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6 形見のサボテン

 つぎに気づいたとき、ぼくは病院のベッドに寝ていた。そこは6人部屋で、仕切りカーテンはすべて開かれていた。ぼくが寝ているベッドのほかに、誰も使っていないベッドが5台――。


 あれ? 瑞穂が、いない。


 いっしょに事故にあったんだから、怪我をしていれば同じ病院に収容されているはず。じゃあ無事だったんだ。それとも、まだ治療を受けている? まさか重態じゃ? あるいは……。


 ぼくは打ち身と軽い打撲傷で済んだ。念のため検査入院をさせたらしい。母が上京し、入院中なにかと世話をやいてくれた。友人や同僚が見舞いに来てくれた。誰も……瑞穂の話題は口にしなかった。


 ぼくが退院したのは1週間後で、瑞穂の葬式には出られなかった。


 ぼくは重い足取りで、瑞穂の実家の花屋〈ハシモト・フローラ〉に向かっていた。10月後半の晴れわたった日だった。


 事故の原因は、トラック運転手の居眠り運転だったとあとで知らされた。


 瑞穂はテンコをかばう姿で発見された。その指に棘がささり、血がにじんでいたと聞いた。瑞穂は最期までテンコを救おうとしたんだ。ぼくはそんな彼女を思い、目頭が熱くなった。


 花屋には色とりどりの花が飾られ、店頭にまであふれていた。店先から入るのもためらわれ、狭い路地から裏庭にまわった。青い実のなったカラタチの垣根ごしに、瑞穂の温室がのぞいていた。


 葬式もすみ、瑞穂の家は普段どおりの日常をとり戻しているように見えた。現実に直面したのは、瑞穂の遺影を見たときだった。


 瑞穂は、ぼくを幸せにする、あのえくぼを浮かべて微笑んでいた。もう瑞穂の笑顔を見ることはできないんだ。ぼくは幸せな気持ちを永遠にうしなった。胸がつまり、涙がこみあげてきた。


「――植草さん」


 仏壇の前からふりかえると、瑞穂の母親の憔悴した顔があった。花屋の仕事着のエプロンのまま、白い軍手をはずしている途中だった。


「せっかく瑞穂を幸せにしてもらうはずだったのにね」


 母親の静枝さんが気遣わしげに話しかけてきた。


「……すみません」ぼくは思わず頭をたれていた。


「植草さんがあやまらなくていいのよ。悪いのはトラック運転手なんだから」


「ぼくがハンドル操作を間違えなければ、娘さんは助かっていたかもしれません」


「それは……」言いかけて、静枝さんが黙り込んだ。


 気まずい空気のなかに羽音がした。庭から侵入した蜜蜂が、瑞穂の遺影のまわりを飛んでいる。祭壇の黄色い花にもぐりこんだ。黄と黒のまだらの尻をしきりに揺り動かし、花粉まみれになっている。


 静枝さんは自然な表情をよそおっているけど、母親の悲しみはひとしおだろう。それなのに、ぼくを慰めようとしてくれる心遣いを痛いほど感じた。


「そんなに気にやまないでくださいね」


 しばらくして、静枝さんがそう言ってくれた。


「今日はね、植草さんにもらって欲しいものがあるの」と立ちあがった。


 瑞穂は両親と3人暮らしだった。ぼくは店の手伝いをしたり、夕飯をごちそうになったり、静枝さんとは気心がしれていた。父親は花の仕入れに忙しいようで、あまり会ったことがなかった。


「――これ、瑞穂がとても大切にしていたものなの」


 静枝さんの手にはテンコの鉢植えがあった。テンコは相変わらずぷっくりふくれて元気そうだった。瑞穂が自分の命をとして守ったサボテンだ。


「この鉢植えを植草さんにもらって欲しくて」


「……いいんですか」


「そのほうが娘も喜びます」


「はい」ぼくはサボテンの鉢植えを受け取った。


 花婿のサボローは、事故の衝撃でリアウインドーから落ちて砕けていた。


「……テンコ、おまえ、未亡人になっちまったんだな」


 自分と同じ境遇を思い、涙があふれてきた。とめどもなくあふれてくる。その涙がサボテンの棘を伝わり、土にしみこんでいった。



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