろとけしかけるのは楽しかった?陰ではいつも2人で私のことを嘲笑っていたの?あなたは何でも持っているのに、何にも持たない私のことをどうしてそうやって踏みつけることができるの?」
「ちが……違うの。ごめんなさい……」
何が違うのよ。
違うならどうして謝るのよ。
クラスに残っている人が、何事かと私たちの様子を窺っている。
私って、何て惨めなんだろう。
私は無言でその場を立ち去った。
今度はブリジットは私を引き留めなかった。
それから、私たちは一言も話さぬまま卒業を迎えた。
◇◇◇
あれから一年ほど経ったとある晴れた日。
ブリジットはこの国の王太子妃となった。
卒業式が終わった後すぐに王太子殿下とブリジットとの婚約が発表され、その一年後の今日、正式に王太子妃となったのだ。
あの卒業パーティーの日にブリジットとザックの間に何があったのかは知らない。
本当はザックと想い合っていたのに政略的に王太子殿下と婚約させられてしまったのかもしれないな、とは考えるものの、私にはもう関係のないことだ。
私は学園を卒業してから、何となく受けた官吏試験に合格し、王城で経理の仕事をしている。
別に経理の仕事が好きなわけでも、何か目標があって働いているわけでもない。
ただ何となく、せっかく学園を卒業したのだから良いところに就職した方が良い、という周りの声に流されてここにいるだけだ。
それで今日は王城職員として王城の外から王太子夫妻の結婚を祝っているというわけである。
遠くから見るブリジットの笑顔は、王太子殿下と無理やり婚約させられたにしては眩しいほど輝いている。
まあ何にせよ、彼女が幸せなら良いんじゃないだろうか。
王太子夫妻のお目見えが終わり、私たちはそれぞれの職務に戻る。
高位貴族の方たちはこの後王宮で婚礼パーティーに参加するのだろうが、私はただの伯爵令嬢なので関係ない。
変わり映えのない日常の変わり映えのない仕事をこなして、いつものように家に帰るだけだ。
部署に戻り仕事を始めてしばらく経った頃。
同僚の女性が困惑した表情で私に話しかけてくる。
「クロエ……。入り口に、あなたを呼んで欲しいという方が来てるんだけど」
私に来客があると言う。
入り口に向かうと、しゃんと姿勢を正した王宮の侍女服を身に纏った女性が立っている。
「あなたがクロエ・ボルトー様でいらっしゃいますか?」
「ええ……私がクロエ・ボルトーです」
「失礼いたしました。私は王宮で侍女長を任されております、シュライン・ターナーでございます。本日はクロエ様をこちらにご案内するよう依頼を受けて参りました」
王宮の侍女長?
そんな地位の高い方が私をどこに案内するというの?
「あの……どなたの依頼ですか?」
「………王太子妃殿下でございます」
ブリジットが?
……今さら……一体なぜ?
「王太子妃殿下は、ご友人のクロエ様にぜひ婚礼パーティーに出席して欲しいと仰っています」
「え?……でも、私はそのような用意は何も……」
「全てこちらで用意がございます。クロエ様には身一つで来ていただければ結構です」
仕事が……と思ったけど、王太子妃殿下からの要請とあれば上司も断ることができず、私は快く送り出されたのであった。
◇
「こんなもの、私が身につけてもいいのでしょうか……?」
客間に通されると、そこにはトルソーに掛けられた肩から胸元までがざっくり開いたチューブトップ型の深緑と銀色のツートンドレスと、零れ落ちそうなほど大粒のダイヤモンドのネックレスとイヤリングのセットが飾られている。
「ええ!ブリジット妃殿下がクロエ様のために手ずから選ばれたのですよ」
王宮の侍女たちにより、さすがの手際でドレスを着付けられ、ヘアメイクが施される。
普段は露出の少ないドレスばかりを着るため、肩や胸元が開いているのはどうも心許ない。
というより、私のような地味ブスのこんな華やかな格好を誰が見たいと思うだろうか?
