表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/46

39 愛ってなんだ?

 ぼくとテンコは、12月にはいったばかりの駅前商店街を歩く。アーケードには色とりどりの電飾が巻かれ、店頭にはクリスマスツリーが飾られ、いたるところでクリスマスソングが流れている。


「テンコはどうして、『人間の愛』に興味をもったんだ?」


 帰宅する道すがら、ぼくはきいてみた。


 ことの発端は、瑞穂が「卓巳を愛している」と言ったからだそうだ。


 その頃のぼくたちは幸せの絶頂にあった。瑞穂は、鉢植えのテンコに、デートの感想を報告していたそうだ。テンコは『愛』の意味をたずねたけど、瑞穂はあいまいに答え、きちんと教えてくれなかったという。そこで――。


 愛ってなんだ?


 このあたりでいちばん物知りのクスノキにたずねた。


 ぼくと瑞穂は、あのクスノキの下でよく語りあっていた。そばにはベビーカーのテンコもいて、あいつはクスノキと言葉をかわしていたんだ。


 ――愛とは、自分の種の保存だ。


 それがクスノキの答えだったという。


 植物にとっては、それが正解だ。テンコはその答えで満足していたらしいけど、瑞穂が亡くなると、それではすまなくなった。


 ぼくは瑞穂の死をうれいれられず、2人の思い出のクスノキに通いはじめた。ぼくのそんな姿が、クスノキを苦悩にみちびいたんだ。


『種の保存のためなら、その相手は誰でもいいじゃないか。卓巳はどうして、瑞穂にこだわりつづけるんだ?』


 テンコはそうクスノキを問いつめた。


 クスノキは答えられず、ずいぶん困ったに違いない。枝をかしげている様子が、思い悩んでいるように見えたのは、ノイローゼぎみだったのかもしれない。


 ぼくとクスノキの結婚式があげられると、クスノキは理解不能におちいった。ますます『愛』がわからなくなった。そこで、わからなければ自分で確かめてみればいい、という話になったんだ。


 すべての計画を立てたのはクスノキだった。


 ぼくがクスノキと結婚したのを利用し、テンコが花嫁になってあらわれる。人間との結婚生活をつうじ『愛』の核心にせまるのだという。


 テンコは瑞穂にばけるつもりでいたらしい。それがうまくいかなかったのは、実体化の材料が足りなかったからだそうだ。その材料に使用されたのが、ベランダの倉庫にあったサンプル肥料だった。肥料が4袋しかなかったので、テンコはちんちくりんな姿になってしまった。


 実体化したテンコは、ベランダからリビングに入った。ぼくのレインコートをすっぱだかにはおり、サンダル履きで玄関を出た。ローテーブルにあった部屋の鍵は、そのときくすねたんだ。翌朝、リビングから玄関まで、土の足あとが続いていたのを覚えている。


 テンコはそのあと、〈ハシモト・フローラ〉に侵入し、瑞穂のニット帽とセーターとスカートを拝借した。そのときには、まだ瑞穂にばけるつもりでいたらしい。テンコは、瑞穂の自宅の合鍵が、温室のサボテンのわたに隠されているのを知っていたんだ。


 こうしてテンコは、ぼくの花嫁となってマンションにあらわれた。


 それからいろいろな出来事があり、クスノキが撤去される日になった。テンコはクスノキの枝に陣取り、それを阻止しようと伐採業者と戦った。


「あのとき、ぼくはあの大樹にテンコが同化したように見えた。あれは本当に消えたんじゃなかったんだな」


「ちょうど、近くで雷が落ちただろ」


 テンコはそのまばゆい閃光に目がくらみ、木のまたから落ちて、太い幹の陰で気をうしなっていたそうだ。


 クスノキの撤去については、テンコとクスノキのあいだでもめたという。


 テンコはそれを阻止すると言いはり、クスノキはあきらめて寺の建材になると主張した。テンコが『愛』の研究はどうするんだとつめよると、


「あいつ、仏門に入る以上、『愛』という俗世間の感情は捨てたなんて言うんだ」


 クスノキは本当に撤去を望んでいたのかもしれない。植物には関係ない、『人間の愛』について、もう悩まずにすむんだから。仏門に入るというのも口実で、テンコの追及にうんざりしていたに違いない。


「なあ、卓巳」


「ん?」テンコの小鼻の上に寄った丸い目が、ぼくを見つめている。


「愛ってなんだ?」


 クスノキに代わって、こんどはぼくの番だ。


「愛は……」


 けっきょく幻想なんだろう。おおもとはやはり種の保存で、それを確保するために、脳がいだかせる感情なんじゃないかな。瑞穂がいなくなっても、その気持ちだけは消えずに残るんだ。


 植物の場合は、花粉をとばし、あるいは昆虫に運ばせ、受粉して実をつける。そんな単純な行為を、人間の脳が複雑なものにつくり変えてしまった。それを説明しろと言われても困ってしまう。


「おれさ……」


 テンコがやけにしんみりした顔つきをしている。


「おれ、瑞穂がだめになったとき、体がぎゅっと押しつぶされるような気持ちになった。卓巳は、鉢植えのおれを手にして涙をこぼしたよな。あのとき、卓巳はどうして泣いたんだ?」


「……それは、瑞穂と二度と会えないと実感したからだよ」


「おれもだ。卓巳の自殺をやめさせようとして、クスノキに瑞穂はいないって言ったよな。そのとたん、たまらず涙があふれだしたんだ」


 あのとき、テンコは顔から泉のように涙をわきださせていた。ぼくの代わりに泣いてやるって言ってたけど、本当に悲しんでいたんだ。


「そういう気持ちになる理由が、愛なんじゃないのか」


 テンコが丸い目をぼくに向けてきた。


「……そうだね」


 かけがえのないもののひとつひとつが愛をつくりあげていく。それは2人が共有した時間であり、わかちあった感情なんだ。ぼくはそれを瑞穂とともに築きあげてきた。だから、瑞穂じゃないとだめなんだ。


「かけがえのないものを積みかさねてできた感情が愛なんだと思う。その相手がいなくなっても、その気持ちだけはのこり、胸を押しつぶそうとするんだ」


「おれの胸がぎゅっとなったのも、おれが瑞穂を愛していたからなんだな」


「そうだよ。瑞穂だって、テンコを愛していた。だから、トラックがぶつかってきたとき、身をていしておまえを守ったんじゃないか」


「……そっか」


 テンコはがっくりきてしまったようだ。その足どりがおもくなり、なにか考えこんでいる。ぼくたちは黙ったまま、商店街のアーケードを抜けた。


「卓巳さ」テンコがふいに口を開いた。「クスノキが切りたおされたとき、おれが土になると思って泣いたよな。卓巳もおれを愛していたんだな」


「いや、それは……」


「離婚はやめだ。卓巳が結婚指輪をおれの指に戻してくれたからな。ほら」


 テンコが薬指のリングをひらめかせる。


「おれたちは復縁し、またふうふだ」テンコが宣言した。


 はあ――ぼくは大きなため息をついた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