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21 クスノキの看病

 屋上で寝ていたあいつの額に手をやると、ものすごい熱さだ。早く部屋に連れ帰って暖めてやらないと――。ぼくはあいつを背負い、屋上の扉にむかう。その足が止まった。


 どうして、こいつを助けなきゃいけないんだ。熱で枯れてしまえばいい。なにが、おれたちは結婚しただ。瑞穂の指輪を奪いやがって――。


 肩からだらんと下がった、そいつの左手のリングに気づいた。


 ぼくは、いまのうちに取りかえしておこうと、その指輪に手をかけた。そのとたん、ぼろっとあいつの薬指がくずれ、ぼくの手に瑞穂の指輪が残った。ぼくはいまさらながらに慄然とした。


 あいつが、欠けた指でぼくの背中にしがみつき、ぶるぶる体を震わせている。


「寒いぃ……」ぼくの耳に歯の鳴る音がした。


 ぼくは、サボテンに水をやりすぎて根腐りさせた過去を思いだした。その日、なんだか元気のないサボテンを鉢から引きだしてみた。根にこびりついた土を払うと、土とともに根がくずれ落ちてしまった。


 そのサボテンは助からなかったけど、クスノキならもっと頑丈なはずだ。


 あいつをおんぶしたまま、階段を駆け降りた。


 部屋に戻るとすぐヒーターを入れ、ものいれのコタツを組みたてた。あいつをコタツ布団のなかに押しこむ。冷凍庫から氷を取りだして氷嚢をつくる。引きだしに市販の風邪薬があったはずだ。


 待てよ。あいつは人間じゃない。市販薬を与えたら、逆効果なんじゃないか。植物が病気にかかったときは、水をひかえ、肥料をたっぷり与えるんだ。


 ベランダの倉庫に、営業用サンプルの有機肥料があった。


 倉庫を開けて驚いた。4袋あったはずのサンプルがなくなっていた。肥料を入れていたビニール袋だけが庫内に散らばっている。


 あいつが盗んだか。あのサンプルをどうするつもりだったんだ?


 そこで、われにかえった。ぼくはその肥料をどうするつもりだったんだ? あいつの上からふりかけるのか。とても、効果があるとは思えない。


 リビングでは、コタツから顔だけ出したあいつがうなっていた。あふれだした汗が、カーペットを濡らしている。顔をまっ赤にほてらせているのに、歯をがちがち鳴らし、ぶるぶる震えている。


 暖めたらいいのか、冷やしたらいいのか、ぼくはわからなくなった。


「水うぅ……」あいつが苦しげなうめき声をあげた。


 ぼくは冷蔵庫からミネラルウォーターを取ってきた。あいつの体をコタツから起こし、その口に2リットルのペットボトルをあてがう。ものすごい勢いで水を飲みだした。みるみるボトルが空になっていく。


 植物が病気にかかったときは、水をひかえること――。


 ぼくはとっさにボトルを取りあげた。


 あいつの緑色の髪が逆立ち、頭から蒸気がふきだした。


 すぐにボトルを戻す。2リットルの水はたちまち飲みほされた。あいつの熱はひかず、加湿機のように蒸気を吹き出している。


 ぼくはペットボトルをもう一本取りだした。それも、たちまちあいつに飲みほされた。キッチンの棚から、買い置きの水をケースごと運んできた。あいつは4本のボトルを空にして、ようやく寝入った。


 あわせて6本のペットボトルを干していた。冷蔵庫にあった1本は飲みかけだったけど、12リットル近く飲んだ計算になる。さすがは、その本体がクスノキだけはある、とぼくは感心した。


 あいつの額に手をやってみた。熱は下がりだしたようだ。ほっとため息をついたとたん、空腹をおぼえた。


 ぼくは、キッチンで大量にゆでておいたスパゲティを火にかけた。調理をするのがおっくうだ。ミートソースの缶詰を開け、それをあたためた。


 あいつが寝息をたてるコタツで、スパゲティの夕食をとった。あいつは水だけでいいのかな、と疑問に思った。肥料を食べるのかもしれない。倉庫にあったサンプルの有機肥料は、あいつに食われたんじゃないか。


 クスノキの化け物が肥料を手づかみでほおばる姿を想像して食欲がなくなった。ぼくはフォークを皿の上に置いた。


 あいつから取りかえした指輪を、左の手のひらにのせた。薬指にも、望田先輩に無理にはめられた指輪が光っている。あれから抜けなくなったんだ。


 所有者のいない婚約指輪を見つめているうち、瑞穂を思い出して悲しくなった。


 コタツの反対側から、のんきないびきが聞こえてくる。ぼくも眠気がさしてきた。両腕に顔をうずめると、いつしか眠りにおちていた。クスノキに襲われる悪夢は見ず、朝までぐっすり眠った。


 5時に目が覚めた。コタツの向かい側から、ピーピーと寝息が聞こえてくる。カーテンのすきまから射しこんだ朝日に、ほこりがおどっている。


 ぼくはそっと起き出し、コタツの反対側にまわった。


 あいつはコタツ布団にもぐりこみ、まだ寝ていた。白さを取りもどした顔が、寝息とともにふくらんだり、縮んだりしている。熱はひいたようだ。


 ぼくは、おそるおそるあいつの左手を引き出してみた。


 ――よかった。欠けた薬指がもどおりになっていた。


 コタツ板の上に、瑞穂のリングが朝日を反射している。


 誰の指にもはまっていないリングが寂しく見えた。ぼくはそれを取り、あいつの薬指に戻してやった。しばらく貸してやろう。あんなに大事にしているのを、むげに取りあげられないじゃないか。


 しばらくして、あいつが目を覚ました。


 ぱっとはね起きると、まっさきに左手を確認していた。そこに指輪がはまっているのに、丸い目を見開き、怪訝そうな顔つきをしている。


 あいつの言う『ふうふ喧嘩』はしばらく休戦だ。



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