「クロエ様はお肌が綺麗でいらっしゃいますね!」
侍女たちが気分を盛り上げるために掛けてくれる言葉も、私にとっては羞恥を煽るだけだ。
特に褒めることがない場合、人は肌を褒めると言うけど本当だったわ。
「わあっ!お綺麗です!」
メイクが終わり侍女たちが手鏡を渡してくれるが、まともに自分の顔が見られない。
視線を外したまま「わー、本当だ〜」と気のない返事をして手鏡をさっさと伏せる。
凄腕の王宮の侍女さんたちの時間を、私なんかに取らせて申し訳ないという気持ちしか湧いてこない。
全ての準備が終わった頃を見計らって、再び侍女長が客間を訪れる。
「クロエ様、それでは会場にご案内いたします」
案内された先は、卒業パーティーが開かれたのと同じ舞踏ホールだった。
正直言って卒業パーティーに良い思い出は全くない。
胸の奥がツキリと痛む。
特に知り合いもいない会場の中、私は後ろの端っこを陣取って壁の花と化す。
出席者は私のことなんかまるで視界に入っていないように各々の知り合いと話に花を咲かせている。
これだけ高価な装備を身につけても、着る人が地味なら存在を消せるのだなと自嘲する。
「王太子殿下、王太子妃殿下の登場です!」
大声でアナウンスがかかり、奥の扉が開く。
白の正装に身を包んだ王太子殿下と腕を組んで、白のウェディングドレスを身に纏ったブリジットが入場してくる。
会場は温かい拍手に包まれる。
やがて音楽が鳴り始め、王太子夫妻のダンスが始まる。
ブリジットも美しいが、王太子殿下の美丈夫ぶりも凄まじい。
フロアの中央で踊る二人は、まるでオルゴールの上を舞うビスクドールのようだ。
王太子夫妻の一曲目のダンスが終わり、出席者もダンスに参加し始める。
王太子夫妻は二曲目も変わらず踊り続けている。
当然私にはダンスの誘いがあるはずもなく、壁の側に立ち続けている。
同じ会場にいるのに自分と目の前には明確に線が引いてあって、まるで異世界を覗いているみたい。
王太子夫妻が三曲目を踊り出したのを見届けて、私は2階へ上がりバルコニーに出る。
はぁ、と溜息をつくと口から白く暖かい空気が上がる。
今日は日中よく晴れたから、夜は冷えているようだ。
バルコニーの手すりに頬杖をつき、階下の庭園を眺める。
「何でこんなとこにいるんだか」
思ったことが口をついて出た、その時。
「クロエ」
後ろから声をかけられ、振り返る。
そこには黒髪に深緑の瞳の———私が一番会いたくなかった人が立っている。
ザックは私の顔を見て、苦笑いを浮かべる。
「そんなに露骨に嫌な顔するなよ」
「……だってあなたにだけは会いたくなかったんだもの」
私は嫌だと思う気持ちを敢えて隠さなかった。
だってすぐにでもここを立ち去って欲しいから。
だけどザックは立ち去るどころか近づいてきて、自分の上着を脱いで私の肩から掛けた。
「……要らないわ。もう帰るから必要ない」
私は上着をすぐに脱いでザックの胸に押し付け、その場を去ろうとする。
しかしザックは押し付けられた上着ではなく私の手首を掴み、真剣な眼差しを向ける。
「クロエ。好きだ」
前置きもなく突然ザックの口から出た言葉に、私は呼吸を止める。
「……ずっと好きだったんだ。クロエのことが」
……ずっと?
意味が分からない。
だって、私は知ってる。
ザックがずっと好きだったのはブリジットじゃない。
「……何を言ってるのか分からない。あなたが好きなのはブリジットでしょ?」
「違う」
「違わないわよ。知ってるもの……あなたがずっとブリジットを見ていたこと」
「それは」
「今さら私と仲良くしたって、ブリジットには近づけないわよ?私はもうブリジットと親しくしていないし……彼女はもう王太子妃なんだから」
そう、ザックも同じ。
他の人たちと同じ。
ブリジットに近づくために、私と仲良くしたかっただけ。
ザックは眉間に皺を寄せると、私の手首をグッと引っ張って肩を抱き寄せる。
「良いから、聞け。俺がブリジットを見ていたのは、彼女を護衛してたからだ」
……護衛?
