エピローグ 尽き果てぬ夢
夜の闇を切り裂いて列車が走る。
前照灯の眩い光が行く先を明るく照らし、最後尾のテールライトが赤い尾を引いた。
星空に警笛の音が鳴り響き、魔導力モーターが唸りを上げる。
いくつもの車輪がレールを転がり、ジョイントを刻む音が木霊した。
そして、列車が過ぎ去ったあと……その余韻すらも彼方まで遠ざかると、その場には再び静寂が訪れる。
正午ちょうどに始発駅を出発した列車は、定刻通り夕方にはアクサレナを経て、次の停車駅であるアスティカントに向かって走り続けていた。
イスパルナ発、レーヴェンハイム行きの国際夜行特急列車『リヴェティアラ』である。
最新型の03型魔導力機関車に牽引されるのは、荷物車や食堂車、サロンカー、そして全車が1等以上の寝台客車による豪華編成。
機関車も含めて、計12両の堂々たる姿だ。
流麗で優美なフォルムの03型の先頭部には、翼を広げたような形のヘッドマークが誇らしげに掲げられている。
そんな豪華列車の中にあって、たった1両だけ連結された特等車……わずか二部屋しか無い特等室の一つに、二十歳の誕生日を迎えたばかりのレティシアの姿があった。
「ふぅ……夕食おいしかったな~。期待以上だったよ」
特等室リビングのソファでくつろぎながら、さきほど食堂車で食べた豪華なコース料理を思い出し、余韻に浸る。
しっかりと平らげて満腹になった身体に、列車の程よい揺れがとても心地よく……
コンコン……
ちょうど、うつらうつらとし始めたタイミングで、扉がノックされた。
「あ、は~い!開いてますからどうぞ~!」
特に鍵もかけてなかったので、来訪者にその旨を伝える。
不用心とも言えるが、彼女は誰が訪ねてきたのかを予想していた。
「失礼するよ、レティちゃん」
そう言って扉を開けたのは銀髪碧眼の女性だ。
「フェレーネさん、さっきぶりです」
予想通りの人物……フェレーネの来訪に、レティシアは笑顔で応じて部屋の中に招き入れる。
フェレーネとは、夕食のときも食堂車で同席していた。
だが、レティシアは彼女が一人だけでやって来た事に疑問を持った。
「……あれ?ティアラちゃんはどうしたんです?」
「お腹いっぱい食べて……眠気には逆らえなかったみたい。もうベッドでおねむだよ。『レティお姉ちゃんとお話する!』なんて言ってたんだけどね」
「そっか~……まぁ、まだ5歳なんだから、しょうがないですね」
ティアラはフェレーネの幼い娘。
そしてフェレーネは……イスパル王国の隣、レーヴェラント王国国王の側室である。
本日の特急『リヴェティアラ』の特等車の乗客は、彼女たち3人だけだ。
最後尾に連結された特等車と、隣のサロンカーとの間には警備員が立ち、他の乗客が立ち入ることはできないようになっていた。
そして、警備員の他にも特等車専任の乗務員が控室に常駐しており、様々なサービスを提供してくれる。
「いや~、しかし……ホントにこの『列車』ってのは、凄いもんだねぇ~」
レティシアに勧められてソファに座ったフェレーネが、しみじみと言う。
「流石は『鉄の女公爵』と言われるだけのことはあるね」
「私の力だけではとても成し遂げられませんでしたけど。でも、ありがとうございます!……まあ、公爵位は兄が継いでるので、本当は『女伯爵』なんですけど」
「はははっ!誰もそんな細かいことは気にしちゃいないさ」
モーリス公爵家は、アンリが引退して兄リュシアンが家督を継いでいる。
リュシアンはイスパル王国騎士団の副団長でもあるので、引退したとは言えアンリもまだまだ領政に関わっているのだが。
そしてレティシアはその功績により、国王より伯爵位を授かっていた。
「ともかく。これができたおかげで、ちょくちょくアクサレナと行き来できるようになったからね。ティアラもテオやカティアちゃんたちと会える……って喜んでるよ」
「ふふふ……そう言ってもらえると、甲斐があります。テオさんも、カティアも……他のみんなも、ティアラちゃんにはデレデレでしたね~」
