1 クスノキは愛に悩む
広大な原っぱのどまんなかに、そのクスノキは立っていた。
もとは山だったそのあたりからは、南側に広がる町が一望のもとに見渡せる。北側はクヌギの雑木林におおわれ、その向こうを、せまい道路がゆるやかに町へ下っている。
クスノキはこのあたりで一番背が高い。30メートルはあるだろう。暗褐色の幹まわりは4メートルほど、つややかな緑の葉におおわれた枝をいっぱいに伸ばし、秋晴れの空を圧倒する。冬支度を始めつつある周囲の木々にはかまわず、常緑の枝葉をこれ見よがしに広げ、雄々しくそびえている。
しかし、男性的なところばかりではない。幹の根もとから6メートルほどの高さの、葉むらに達しないあたりから、しなやかな枝が一本だけ伸びている。貴婦人が恋人に腕を差しのべているようだ。
もっとも、両性花をもつクスノキは男でも女でもない。ちいさな花の内部には、12本の雄しべと、それに三重に囲まれて1本の雌しべがある。
男性的であってもどこか女性らしく、気の遠くなるほど長いあいだ、その原っぱに根を下ろしてきた。しかし――。
クスノキはひどく悩んでいた。
愛ってなんだ?
クスノキはずいぶん長いあいだ生きてきた。自分の知らない土地で、それはたくさんの子供が育っているだろう。
春のなかばごろ、白黄色の小さな花を多数つけ、その花粉は風や昆虫によって運ばれていく。受粉できるかどうかは運まかせだ。受粉に成功すれば、いまごろ黒紫色の丸い果実をつける。
その相手は選べない。受粉さえできれば誰でもいい。種の存続が危ぶまれるときには、自分自身で受粉したってかまわない。同じ遺伝子が交接すれば、奇形の生まれる率が高まるので、それは最後の手段だ。
愛とは自分の種を保存する行為だろう。つまり受粉だ。いままでそう思ってきた。それで問題は発生しなかった。それなのに……。
クスノキは数週間前のできごとを思い返してみた。
それは秋晴れの気持ちのいい昼下がりだった。クスノキの枝葉がつくる大きな影の下で、人間が愛を語らっていた。
その恋人たちには見覚えがあった。2人はクスノキの足もとで、人間が愛と呼ぶものを育んできた。
1年3か月――。
クスノキには、ずいぶん面倒な手続きをふんでいるように思えた。けっきょく種の存続が目的ではないか。それを愛という理解不能の言葉で説明する必要はない。
それでも、2人の幸せな気持ちだけは伝わってきた。2人の愛がひとつの結論にむかおうとしているのが、樹皮をつうじてひしひし感じられた。
男のほうが女のほうの手を取った。指先になにか小さなものを通そうとしている。ふいに女の顔が明るくなった。2人は抱きあい、唇をあわせ、幸せな感情があふれだした。しかし――。
けっきょくクスノキには理解できなかった。ますますわからなくなった。
愛ってなんだ?
クスノキはひどく悩んでいた。