私がザックの顔を見上げると、ザックは深緑の瞳を細めて私を見下ろす。
「……俺たちが3年に上がる時、ブリジットが王太子殿下の婚約者に内定した。まだ内定の段階だから公にはできなかったんだが、どこからかリークされた情報を拾った貴族がブリジットのことを狙ったんだ」
「狙う?……ブリジットから王太子妃の座を奪うために?」
「そうだ。ブリジットを害して王太子妃から追い落とそうとする奴らがいた。まだ内定の段階で公にしていなかったから、あからさまに護衛を増やすわけにはいかないだろ?だから白羽の矢が立ったのがブリジットと同学年の俺だったわけ」
ザックが私たちの教室に来るようになったのが3年に上がった頃だった。
確かに辻褄は合う。
「いかにも護衛みたいな動きをするわけにもいかないから、じっと見守るみたいな形になっちゃったんだけど……。そのせいでクロエに誤解を与えてしまった」
「そんな事情があったなんて知らないもの。……それなら、教えてくれれば良かったじゃない」
私がそう言うと、ザックは眉を下げて黒髪をクシャッと掻き回す。
「……だってお前、俺とブリジットをくっつけようとしてただろ?クロエが俺のこと何とも思ってないのに、誤解を解こうとするのは格好悪いよなと思って……」
ザックとブリジットをくっつけようとしたのは私としては善意の行動だったけど、それがさらにザックに誤解を与えてしまっていたのね。
「そしたらクロエに避けられるようになって。ゆっくり話す時間も取れないまま、ブリジットへの攻撃が頻発するようになってしまったんだ」
私が2人を避けている間に、ブリジットが怖い目に遭っていたなんて全く知らなかった。
自分の愚かさに憤り下唇を噛むと、ザックの親指が私の唇に触れる。
「……卒業パーティーの日。本当はクロエに告白するつもりだった。ダンスを申し込んで、告白して、婚約を申し込もうと。……だけどブリジットが化粧室に行ったタイミングで、刺客に襲われてしまった。刺客はすぐに取り押さえたんだがブリジットの目の前で自害してしまってね。そのショックで、ブリジットがかなり動揺してしまった。……それで、休憩室で落ち着かせていたんだ」
その瞬間に運悪く、私が休憩室を訪ねたというわけ……。
「クロエは一瞬しか部屋を見てないから俺たちが2人きりで抱き合っていたように見えただろうけど、あの部屋には他の護衛や従者もいたんだ。あの時もブリジットが泣き出してしまったから背中を摩っていただけで……本当にブリジットとは何もないんだ」
ザックは悲しげに目を伏せて溜息をひとつ吐く。
「あの後クロエを追いかけたけど会場にいないし、ブリジットはクロエと踊りたかったって言ってさらに号泣しちゃうし、プロポーズできなかったどころか最悪な誤解を与えちゃうし……ほんと、散々な卒業パーティーだった」
散々な卒業パーティーだと思っていたのは私だけじゃなかったんだ。
あの日、世の中で自分が一番不幸だと思うくらい落ち込んだのに。
「……卒業してからも、何にも言ってくれなかったじゃない」
確かに学校では避けまくったけど、その後いくらでも誤解を解くチャンスはあったはず。
「婚約が発表されてからも、ブリジットは狙われ続けていたんだ。もしクロエがブリジットの親友のままならクロエが狙われる可能性もあった。でもクロエがブリジットと仲違いしたならば、クロエが攻撃対象になることはない。だからブリジットが結婚して王宮に入るまでは、その勘違いを利用することにしたんだよ」
「この一年の間に私が結婚してたかもしれないでしょ?プロポーズだとか、本気で言っているとは思えないわ」
本当に私のことを好きだと言うなら、何より先に誤解を解こうとするはずよ。
少なくとも、私だったらそうする。
「クロエがこの一年の間に結婚することはないと分かっていたよ。……既にお前の父上に話を通してあるからな」
「え?」
「必ず一年後にプロポーズするから、クロエに来る縁談は全て断ってくれってね」
何てことなの……?
