39 愛ってなんだ?
ぼくとテンコは、12月にはいったばかりの駅前商店街を歩く。アーケードには色とりどりの電飾が巻かれ、店頭にはクリスマスツリーが飾られ、いたるところでクリスマスソングが流れている。
「テンコはどうして、『人間の愛』に興味をもったんだ?」
帰宅する道すがら、ぼくはきいてみた。
ことの発端は、瑞穂が「卓巳を愛している」と言ったからだそうだ。
その頃のぼくたちは幸せの絶頂にあった。瑞穂は、鉢植えのテンコに、デートの感想を報告していたそうだ。テンコは『愛』の意味をたずねたけど、瑞穂はあいまいに答え、きちんと教えてくれなかったという。そこで――。
愛ってなんだ?
このあたりでいちばん物知りのクスノキにたずねた。
ぼくと瑞穂は、あのクスノキの下でよく語りあっていた。そばにはベビーカーのテンコもいて、あいつはクスノキと言葉をかわしていたんだ。
――愛とは、自分の種の保存だ。
それがクスノキの答えだったという。
植物にとっては、それが正解だ。テンコはその答えで満足していたらしいけど、瑞穂が亡くなると、それではすまなくなった。
ぼくは瑞穂の死をうれいれられず、2人の思い出のクスノキに通いはじめた。ぼくのそんな姿が、クスノキを苦悩にみちびいたんだ。
『種の保存のためなら、その相手は誰でもいいじゃないか。卓巳はどうして、瑞穂にこだわりつづけるんだ?』
テンコはそうクスノキを問いつめた。
クスノキは答えられず、ずいぶん困ったに違いない。枝をかしげている様子が、思い悩んでいるように見えたのは、ノイローゼぎみだったのかもしれない。
ぼくとクスノキの結婚式があげられると、クスノキは理解不能におちいった。ますます『愛』がわからなくなった。そこで、わからなければ自分で確かめてみればいい、という話になったんだ。
すべての計画を立てたのはクスノキだった。
ぼくがクスノキと結婚したのを利用し、テンコが花嫁になってあらわれる。人間との結婚生活をつうじ『愛』の核心にせまるのだという。
テンコは瑞穂にばけるつもりでいたらしい。それがうまくいかなかったのは、実体化の材料が足りなかったからだそうだ。その材料に使用されたのが、ベランダの倉庫にあったサンプル肥料だった。肥料が4袋しかなかったので、テンコはちんちくりんな姿になってしまった。
実体化したテンコは、ベランダからリビングに入った。ぼくのレインコートをすっぱだかにはおり、サンダル履きで玄関を出た。ローテーブルにあった部屋の鍵は、そのときくすねたんだ。翌朝、リビングから玄関まで、土の足あとが続いていたのを覚えている。
テンコはそのあと、〈ハシモト・フローラ〉に侵入し、瑞穂のニット帽とセーターとスカートを拝借した。そのときには、まだ瑞穂にばけるつもりでいたらしい。テンコは、瑞穂の自宅の合鍵が、温室のサボテンのわたに隠されているのを知っていたんだ。
こうしてテンコは、ぼくの花嫁となってマンションにあらわれた。
それからいろいろな出来事があり、クスノキが撤去される日になった。テンコはクスノキの枝に陣取り、それを阻止しようと伐採業者と戦った。
「あのとき、ぼくはあの大樹にテンコが同化したように見えた。あれは本当に消えたんじゃなかったんだな」
「ちょうど、近くで雷が落ちただろ」
テンコはそのまばゆい閃光に目がくらみ、木のまたから落ちて、太い幹の陰で気をうしなっていたそうだ。
クスノキの撤去については、テンコとクスノキのあいだでもめたという。
テンコはそれを阻止すると言いはり、クスノキはあきらめて寺の建材になると主張した。テンコが『愛』の研究はどうするんだとつめよると、
「あいつ、仏門に入る以上、『愛』という俗世間の感情は捨てたなんて言うんだ」
クスノキは本当に撤去を望んでいたのかもしれない。植物には関係ない、『人間の愛』について、もう悩まずにすむんだから。仏門に入るというのも口実で、テンコの追及にうんざりしていたに違いない。
「なあ、卓巳」
「ん?」テンコの小鼻の上に寄った丸い目が、ぼくを見つめている。
「愛ってなんだ?」
クスノキに代わって、こんどはぼくの番だ。
「愛は……」
けっきょく幻想なんだろう。おおもとはやはり種の保存で、それを確保するために、脳がいだかせる感情なんじゃないかな。瑞穂がいなくなっても、その気持ちだけは消えずに残るんだ。
植物の場合は、花粉をとばし、あるいは昆虫に運ばせ、受粉して実をつける。そんな単純な行為を、人間の脳が複雑なものにつくり変えてしまった。それを説明しろと言われても困ってしまう。
「おれさ……」
テンコがやけにしんみりした顔つきをしている。
「おれ、瑞穂がだめになったとき、体がぎゅっと押しつぶされるような気持ちになった。卓巳は、鉢植えのおれを手にして涙をこぼしたよな。あのとき、卓巳はどうして泣いたんだ?」
「……それは、瑞穂と二度と会えないと実感したからだよ」
「おれもだ。卓巳の自殺をやめさせようとして、クスノキに瑞穂はいないって言ったよな。そのとたん、たまらず涙があふれだしたんだ」
あのとき、テンコは顔から泉のように涙をわきださせていた。ぼくの代わりに泣いてやるって言ってたけど、本当に悲しんでいたんだ。
「そういう気持ちになる理由が、愛なんじゃないのか」
テンコが丸い目をぼくに向けてきた。
「……そうだね」
かけがえのないもののひとつひとつが愛をつくりあげていく。それは2人が共有した時間であり、わかちあった感情なんだ。ぼくはそれを瑞穂とともに築きあげてきた。だから、瑞穂じゃないとだめなんだ。
「かけがえのないものを積みかさねてできた感情が愛なんだと思う。その相手がいなくなっても、その気持ちだけはのこり、胸を押しつぶそうとするんだ」
「おれの胸がぎゅっとなったのも、おれが瑞穂を愛していたからなんだな」
「そうだよ。瑞穂だって、テンコを愛していた。だから、トラックがぶつかってきたとき、身をていしておまえを守ったんじゃないか」
「……そっか」
テンコはがっくりきてしまったようだ。その足どりがおもくなり、なにか考えこんでいる。ぼくたちは黙ったまま、商店街のアーケードを抜けた。
「卓巳さ」テンコがふいに口を開いた。「クスノキが切りたおされたとき、おれが土になると思って泣いたよな。卓巳もおれを愛していたんだな」
「いや、それは……」
「離婚はやめだ。卓巳が結婚指輪をおれの指に戻してくれたからな。ほら」
テンコが薬指のリングをひらめかせる。
「おれたちは復縁し、またふうふだ」テンコが宣言した。
はあ――ぼくは大きなため息をついた。
続




