9 高月の悪だくみ
つぎの日曜日、ぼくは午前中からサボテンのテンコを眺めてすごしていた。
のどのかわきを覚え、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取ってきた。ふと、きょうはテンコに水をやる日だったのを思い出した。たまには天然水を飲ませてやろうと思いついた。
550mlのボトルに半分ほど残っていた水を鉢植えにかけてやった。水はみるみる吸収され、あっというまに土が乾いてしまった。
テンコは緑色に輝き、もっとくれとせがむように、するどい棘を突きだしている。いっそう、ぷっくりふくらんだような気がした。
サボテンのなかには、いちどに大量の水をたくわえるものもあるという。かなり貴重な品種なのかもしれない。ぼくは、くわしい育て方を聞いていなかった。瑞穂の母親の静枝さんに教えてもらわないと。
その前に、テンコのために新しいペットボトルに取りに立った。キッチンに入ったとたん、ドアベルが鳴った。しつように鳴りつづけている。
ぼくはためらった。人に会いたい気分じゃない。現実に引きもどされるのが嫌だった。相手が友人や同僚なら、なおさら出たくない。居心地のいい現実逃避の世界から、ぼくを無理やり引きずりだそうとするだろう。
居留守をつかおうと決めたとたん、
「おいっ、卓巳。いるのはわかってるんだ」
ドアが壊れそうないきおいで猛烈に叩かれた。
望田俊介だとすぐに気づいた。
農大の園芸部の先輩であり、いまの会社の先輩でもある。2学年上の望田さんは園芸をこよなく愛し、中身は体育会系で、大学時代はびしびし鍛えられた。
……園芸部、だったんだけどな。
大学時代、望田先輩の発案で、〈木々とたわむれる〉という活動があり、新入部員はみんな参加させられた。真夏の太陽が照りつけるなか、先輩にひきいられ、大学に近い山に登った。ぼくは植物観察だと思っていた。まさか木登りをさせられるとは思わなかった。
ぼくは汗だくになり、すり傷だらけになってケヤキを登った。望田先輩は長い手足で楽らく木のてっぺんに上がっていた。いまでも〈木々とたわむれる〉活動は園芸部に受けつがれているんだろうか。
それより、大変なことになった。望田俊介――引きこもりたいときには、史上最悪の人物だ。ぼくの現実逃避の殻など、容赦なく粉砕されるだろう。
「隠れたって無駄だぞ。出て来い」
こうなったら、もうおしまいだ。ぼくは観念した。
ドアを開けたとたん、望田先輩の黒いタキシード姿が目にとびこんできた。先輩は、えらのはった角刈りで、太い眉毛の下から、ぎょろりとぼくをにらみつけてきた。口を開くなり、
「きょうはおまえとクスノキの結婚式をしてやろうと思ってな」
おかしなことを言い、オランウータンのような太い腕でぼくの襟首をつかんだ。
ぼくは事態を把握できないまま、玄関から引きずり出された。廊下には、かつての園芸部員の5人が並んでいた。全員が礼服姿だ。
ぼくとクスノキの結婚式だって……?
「みんな、おまえの結婚を祝ってやろうと、こうして集まってくれたんだ」
望田先輩が大きくうなずいた。
そのみんなはというと、なんだか居心地の悪そうな顔をしている。
望田先輩に強要されたんだとすぐに察した。けれど、先輩のちっぽけな脳みそに、こんな想像的な考えの浮かぶはずがない。首謀者がいるはずだ。
――いたっ!
礼服の集団のうしろに、高月澪の上目づかいの顔があった。紫のカクテルドレスをきめ、前髪をあげてセットしている。むきだしになった広い額の下で、いつもよりシャープに描いた眉があがった。
「植草さん、あの木と結婚したいって言ってたでしょ。だから――」
高月の赤く塗った唇の端が、意地悪そうにつりあがった。
続