どうりで「結婚こそが女の幸せ」と言って憚らない父や母が私が役人になると言っても反対しなかったわけだわ。
「酷い……。そんなの、あなたがこの一年で心変わりしたら私はただ行き遅れるだけじゃないの」
「俺が心変わりすることはないよ。……人を好きになったのもクロエが初めてなのに」
ザックの目元が赤く染まり、深緑の瞳がゆらゆら揺れる。
「知ってたか?……俺が愛称で呼ぶのを許してるのはクロエだけなんだよ。なのにお前は全然俺の気持ちに気付かないんだもんな」
「ザックだって……!」
私が思わずそう言うと、ザックは私の目を見つめながら首を傾げる。
「ザックだって私の気持ちに気付かないじゃない」
ザックの深緑の瞳が大きく見開かれる。
「クロエ……!クロエも俺のこと……?」
「……好きよ。ずっと……好きだったの」
次の瞬間、私はザックの腕の中に閉じ込められ、ギュウギュウと締め付けられる。
「はぁぁぁ……本当に嬉しい。まさか両思いだったなんて……だったらもっと早く告白しときゃ良かった!」
ザックは抱きしめた腕を解くと、上着を再び私の肩に掛ける。
「……悲しい想いをさせてごめん。本当に……大好きだ、クロエ。俺と結婚してくれないか?」
私の目から涙が溢れるのと、無言で頷くのはほぼ同時だった。
ザックは私の頬に手を置き親指で優しく涙を拭うと、そっと唇に触れるだけのキスを落とす。
頬に添えられたザックの手は仄かに震えている。
ザックほどの優れた人でも、私にプロポーズを断られるかもしれないと怖かったんだろうか。
「……でも、良いの?私みたいな何の取り柄もない地味な女が、ザックみたいな完璧な人の隣に立つなんてどう考えても釣り合わないけど」
私がそう尋ねると、ザックは少しムッとしたように眉根を寄せる。
「クロエ。……俺のクロエを悪く言わないでくれるか?クロエは……俺を上辺だけで見たりしないし、いつも自然体で笑顔が可愛いし、人を気遣って一歩下がることができる優しい性格だ。俺にとってお前は唯一無二の存在なんだよ、クロエ」
私の良いところ(?)を並べ立てられ、何だかむず痒い。
人生で私自身を褒められるということがあまり無かったから、どういう反応をしたら良いのか分からない。
「俺からどれだけ愛されてるか分かったか?クロエ」
私の心境を知ってか知らずか、ザックは揶揄うようにそう言って笑うと、再び唇にチュッと音を立てる。
「なあ、お前は俺のどこが好きなんだ?お前も……俺のこと好きでいてくれたんだろ?」
期待に満ち満ちた表情で見つめられ、グッと言葉に詰まる。
「っ………ザックは……優しいから。私を……ブリジットの付属品のように扱わないし、一人の人間として親しくしてくれたから」
「俺にとってブリジットはただの『王太子の婚約者』だった。クロエがブリジットの付属品……?そうか、周りの奴らがクロエの魅力に気付かなくて済んだのならブリジットに感謝しなきゃいけないな」
ザックはぶつぶつと何かを呟くと、私の手を掬うように持ち上げる。
「とにかく。……俺はお前の一番だよな、クロエ?」
「え?一番好きな人ってこと……?」
「そう」
「……うん」
というより、ザック以外に好きな人なんかいないのに。
ザックの言葉を不思議に思っていると、ザックは嬉しそうに頰を染めて微笑んだ。
「お前のことを待ってる人がもう一人いるんだ。さあ、行くぞ」
そう言ってザックは私の手を引いてバルコニーから抜け出す。
階段を降り再び舞踏ホールに立つと、そのまま一際大きな人集りができている場所に向かう。
人波を避けながら、ザックは目的地まで私を誘導する。
本日の主役———王太子夫妻の元に。
「クロエ………」
私の顔を見た瞬間、ブリジットの蜂蜜色の瞳が潤む。
「ガザインの小さな太陽であらせられる王太子殿下並びに妃殿下に………」
「いやいや、畏まらないでくれ。クロエ嬢」
カーテシーで恭しく挨拶をしようとすると、王太子殿下に止められる。
「ここではゆっくり話ができないから、ちょっと移動しようか」