ちいさなティアラが大人気だった様子を思い出して、レティシアは温かな気持ちになる。
そして、これまで自分たちが創り上げてきた鉄道は、時間的な距離を近づけたことのみならず……人と人の心を繋いでいる。
そう思うと、自分たちの成し遂げた仕事に誇らしさを感じるのだった。
「テオとカティアちゃんのところもそうなんだけどさ……レティちゃんたちは、そろそろ子供はつくらないのかい?」
「そうですねぇ……ティアラちゃんみたいな可愛い子供、欲しいですけど。今は私も夫も仕事が楽しくて」
「そう。ま、そういうのは自分たちのペースが一番か。……ちょっと気にしてたんだよ。新婚早々に呼び出すようなマネをしたからさ……」
レティシアが今回レーヴェラントに向かっているのは、新たに建設を計画している路線についてのアドバイザーとして請われたからだ。
フェレーネは息子夫婦に顔見せがてら、彼女を迎えに来たということである。
「あはは~、そんなこと全然気にしないでいいですよ!鉄道路線が拡大するのは、私達も願ってもない事ですから。それに、どうせ夫もあとから来ますしね」
「そうかい、なら良かったよ。……いいパートナーに巡り会えたね」
「はい……。私が小さな頃からずっと……そして、これからもずっと。リディーは大切なパートナーです」
はにかみながらレティシアは言う。
もう彼女は確たる自分を持っている。
いくつもの悩みを乗り越え、大切な人と心を通わせた彼女は……それまで以上に魅力的な女性となっていた。
「でも、ちょっと不満も」
「ん?」
「本当は今回のレーヴェラント行き、夜行急行の3等開放寝台にしようと思ったんですけど」
「おや……また、どうしてだい?」
「だって、そっちのほうがきっと『旅』してるって感じがするじゃないですか!」
「……はははっ!たしかにね!」
前世では夜行列車の旅情も失われて久しく、レティシアは是非とも昔ながらの体験をしてみたかったのだが……
「でも、リディーってば……『女の一人旅で、それは認められない』って」
口を尖らせながら不満そうに彼女は言う。
「まあ、そいつはしょうがないね。なに、今度一緒に乗る時にねだったらいいだろう」
新婚の妻を心配する夫の気持ちを察したフェレーネは、諭すように言う。
そしてそれは、レティシアも分かってる事だ。
「そうします。……これからいくらでも乗る機会はあるでしょうから」
彼女はまた微笑んで言う。
その瞳に宿るのは……あくなき情熱と、まだ見ぬ土地への憧れの光。
「それに……今よりももっと、どんどん線路は伸びていきますから」
アクサレナ~イスパルナに、世界初の鉄道が開業してから数年が経ち……
イスパルナからは西方に延伸し、ブレゼンタムへと至った。
更にその先、アダレット王国の王都アテムアルトに向かう国際路線を建設中。
同時期にアクサレナからは東方へと伸び、今レティシアたちが乗車しているレーヴェラント王国王都、レーヴェンハイムへの国際路線が開業した。
イスパルナから北上してヴァシュロン王国の王都ルックルへと至る路線も計画がまとまった。
急峻な山岳地帯は難工事が予想されるが、フィリップの陣頭指揮のもとであれば、きっと無事に完成させることだろう。
その他にも、国内外の各地で建設計画が進んでいる。
今まさに、鉄道は建設ラッシュを迎えているのだ。
「そして私はそこを旅するんです。知らない場所に行くために。知らない人たちに会うために。きっと……いつまでも……ずっと」
人々の想いを乗せて列車は走る。
行く先の闇を光で照らしながら。
鉄路は伸び続ける。
紡がれた糸のようなそれは、やがて大きな網となって広がっていくだろう。
そして、レティシアの夢は今も尽きることはない。
その夢はこれからも、果てしなく世界に羽ばたいていくのだ…………
いせてつ ~ TS転生令嬢レティシアの異世界鉄道開拓記
おしまい
「だけど。線路は続くよ、どこまでも……」




