土下座の人
また、とある日のモーリス商会にて。
秘書のエリーシャがレティシアに来客を告げる。
「会長、ランドール様がいらっしゃいました」
「ランドールさん?なんだろ。工事関係かな……?応接室?」
「はい、応接室にお通ししました」
ランドール商会は、鉄道開発事業に出資する商会の一つだ。
主に土木工事関係を取り仕切っている。
「分かった、すぐ行くよ」
そう言って彼女は書類もそのままに執務室を出ていった。
部屋に残ったエリーシャは、テキパキと書類を分かりやすいように分類して整理し始める。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「申し訳ありませんでしたぁーーーっっ!!」
応接室の扉を開けたとたん、見事な土下座をして謝罪するランドール商会会長がレティシアを迎えた。
「あ、ランドールさん、こんにちは。今日も見事な土下座ですね〜」
異様な光景にも関わらず、レティシアはにこやかに挨拶する。
……どうやらそれは、いつもの光景らしい。
ランドールがレティシアを怒らせたのは、最初の一度きりなのだが……
その見事な土下座によってピンチを乗り切った経緯から、何かネガティブな話をする時は土下座から入るのが、彼の習慣と化していた。
最初は止めていたレティシアも、すっかり慣れたものだ。
「それで、今日はどうしたんです?」
「は、はい……それが……」
顔を上げたランドールは、申し訳なさそうに訪問の理由を話し始める。
「実は工事が予定よりも大幅に遅れている区間がありまして……」
「そうなんですか?前回の会議では、順調だって聞いてましたけど……」
「すみませんすみません!」
再び土下座をしかねない勢いで謝るランドールをなだめながら、レティシアは遅れの原因を聞き出そうとする。
「実は、前回の報告時点では、まだ着工しはじめたばかりだったので……それは予定通りだったのですが、そのあと難工事となる事が少しずつ分かってきたんです」
「そっか〜……そういう事ならしょうがないですね。それで、難工事……というのは?」
事前にルート選定のため調査したときには、『大河』を除いて、そこまで難工事となる区間があるという報告は無かった。
「軟弱地盤です。どうやら過去にアレシア大河の氾濫域だった場所のようでして……湿地というほどではないのですが、相当な路盤強化工事を施す必要がある……とのことです」
「ふむふむ……じゃあスケジュールを見直さないとだね。え〜と、工程管理表は……」
「こちらです」
「あ、ありがとうエリーシャ」
いつの間にか応接室に来ていたエリーシャが、工事の進捗管理をするための資料をレティシアに手渡す。
工事関係の話になることを見越して、応接室に来る前に関連資料を準備してきたのだ。
デキる秘書である。
「工期はどれくらい伸びます?」
「およそ一ヶ月ほどかと」
「遅れ分の増員は?」
「調整可能です」
「増分の見積もりは後で下さいね。じゃあ、この工事は期間を伸ばして……ここの線路敷設と設備工事をこっちにずらして……ここは並行できるから……」
ランドールに聞き取りを行いながら、管理表に書き込んでスケジュールを修正していく。
「うん、クリティカルパスじゃないみたいだから、全体スケジュールには遅れを出さなくて済みそうです」
「そうですか……良かったです」
レティシアの言葉に、ランドールはほっと胸をなでおろした。
初対面こそアレだったが、彼はなかなか真面目な人物のようだ。
今は商会同士も良好な関係を築いている。
「まあ、不可抗力で遅れるのはしょうがないですよ。スケジュールを厳守するより、安全第一ということを忘れないでくださいね」
「はい、それはもちろんです」
レティシアは関係各所に対しては、『安全第一』の意識を徹底するように伝えている。
それは、最終的な成果物の品質が人の命に関わる……というだけでなく、作業従事者の安全管理も疎かにしてはいけないということだ。
納期を守ることや、利益を出すことも重要であるが、安全であることは何よりも優先する。
「それじゃあ、引き続きよろしくお願いします」
「はい、お任せ下さい!……ところで、なんですが」
「?」
ひとまず話は終わったと思いきや、ランドールには何か他の話があるようだ。
「レティシア様は……そろそろご婚約などは?」
またその話か……と、彼女は顔をしかめそうになるが、何とかそれを我慢した。
「いえ……いまは鉄道開業のことで頭が一杯なので……」
「そうですか……実は……」
と、彼は切り出した。
いわく、『知り合いの息子に良い人がいる』とか、『得意先の青年が誠実そうだ』とか……あれこれ候補を上げてくる。
(……お見合い薦めてくる近所のオバちゃんみたい)
内心で辟易としながらも、好意を無下にすることもできず……
だが結局のところは『今は興味がない』と、やんわりと断った。
そして、彼女の応えを聞いて残念そうにしながら、ランドールはモーリス商会をあとにした。
「……私、モテ期が来てるの?」
「それはそうですよ。モーリス家の家柄、類まれなる美貌、穏やかで明るい性格、モーリス商会会長としてのこれまでの功績と展望……モテる要素しかないですね。年齢を考えても、そろそろ……となるでしょうし」
「そ、そんな大層なものでは……」
と、彼女は謙遜するが、エリーシャの言うことは正しいだろう。
レティシアの心の内がどうあれ、周りの者はそういう目で彼女を見る。
家柄や功績を見る者のは打算的な思いで、人柄を知るものは純粋な好意で……これからも彼女は、否が応でも注目を浴びることだろう。