主役の2人が場を外して良いのだろうか?と思うけれど、私は促されるままに場所を移動する。
2階に用意されていた人払いが可能なスペースに入り、先に座った王太子殿下とブリジットの対面にザックと私が腰掛ける。
「まずは……クロエ嬢。私の命でアイザックをブリジットの護衛につかせたばかりに、君には辛い想いをさせてすまなかった」
いきなり王太子殿下に頭を下げられ、私は慌てる。
「い、いえ。勘違いした私が悪いのです」
「そんなことはない。……私が君の立場でも、同じような勘違いをしたと思うよ」
「そうよ……クロエ。私たちが最初からあなたにしっかり説明しておけば、こんなことにはならなかったの」
ブリジットは瞳をうるうるさせたまま、涙声で後悔を滲ませる。
「……私、学園に入学して、クロエと仲良くなって嬉しかったの。私の立場とか見た目とかに関係なく接してくれたのはクロエが初めてだったから。他の人の前で素の自分でいられたのも初めてだったし、クロエが勉強の仕方を教えてくれたから、要領の悪い私が妃教育も頑張れたの」
ついに堪えきれずに蜂蜜色の瞳から大粒の涙を溢すブリジットを見て、私もつられて涙で目が潤む。
「だからこそ……私が王太子の婚約者だってことが知られて、クロエに距離を置かれるのが怖かった。でも黙っていたことで結果的にクロエと仲違いしてしまった。……全部私が悪いの」
隣に座っているザックが私にハンカチを渡してくれる。
いつの間にか、頬を涙が伝っていたらしい。
「あんな形でクロエを傷つけてごめんなさい……アイザックにも申し訳なくて」
「いや、俺は……俺もちゃんとクロエに気持ちを伝えていれば良かったんだ」
「もう……良いんです。誤解は解けましたから……」
何となく気まずい空気が流れた時、口を開いたのは王太子殿下だった。
「ブリジットがクロエ嬢を想って泣くたびに、私は罪悪感に苛まれるんだ。私を助けると思って……どうかブリジットと仲直りしてくれないだろうか?」
王太子殿下はその形の良い眉を下げ、私のような者にも真摯に語りかけてくださる。
本当にブリジットを大切に想っているんだろうということが伝わってくる。
「私は……勝手な勘違いでブリジットに酷いことを言ってしまいました。……それでも許してもらえるなら……ブリジットは私にとっても大切な友人ですので」
「クロエ……!」
ブリジットが勢いよく立ち上がり、私もそれにつられて立ち上がる。
どちらからともなく近寄り、抱きしめ合って声を上げて泣く。
「うわぁん!クロエ、あなたに会えなくてずっと寂しかった……!」
「私もよ、ブリジット。あなたは私の青春の全てだもの」
私たちが抱き合っている間にいつの間にか王太子殿下とザックは席を外していて、その場には私とブリジットの2人だけが残されていた。
◇
「それで、アイザックの求婚を受けたの?」
「ええ……でも、ザックったら酷いのよ。自分は何も言わないくせに、私に縁談が来ないように裏から手を回していたらしいの」
私の怒った顔を見て、ブリジットはクスクス笑う。
「アイザックらしいわ。……ねえクロエ、気付いてた?アイザックってあなた以外には素っ気ないし冷たいのよ」
それを聞いて、私は呆気に取られる。
そういえば、ザックが私たち以外の人と交流しているところを見かけたことが殆どない。
「それでブリジットは私にずっとザックに告白するよう勧めていたの?」
「そうよ。アイザックにもクロエに告白するよう何度も言ったのよ。でもあの人、ああ見えて存外臆病で……。あなたたちが想い合ってることなんて一目瞭然だったから、もどかしかったわ」
ブリジットは私たちの想いを知った上でけしかけてくれていたんだ。
私はブリジットの気持ちなんて何一つ分かっていなかった。
「卒業パーティーのことは……本当にごめんなさい。私も気が動転してしまって……」
「ううん。ブリジットも大変だったわね。……刺客に襲われるなんて。そんな大変な目に遭っていただなんて、私何にも知らなくて」
「言わなかったんだもの。当然よ」
ブリジットは私の手を取って両手でギュッと握る。
「……それで。どうしても心残りだったの。あなたとダンスを踊らなかったことが……。だから良かったら今日、私と踊ってくれない?」
「……こんな晴れの日に、あなたと踊りたいと思ってる人はたくさんいるわよ」
「私が踊りたいのはクロエだけよ」
ブリジットはそう言って茶目っ気たっぷりに笑った。
◇
光り輝く舞踏ホールの真ん中で、衆人の注目を一身に集めながら私とブリジットは手を取り合って踊っている。
まるで世界に私とブリジットしかいないかのように、私たちは互いのことだけを考え、見つめ合う。
「アイザックとはもう踊ったの?」
「いえ、踊ってないわ」
「やった!クロエの初ダンスは私のものよ!」
無邪気に笑うブリジットは美しさと可愛らしさを兼ね備えた最強兵器のようなもので、恐らく何本もの鉄の矢を降らせて周りの人々のハートを撃ち抜いていることだろう。
曲が終わり、ザックが私を迎えに来るが、ブリジットは手を離さない。
「さっきのは卒業パーティーで踊れなかった分!今から今日の分を踊るのよ!」
「おい……俺はまだクロエと一回も踊ってないんだぞ」
「クロエの手をしっかり握っていないアイザックが悪いのよ!……さ、クロエ。もう一回踊りましょ」
呆れた顔のザックを尻目に、私たちは再び踊り出す。
楽しそうに笑うブリジットを見ながら、私の心は満たされていく。
ついさっきまで私の心は空っぽだったのに。
こんなに簡単に空っぽの心を満たしてしまうなんて、やっぱりブリジットには敵わない。
この世で最も美しくて最強な———私の親友。
翌日、この婚礼パーティーでの出来事が「王国一の美女ブリジット妃殿下と美貌の貴公子アイザック・ビスマインから取り合われる謎の女性『クロエ・ボルトー』とは何者か?」と新聞一面に掲載されることになったのは実に不本意なことであった。
◇
「おい、ブリジット。俺とクロエの婚姻式だぞ。しゃしゃり出て来るな」
王都のビスマイン邸に、なぜかブリジットもやって来て婚姻式の打ち合わせに参加している。
「クロエに似合うドレスを選ぶのは私にしかできない仕事よ!」
「そんなことはない。クロエのことを一番よく分かっているのは俺だ」
いがみ合う2人を横目に、私は溜息をつく。
王太子夫妻の婚礼パーティーの後、私はザックと正式に婚約した。
どこからともなく現れた誰も知らない女が、王国で一番人気の貴公子と婚約したとあって社交界はかなり騒然とした(らしい)。
ただ、婚礼パーティー翌日に出た新聞記事と、ブリジットが方々で私を親友だと吹聴したことにより、私に対して直接嫌がらせや攻撃を仕掛けてくる人は殆どいなかった。
たまにやって来る命知らずはザックが裏で処理してしまうから、私に伝わっていないだけかもしれないけど。
「2人とも……喧嘩するなら私は帰るわよ?」
いつまでも続く言い合いに辟易した私が声を掛けると、ブリジットは不満げに声を尖らせる。
「だって!クロエの一番の親友は私なのにザックが張り合ってくるから……」
「言っとくけど、クロエが一番好きなのは俺だぞ?言質は取ってるからな」
ああ、それで。
ブリジットと張り合うためにあんな質問をしたのかと私は呆れた顔でザックを見遣る。
「あのね。私にとっては2人とも一番大事なの。2人がいないと、私は私でいられないんだから……」
そう、この2人がいてくれる限り。
これからも私は私らしく生きていけるのだと思う。
空っぽな私の中身を満たしてくれる大事な存在。
その後アイザック・ビスマインと結婚したクロエ・ビスマインは、父の後を継ぎ即位した国王アレクサンドルの妃ブリジットと末永く交流を深め、ブリジット妃の良き相談役、指南役としてガザイン王国の発展にも貢献したそうな。
〜 完 〜
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11/6 新連載開始しました!
「義姉と間違えて求婚されました」
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